4

4/5
前へ
/77ページ
次へ
◇ 「もう理央に付き合ってられない。私、帰るから」  理央を残しカフェを飛び出した茜音は、吉祥寺駅へと早足で向かっていた。  洒落たレストランや居酒屋が並ぶ中道通りは19時を過ぎたこの時間帯、多くの人で賑わいを見せている。道端には先日の雪がまだところどころ残っており、街灯や店の明かりに照らされてかすかに青白い光を放っているそれは、日常からすっかり忘れられた遠い記憶の残骸のようでもあった。  何度も後ろを振り返る。雑踏に紛れてナイフを手にした理央がそこにいるのではないか、という焦燥感が息を荒くする。  理央の言動は明らかに尋常ではなかった。茜音は、嫉妬に狂った理央が有川を刺したことを確信していた。  だけど、どうして。  理央はちょっと天然な性格で、可愛く優しい素直な後輩だったはず。それがこの数日で、まるで別人のように変わってしまっていた。そう、狂気に取り憑かれたように。  あの日、染谷はこう言っていた。  『ああ見えて理央のやつ、家ではめっちゃ怖いんだ。浮気したなんて言ったらマジで殺されるかも』  その時は軽い冗談かと思ったが、今となっては本当に思える。理央は裏では全く違った恐ろしい側面を持っていたのかもしれない。誰だって、それがどんなに親しい友人であったとしても、見えている心や性格は氷山の一角に過ぎないのかもしれない。本当の心は、深く冷たい水の底に静かに眠っている。  いずれにしても理央は、染谷の浮気に気づいたことが切っ掛けとなり、ずっと隠していた別の人格が暴走したとしか思えなかった。勘違いで有川を襲い、そうしてどうやらあの口ぶりだと、染谷の浮気相手は茜音だと勘づいたようだ。次に狙われるのは、まさしく自分だろう。  はっと気づいて立ち止まる。そう言えば、無断欠勤をしたまま姿を見せない染谷は、理央が言う通り、本当に風邪で寝ているだけなのだろうか。  まるでサイコパスのように有川を刺した上に拷問までやってのけた理央のことだ。染谷が無事だとは信じにくい。  染谷は同期だし、結婚する前はよく一緒に飲んで会社の愚痴を溢したり恋愛の相談を受けたりした仲だ。このまま放ってはおけない。  スマホで染谷に電話を掛ける。だが、呼び出し音が鳴り続けるばかりで一向に繋がらない。  焦りが怒涛のように押し寄せてくる。通話を切って、しばし逡巡した。
/77ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1716人が本棚に入れています
本棚に追加