第7章 母をたずねて

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第7章 母をたずねて

父の庄作は、実家が経営する市川市にある家具製造の工場長として再び雇用されていたものの、会社組織の中では相変わらず頻繁にいざこざを起こしていた。 自宅の電話口では、兄の社長と怒鳴りあいのケンカが耐えなかった。 中学生の裕二にも、いずれ退職するのは時間の問題のように思えた。 そして、その裕二の予感は的中してしまった。 再び庄作は退職を余儀なくされた。同時に、本郷町の社宅を追い出された。 このことから松岡家の住まいは、千葉街道沿いの勝又池(現在は勝又公園)のほとりにある古ぼけた2階建ての借家に引っ越すのであった。 ここから裕二は、新オケラ街道に出て中学校に通うことになった。 一家離散 しばらくすると、祐二は父の<家族解散>の宣言により、家を出ることを余儀なくされた。 失職した庄作のあまりの無責任さに呆れて、再び、窮乏生活の危険を予知した正妻となっていた順子は、二人の子供を連れて福生町の実家へと舞い戻るのだった。 完全に、裕二の家庭は崩壊した。 父の庄作は自暴自縛になって、裕二に家庭崩壊を告げるとともに実母の元に行くことを命じる。 すでに、継母の順子とその二人の子供の姿はなかった。 祐二はお金も食料も持たされないまま、船橋市から歩いて横浜市にあるという母の実家を目指した。 庄作は、離婚した裕二の母の現住所を知らなかった。 学校の事や恋心を抱いていた小谷野亮子のことも気になったが、とにかくこの家には住めないのだと思い、その顔も声も覚えていない実母と祖母が住んでいるであろうという横浜市子安町に一人向かった。 愛する亮子に連絡して、事情を打ち明ける時間も機会もなかった。 裕二もこの突然のアクシデントに、冷静に対応する余裕はなかった。 自転車泥棒 江戸川にかかる市川大橋を渡り江戸川区に入ると、精神的な痛手と空腹もあって歩き疲れてきた。学生服の下には汗が噴き出ていた。 土手を見ると、自転車が1台置いてあった。 貧しくても万引きひとつしなかった祐二だったが、神様に許しを請いてその自転車を黙って借用した。 自転車泥棒は、心を一層重くさせた。 だがこの非常時には、悪事を否定する気持ちも薄らぐ。 やがて自転車は都心へ入り、蔵前橋を渡ると左折して日本橋浜町近辺に向かった。 浜町公園の水飲み場に着くと、彼は夢中でガブガブと水を飲んだ。 陽のあるうちに横浜に着くためには、あまりゆっくりと休憩はとれなかった。 再び、一路横浜市の子安を目指して走った。 陽が暮れた頃、実母らが住むという新子安駅に着いた。 駅の近くに自転車を置き、徒歩で目的地の家を探し始めた。 電信柱の地番案内を頼りに、祖母の名の表札を探した。 やがて、国鉄と京急線の間にある「本慶寺」近くの狭小の地域にたどり着いた。 するとすぐに、目当ての地番の家を発見した。 ただ、表札には実母や祖母の名字はなく、違った名字が刻まれていた。 祐二は勇気を出して、その家の呼び鈴を押した。 玄関に灯りがつくと、一人の老人が出てきた。 祖母の名前をあげて、事情を説明しその所在を尋ねた。 「半年前に転居されてね、今は私たち夫婦が住んでいる。確か大倉山に引っ越しされたと聞いているけど、詳しい住所は知らない。知りたければ、駅前の交番にでも行って相談してみなさい」と言われた。 万事休すだった。 途方に暮れた祐二は、空腹のまま周辺を歩き回った。 公園にたどり着くと、ベンチに倒れ込むように横になった。 すでに足は棒状態で、とても夜道を走り抜けて家に戻る気力もなかった。 帰ったところで、父に追い返される可能性もある。 思案したが、名案がなく途方に暮れた。 午後9時を回った頃、先程の老人が彼の姿を見つけて声をかけてきた。 「まだ居たのだね、ほれパンを持って来たから、食べなさい。食べたら終わったら家に戻りなさい」と、抱えていた紙袋を開けて菓子パンを2つ差し出してくれた。 「ありがとうございます」 祐二は頭を下げて、そのパンを受け取った。 老人はすぐに立ち去った。 夢中でパンを貪った。そして、公園の水飲み場で水を飲んだ。 落ち着くと再び考え込んだ。 結論は、今晩はこの地で野宿することだった。 寝られそうな場所を求めて、しばらく子安の町をさ迷った。 1時間ほど歩き回ると、大きなコンクリートの土管が置かれた空地に辿り着いた。 土管は、数本重ねられ置かれている。 一番下の土管の穴に、潜り込んだ。 晩春でも夜の野宿は冷えた。 翌日、陽が登るとすぐに目が覚めた。 家に戻るつもりだった。 父親が居なくて鍵がなくても、何とか貸し家の自宅には入れる。 家に戻れれば、少なくとも夜露は防げる。 食料の問題は、二、三日分なら、恋しい亮子に差し入れを頼むつもりでいた。 それから先のことは、頼れる人もなく具体案がなかった。 父親の暴力や身勝手な振る舞いに対する恐怖感はあったが、自宅に戻る以外の選択肢はなかった。 すぐに新子安の駅前においてあった自転車に乗って、先ずは東京を目指した。 児童相談所 昼過ぎには港区の芝付近に着いた。 高くそびえ立つ東京タワーを見つけた。 (東京タワーへ行こう、水飲み場もトイレもある。ゴミ箱を漁れば、弁当の残飯ぐらいあるかもしれない) 東京タワー1階のおみやげ店などが入るフロワーは、入場が無料だった。 地方からの団体客や、修学旅行の学生で溢れていた。 先ずトイレに入った。 用を済ませ、洗面台で顔と手を洗った。水も飲んだ。 混雑するフロワーの中をしばらく歩くと、足元がふらついてきた。 空腹で倒れそうだった。 混雑するみやげ店に入った。 おいしそうな豚饅頭の袋が目に留まった。 手を伸ばして、その袋を掴むと学生服の下に隠した。 すぐに、その場所を離れて小走りに外に出た。 その少年の後を追いかけて来た中年の男が、彼の肩を押さえた。 「一緒に警察まで来てもらおうか!」 「えっ警察!?」 「さっき東京タワーのみやげ店で万引きを働いたね、署でいろいろ聞きたいから一緒に来なさい!」 祐二は、事の成行きを察した。 私服の警察官に、愛宕警察署まで連行された。 愛宕警察では、家を出た事情と昨日からの行動を正直に説明した。 但し、自転車を盗んだことだけは本能的に隠した。 電車を利用して横浜の子安まで祖母と母を訪ねたが、転居のために会えなかったと説明した。 その帰り道に東京タワー見物に寄ったと言うと、悲しくなって泣き出してしまった。 1時間ほどの事情聴取の後、私服の男の警察官と制服の婦人警官に引率されて、浜松町駅から山手線に乗車した。 その後、大塚駅で下車し10分ほど歩くと、鉄筋コンクリート作りの建物の中に連れられて入った。 そこは大塚の『児童相談所』だった。 警察官は、何やら事務手続きをしている。 その間、事務所のソファで1時間ほど待たされた。 その後、この施設の事務服を着た坊主頭の職員が、祐二を誘導して階段を上がった。 上部に鉄格子の窓が付いた大きな鉄の扉の前に着くと、 「しばらくここで寝泊まりしてもらう。食事は3食出る。トイレは中にある。風呂は別室だが、毎日は入れない。消灯などの規則は、部屋の中に書いてあるからよく読むこと。仲間が10人ほどいるが、仲良くやれ」と言った。 鍵を差し込み、扉を引くと重く軋む音が響いた。 扉が開けられ、入るとすぐに階段がある。 そこを降りると、そこには講堂や体育館ほどの広い板敷きの部屋があった。 南北に窓がある。二つの窓には鉄格子が組み込まれている。 部屋の片隅には、畳が何枚も重ねられ積まれていた。 部屋の一番奥で畳を数枚重ねた上に、坊主頭のがたいの大きな少年が腕を組んで、あぐらをかいて鎮座している。 他の少年たちは床に寝そべったり、足を投げ出して本を読んだり、ぼんやりと格子窓から外を眺めたりしている。 会話はなく、静まりかえっている。 祐二を背にして起立した職員は、声を張り上げて「新入りの中学生だ。仲良くやれ、名前は自己紹介させるから、後で聞け。『頭(かしら)』は、面倒をしっかり見てやれっ!!」と、大きな声が部屋に響いた。 職員が去ると、頭と呼ばれていた少年が畳から降りてきた。 「名前は?」と、聞いてきた。 祐二は姓と名を名乗った。 その後に年齢と出身を聞かれ、さらに入所の理由、即ち罪状も聞かれた。 それが終わると、ランク付けのための格闘を命じられた。 この部屋における、格付けの順位を格闘で決める。 それを取り仕切っているのが、頭と呼ばれるリーダーの少年。 後で聞かされたことだが、彼はこの部屋の牢名主で、大阪出身の中学3年生。 罪状は、19歳の女性を強姦した「強姦罪」だった。 この部屋に一時保護されている10人あまりの少年は、小学生と中学生で混成されている。 格闘による順位付けによって、ベッド代わりに敷いている畳の枚数、配布されているチリ紙の枚数、トイレの順番などが決まってくる。 頭は、副頭の少年と祐二を最初に対戦させた。 腕力が強くケンカ慣れしている副頭は、簡単に対戦相手の祐二を組み伏して倒した。 そして、頭は「次だ!」と叫んだ。 次の対戦相手は、部屋の3番手の中学2年の少年。 暴力が嫌いな祐二は、殴り合いのケンカの経験もなく、腕力には自信がない。 決闘はなす術もなく、またしても敗れた。 この結果、年の功もあって祐二の順位は、4番手に留まった。 頭の少年は、格闘を終えて満足そうにその結果を皆に喋った。 それは、年下の少年に敗れた新入りの祐二を存分にけなしていた。 「ほんま、弱いやっちゃ。あかん『がしんたれ』やで」 と、大阪弁で軽蔑するのであった。 その言葉を浴びたとき、その昔、継母の実家の親戚から、その『がしんたれ』の言葉を何回も浴びせられたことを思い出した。 確か継母の両親は、大阪出身で就職のため東京に上京してきたと聞いたことがあった。 その日の夕方、祐二はようやくコメの飯にありついた。 正確には白麦米。 貧乏な家庭なので白麦米は慣れていた。勢いよく、がっついて食べた。 少年たちの食事は大部屋でとる。 アルミ製のトレーに、アルミ製の茶碗とお椀が乗せられ、給仕当番がごはんとみそ汁をよそっていく。 おかずは、コロッケなどの揚げ物か野菜の煮物が多かった。 食事が終わると、頭に呼び止められ「先輩によう挨拶せんといかんから、こっちさこい」と呼ばれた。 北側の窓際に連れられて立った。 鉄格子の窓越しに、3階にある別の部屋の窓が見える。 そこには、高校生以上の年かさのいった少年たちが収容されている。 頭が声を張り上げて、新入りの祐二を上級の部屋頭などに報告した。 祐二が頭を下げてあいさつをすると、上級の頭は罪状を尋ねてきた。 祐二に代わって、頭が万引きであることを伝えた。 ここでは、罪状が重いほど尊敬されるらしい。 万引きではとても尊敬されることもなく、誰も祐二には関心がなさそうだった。 相談所の一時預かりでは、必ずしも罪を犯した者ばかりではなく、家出、事故、災害などによって身寄りを失った者も含まれていた。 しかし、非行から罪を犯した少年たちも多く収容されており、一時預けかりを経て少年院に移送される者も少なくなかった。 当時の児童相談所は、現在のような『児童虐待』の業務が主体ではなく、『児童の非行化』問題が主体業務になっていた。 戦後の高度成長期の光と影の中で、浮浪児、不良児などの非行問題が社会問題化し、欧米を範として保護施設の敷設が進み、鉄格子の窓を設置するなど鑑別所的な一時的な預かりの保護施設が整備されていった。 要するに、戦後のベビーブームで生まれた子供らが成長するのに従い、従来の児童福祉法の概念による業務と施設では、対応が困難になっていた背景があった。 犯される ある深夜、祐二は3人組に寝込みを襲われた。 羽交い絞めにされ、腕を後ろ手にされると手ぬぐいで縛られた。 口も、手ぬぐいで猿ぐつわを噛まされた。 2人の少年が、両脇からうつ伏せになった祐二の体を取り押さえた。 残りの少年は、祐二のズボンとパンツを乱暴に脱がす。 むき出しになった尻を叩かれた。 二人の少年が、それぞれ祐二の足を広げた。 肛門と尻の周りに油性のクリームが塗られた。 すぐに、肛門の中に異物が突っ込まれた。 声を上げたが、声にはならなかった。 男が覆い被ってきた。かなり重い。 頭の少年だと思った。長い苦痛の時が続いた。 男に犯された翌朝になっても、肛門にはまだ異物が詰まっているような気がする。 痛みもあってまともに歩けなかった。 ただ、痩せ細った少年は好みではなかったのか、その後は再び襲われることはなかった。 こうして、あっという間に10日間がすぎて、父の庄作が引き取りに現われて祐二少年は船橋の自宅に戻った。 中学校に久々に登校した。 先生から叱責されると、覚悟を決めていた。 しかし、何も咎められる事はなかった。 職員室に呼ばれることもなかった。 欠席した理由すら、尋ねられることもなかった。 級友たちも何事もなかったように、彼に話しかけることもなかった。 後に亮子から聞かされて分かったことだが、担任の教師は、祐二の連続欠席について生徒にかん口令を敷いたそうだ。 欠席の理由なども聞かずに、以前と同じように接することを厳命したとのことだった。 小谷野亮子は、久々に祐二の顔を見ると安堵の表情を作り、いつもの笑顔で迎えてくれた。ただすぐに背を向けて、彼には分からないようにうれし泣きの涙を流していた。 少女は、誰よりも少年の家庭の異常な状態を知っていた。 少年を守ってあげたいと、ますます母性愛を強く意識するのであった。
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