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◇  茜音は見知らぬベッドで目が覚めた。  はっとして飛び起き、辺りを見渡す。そこはごく普通のホテルの一室のようだった。自分がハダカなのに気づき、反射的に慌てて毛布を胸に当てる。バスルームから水の流れる音が聞こえた。誰かがシャワーを浴びていることに気づき、身を固くする。状況から判断すると、どうやらこれは良くないことに違いない。  茜音には大学時代から付き合っている彼氏がいる。だが、シャワー室にいるのは彼氏ではないだろう。隣駅に住んでいて近く、どちらかの家に泊まればいいから、ホテルなんて普段は全く使わない。  枕元にスマホがあるのに気づき、手に取った。時間を見ると早朝の6時前だ。  磨りガラスごしに差し込む陽の光はまだ弱く、部屋は薄暗い。さほど寒さを感じないのは空調のおかげだろう。  頭がずきずきと酷く痛む。まるで耳元でシンバルを叩かれているようだ。飲んだ翌日にこんな経験は初めてのこと。これが二日酔いというものなのだろうか。  床には茜音の服や下着が投げ捨てたように散乱していた。どうしてこんな場所に誰かといるのか、さっぱりわからない。ベッドから飛び起きると、急いで下着を身につけながら昨日の記憶を必死に探った。  裏原の送別会に行ったことは覚えている。  夜になっても、まだ雪はちらついていた。茜音は会社を出る直前に電話がかかってきた自分が担当する代理店の対応に時間を取られ、送別会場である駅前の居酒屋には1時間遅れで到着した。 「おう、やっと来たか。河西ちゃん、キミ優秀なんだから仕事なんかちゃっちゃと終わらせなさいよ。さあ、こっちこっち」  座敷に上がるとすっかり出来上がった庄司部長に呼ばれるがまま、その隣に座る。  送別会は盛況だった。いや、いつだって会社の飲み会は盛り上がる。部長命令で全員しこたま飲まされるからだ。営業管理部の30名ほどが集まっており、主役の裏原は上座に座っていたが、赤ら顔の社員たちは裏原のことなど誰一人気にかけずに仕事の話題で盛り上がっていた。  裏原はひとりぼおっとテーブルの上の料理を見つめていた。それしかすることが見当たらないというように。それはまるで騒がしいサルの群れの中に陰気なモグラが迷い込んだような酷く場違いな雰囲気だった。  茜音も席に着くなり、四方八方からビール瓶を向けられ息つく暇もなくひたすら飲まされる。だけど昔から酒には強い。どんなに飲んでも意識をなくしたことなどこれまで一度もない。ひとしきり庄司部長の相手をさせられた後、部長は若手の部下から声を掛けられ、それでやっと解放された。息をついて、ふと裏原に目を向けると。    驚いたことに裏原はいつからか、ずっと茜音を見つめていた。  それは朝に話したときと同じように、表情をすっかり消した顔で。  慌てて視線を外すと、茜音はぞっとした。その濁った目の奥で、裏原は語りかけていた。すべてを知っているぞ、と。  どうして自分の過去のあだ名なんか知っているのか聞いて確かめたかった。送別会が終わればもう二度と裏原と会うことはないだろうからこれが最後の機会だ。だけどその目を見た瞬間、茜音は大蛇にからだを巻き付けられたかのように、動けなくなってしまった。
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