昭和の僕と令和の君

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こんびにの会計に桃色の箱が置かれ「石川県能登半島震災募金」と書かれてある。石川県の能登半島でそんな悲惨な事が起きていたのか、僕は原爆に遭い、住んでいた町も、家も、思い出も全て灰にされた。胸が張り裂けそうになり皮膚が焼けただれる程、石川県の皆さんの気持ちはわかる。どれだけ絶望しただろうか、どれだけ生きる気持ちを踏みにじられただろうか。 しかし、凄惨たる経験をしたのは僕だけではないようだ。似たような絶望を味わった者として、大日本帝国の海軍として僕の財産を石川県の方々に届けよう。石川県の皆さま、大日本帝国海軍でありながら何も支援して差し上げられなかった事、心からお詫び申し上げます。また亡くなられた方には謹んでお悔やみを申し上げます。生きておられる皆さま、わずかばかりではありますが僕の全財産を受け取って下さい。そう祈り、黙祷を捧げた後、僕はがま口財布から二千円を取り出し、募金箱に入れようとした。 「ちょっと待って下さい本郷さん」 「どうして?僕も協力したいんだ」 「そうじゃなくて、昭和二十年の千円札は令和では紙幣として使えないんです。だから令和のお金に換金して募金箱に入れたほうが被災地の皆さん助かりますよ」 「そうだったのか、ところでこの募金箱って令和では売店にずっと置いてあるものなのか?」 「ええ、阪神淡路、九州の熊本、福島県の時もこうやって助けあってます。まあ中にはしない人もいますが」 「いざという時に助け合うのが大日本帝国人ではないのか? それより腹が減った、早くおにぎりを食べよう、どれから食べようかな。塩むすびからいこう」 それにしてもよく握られたおむすびだ。人間の手で握ったとは思えないきちんとした正三角形をしているが、この透明の包装どうやって開ければいいんだ、どこに開け口があるのか分からないぞ。 「本郷さん、番号と矢印が書いてありますよ」 「番号と矢印、壱、弐、参、本当だ。この順番通りに引っ張ればいいんだな。おにぎりろくに食べれないとは大日本帝国人として恥ずかしいよ」 「そんな事ないですよ本郷さん、わたしも初めての時は迷いました」 怒らないのだろうか、僕は「こんな事もろくに出来ないのか大日本帝国人の恥さらしが!」ってよく上官から酷い剣幕で怒鳴られたものだが、何故かお袋に言われたように温かい。
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