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夜。
同居人とふたり一緒に帰宅するということは、部屋に灯りが点っていないということだ。誰も部屋に居ないし待っていてくれないのだからしかたがない。
灯りだけではない。暖房も落としているので室内は屋外と変わらない寒さだ。
なんなら車の中は汗ばむくらい暖房が効いていたし、下車して歩く間も同居人に肩を抱かれていたし、彼が風避けになってくれていたしで、寒さを感じることはなかった。
その彼ときたら部屋に入るなりコートを脱いで暖炉に火をおこしたりバスタブに湯を張ったり忙しくしていて、もう少し側に居て欲しいという気持ちにちっとも寄り添ってくれない。
「寒い」
呟くと吐いた息は白かった。肩を竦めてコートの襟をかき合わす。
暖炉の前にしゃがんでも小さな火種は頼りなく、暖をとるのは諦めるしかないようだ。
「マフラーくらい外したらどうだ」
「やだ」
彼は、俺よりとおも若い癖にとか少々嫌味を言いつつ、先に風呂に入るよう促す。彼は普段からシャワーしか使わない。お湯を張ってくれているのは自分のためだと、わかっているし、嬉しいが今は少々モヤっている。
彼の後についてキッチンに行くと、そこは一ランク強力な寒さが陣取っていた。ぷるっと身体が震える。マフラーに口も鼻も埋めた。
「寒い」
彼は、ウイスキー?ブランデー?自分は飲めないから種類はさっぱりだが、ボトルと氷の入ったグラスを手にしていた。
「寒いなら風呂に」
「おなか空いた」
「……今夜のパーティーは三ツ星店が揃ってたろ、完食してもいいから食っとけって言ったじゃないか」
「取引先のお偉いさんを放っておいてもぐもぐしてらんないだろ」
「お前はまだ研修生なんだから雰囲気に馴染むくらいでいいと言ったろう」
「……でも」
「雰囲気に飲まれた?」
「そんなことは……」
ふっ、と口許に笑みを浮かべた彼は暖炉前のローテーブルに酒のボトルとグラスを置くと、傍らのソファーに座って手招きした。誘われるまま近付くと腰を引いて彼の膝に座らせられる。コート越しに抱きしめられた。彼の体温が伝わってくる。強ばっていた身体と心が少し解れた気がした、のに。
ふたつボタンを外したシャツの胸に顔を埋めると微かに鼻をくすぐる移り香。
瞬時に強張るのがわかった。身体も心も表情も。
たぶんきっと彼も気付いた。気付かれた。
直ぐにひとつの場面が浮かぶ。
パーティーの大半、彼の傍らで笑っていた女性。
確かに側に居たけど、こんな──
ふわ、と目尻に熱が集う。
「誤解ないよう言っとくけどな」
彼の吐息が耳に囁く。
「これは女避けだ」
そう言って鞄から小瓶を摘まみ上げた。花の香りの香水の小瓶。摘まんだそれを鼻先に近付けて「な?」とウィンクしてみせお前も使えよ、と微笑んでグラスを呷った。
確かに彼からする香りと小瓶の香りは同じだけれど?
視線に含ませた意味に気付いた彼は僕を立たせ風呂へ行けと言った。
「ゆっくり温まっておいで」
「でも」
「パンケーキを焼いてあげる。腹減ってるんだよな?」
なるほど。
僕のことは胃袋から懐柔することにしたらしい。
「うーんと甘くして?」
「わかった」
「ジャムとメープルシロップと蜂蜜と」
「粉砂糖もたっぷりかけて、だろ」
夜中に甘いもん食って太ったって泣くなよ?と言う彼の声を背中に聞いてバスルームに向かう。
今夜は彼の思惑どおり懐柔されてあげよう。パンケーキは大好物。
寒い夜はおなかがへるのだ。
そして空腹は嫉妬の母なんだ。
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