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「生前、と言ったら変な話ですが……私がこっそり河西さんに付き纏っていたことを、ご存じでしたよね?」 「ええ。警察から聞きました。なんで、そんなことをしたんですか?」 「こんな中年男がストーカーまがいのことをするなんて、よっぽど気味が悪かったでしょう。河西さんには申し訳なく思ってます。だけどあれは、私の意思じゃないんです」 「意味がよく、わからないのですが」  裏原は顔を曇らせて、ゆっくり辺りを見渡した。それはなにかを気にするように。  だが、フロアにいる僅かな客は、こちらを気にする様子もない。小声で話していたから、話を聞かれることもなかっただろう。にもかかわらず、裏原はしきりと左右に目を泳がせた。   「誰も聞いてないと思いますけど」 「ええ、生きている人はね。私が恐れているのは、見えない存在です。『死人に口なし』と言いますが、私はこうやって河西さんと話をしている。これは、『それ』にとって良くないことなんですよ」 「それ、とは?」  ふうとため息をつくと、裏原は改めて茜音に目を向けた。その目に今では怯えが垣間見える。幽霊としてはまるで似つかわしくなく、まるで生きている人間が見せるような露わな感情に茜音は戸惑った。 「河西さんは、ミチル、に関してどこまで覚えていますか」 「またミチルですか。どうして皆んな、それほどミチルに拘るんですか。どこで聞いたか知りませんけれども」 「それはミチルが、私みたいな瑣末(さまつ)の幽霊とは次元の違う、とてつもないバケモノだからです」 「バケモノ?」 「そうです。ミチルはとてつもなく恐ろしい負の力を秘めています。巨大な悪意の塊と言ってもいいでしょう」 「まさか。ずいぶん昔、ミチルは子供の時に亡くなったんですよ。もうこの世にはいません」 「待ってください。この世にはいないはずの私と河西さんは今、こうやって話をしてるじゃないですか」  茜音は口をつぐんだ。確かにそうだ。こうやって話をしていると、あまりにその姿がリアルすぎてつい忘れそうになってしまうけど、裏原は幽霊だ。そう思うと、今更ながらに背筋が凍えた。 「わかってくれましたか?」 「ミチルって、いったい……」 「いいですか。正直に話しますから、落ち着いて聞いてください。あれは去年の夏でしたか、営業管理部に異動となってすぐのことです。早朝に目が覚めた私は、とある異変に気づきました。頭のなかに自分じゃない別の誰かがいるんです。それは自分の意志に反して、勝手に命令を下しました。『河西茜音について徹底的に調べろ』とね。(あらが)おうとしても無駄なんです。私の脳の一部が乗っ取られ、河西さんに関しての情報を集めざるを得ませんでした。毎日のように尾行して、河西さんの行動や人間関係を調べるしかなかったんです。それほど、命令は強制的なもので、逆らえば殺されるといった強迫観念に日々襲われていました」 「病院には行かなかったんですか? 精神が病んでいたようにも聞こえますけど」 「確かに私もそう思いました。でも、そいつが病院に行くことを許さなかったんです。気づくと私は、従順なまでに命令に従う下僕と化していました。取り憑いたそいつは、私から全ての自由を奪ったのです」 「取り憑いた……それが、もしかしてミチル……」 「ええ。そいつは自らをミチルと名乗りました。言わば、ミチルは私の脳に出来た腫瘍みたいなものです。その腫瘍は日々、どんどん膨れ上がり、いつしか私の脳はミチルに完全にコントロールされてしまいました。別の言い方をすれば、憑依されたと言っていいでしょう」 「なぜ、ミチルは裏原さんにそんなことを」 「さあ、わかりません。でも、ミチルは河西さんに対して、とてつもない怒りを放っていたのは確かです」 「ちょっと待ってください。ミチルは小学校の時にクラスメートだっただけで、殆ど関わりはなかったはずです。なのに、今頃になって恨まれる理由がわかりません」 「本当に河西さんは、ミチルとの間に何もなかったのでしょうか?」  茜音は必死に記憶を探った。だけどミチルのことは、やはり何ひとつ思い出せない。海で事故死したこと以外は。
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