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 反射的に茜音はドアを閉めようとしたが、その寸前に染谷はすっと隙間から体を滑り込ませてきた。  思わず悲鳴を上げる。 「ど、どうして……!」 「しっ。静かに。大声を出さないで」  染谷は人差し指を口に当てると、聞き耳を立てた。表はしんと静まり返っている。どうやら茜音の悲鳴に、誰も気づかなかったようだ。  靴を乱雑に脱ぐと、勝手に家に上がって来た。茜音は染谷の無言の圧に押されるように廊下を後退りしながらリビングまで到達してしまう。染谷は茜音の部屋をすばやく見渡し、他に誰もいないことを確認した。 「ベッドに座って」  染谷の命じるがままに、ベッドに腰掛ける。恐怖でからだがわなわなと震えている。  染谷はそんな茜音を強張った顔でじっと見つめ、思い出したようにフードを頭から外す。その顔は汗にまみれ、髪も乱れて無精髭が生えている。かつての染谷とは全く異なる荒ぶった雰囲気を放っていた。  緊迫した空気に耐えられず、茜音は声を張り上げる。 「そ、染谷くん! なんであんなことを!」  その大声に染谷はぴくりと眉を動かしたが、表情を変えぬまま大きくふうと息を吐くと床に座りあぐらをかいた。そうしてぽつりと声を零す。 「……話しても、信じてもらるかな」 「信じるかどうかは、話してみないとわからないじゃない」 「そうだな……じゃあ、聞いてくれ。裏原さんの送別会が終わったあとだ。外へ出たとたんに、どうしてだかいきなり頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。その後の記憶はすっかり無くしてしまって」 「ちょっと待って。ブルームーンのことで私と裏原さんが揉めているのを見たって、そう言ってたじゃない」 「そうだっけ……ああ、あれは嘘だよ。関係を持ってしまったのは、河西が悪酔いしてたせいにしてしまいたかったんだ。じゃないと、俺が意識のない河西をホテルに無理やり連れ込んだように思われるから。本当はあの時河西は酔ってなかった。どこかぼんやりはしてたが」 「嘘だったんだ……」  裏原と染谷の話が食い違ったのは、染谷が嘘をついていたからだった。その嘘のせいで、齟齬に気づいた葉月に浮気を告白せざるを得なくなり、純粋な彼を酷く傷つけてしまった。今でもそれを悔やんではいるが、でも、正直に告白したのは結果的に正しかったと思う。ずっと後ろめたさを抱いたまま葉月と付き合うのは耐えきれない。 「気づくと朝で、ホテルで隣に河西が寝ていて……どうしてこうなったかわからずに、理央になんてごまかすかだけを必死に悩んでたのは覚えている。今思えば、そんなのは大した問題じゃなかった。だけど、河西と別れたその直後だ、ミチルという人格が突然心に現れたのは」 「ミチル……」 「やっぱり河西は知っているんだな、ミチルのことを」
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