4

5/5
前へ
/77ページ
次へ
 警察に話すと言ったら、理央はミチルのことを持ち出した。それが表に出たら、つまり理央がバラしたらということだろうが、とんでもないことが起きるだろうと。  だけど、今となってはミチルと呼ばれた小さい頃の苦い体験がどうなると言うのだろう。確かに理央がその秘密を知っていたのは謎だが、だからと言って大人になった自分に大きな影響を及ぼすなど到底考えられない。  以前、そのことを葉月に話してみたことがある。彼はあっさりと、それはおそらく一種の集団ヒステリーだなと答えた。  集団ヒステリーとは、集団においてひとつの感情がみんなに伝播して、異常な行動が同時に発生することらしい。葉月の分析によると、ミチルの死がクラスメートの心のどこかに恐れとして残り続けていて、友達のゆいちゃんが茜音のことを「ミチルちゃん」とつい呼んでしまったことを切っ掛けに、一斉にみんなが妄想に憑かれたようにその名を呼び出したのでは、ということだった。  そういった混乱は、自我が確立していない幼少期にありがちだ。彼はそう付け加えた。  はっきりしている。。あれは集団ヒステリーだったに違いない。だからといって、今になってなにか悪いことが起きるわけでもない。  思い直してスマホに110の番号を打ち込む。大きく息を吐いて、出来うる限り心を静めた。 「はい、警察です。事件ですか事故ですか」 「あ、あの。昨夜、有川香澄さんが刺された件で、お話したいとこがありまして。吉祥寺警察署の高山さんに繋いでもらえますか?」 「申し訳ございません。そういった場合は吉祥寺警察署のほうに直接電話をお掛け頂きたいのですが」 「でも、急ぎなんです。なんとかお願いできないでしょうか?」  しばしオペレーターは沈黙する。切羽詰まった口調に、どう対応して良いか迷っているようだ。高山に良い印象はないが、それでもそこらの警官よりは、真っ当に話を聞いてくれそうな気がしていた。 「……わかりました。吉祥寺警察署の高山ですね。高山の方から折り返しお電話しますので、お名前とお電話番号を教えてください」  思わずほっとする。名前や電話番号以外にもいろいろ聞かれて、電話を切った。  このまま高山からの電話を待つべきだろう。茜音は通りの端に寄ると、シャッターの閉まった不動産屋の前に所在なく立ちすくんだ。  辺りを注意深く見渡して、行き交う人々のなかに理央の姿が潜んでいないか確認する。  落ち着こう、大丈夫。理央はいない。高山が来れば全て解決するに違いない。  ふと、目の前を通るビルの隙間の細い路地に目を向けたとたん、時が止まったような感覚に囚われた。  街灯もなく薄暗いその路地は、ひっそりと静まり返っている。だけど目を凝らすと、その奥にひとりの男が浮かび上がった。  じっと茜音を見つめているその小柄な男は、まるで蝋人形のように動かない。暗がりで顔はよく見えないが、茜音には確信めいたものがあった。  それが、裏原であると。  電話が鳴る。おそらく高山からだろう。  だけど茜音は電話には出ず、呆然としたまま引き寄せられるように路地へと入っていった。
/77ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1717人が本棚に入れています
本棚に追加