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 染谷が結婚した相手は、同じ部署のふたつ年下の後輩である理央(りお)だ。その可愛らしさと天然系のキャラで男性社員からの人気も高かった。染谷と付き合っていることは誰も知らず、突然結婚を発表した時には、数多の男たちからため息が漏れ出ていた。  噂では、理央に惚れ込んだ染谷が何度断られても挫けずアタックし続けていたらしい。見た目は軽そうだが、好きな女子にはとことん一途でマメなところに理央も結局は陥落した。1年の交際期間を経て、やっと結婚したばかりだ。  染谷は参った、参ったと言いながら渋い顔でスマホを見つめている。 「うわーっ。理央から鬼ライン来てる!」  頭を掻きむしる染谷に、茜音は顔をしかめた。 「ねえ……どうしてこうなったか、ちゃんと説明してくれる?」 「記憶がない」 「えっ?」 「昨日の送別会のあとの記憶がないんだ。目が覚めたら隣でハダカの河西が寝てた。マジ、最悪」 「こっちだって最悪なんだけど。私だってカレがいるし、それに理央ちゃんにも合わせる顔がないよ」  茜音も理央のことは入社当時から可愛がっていて仲がとても良かった。結婚を機に総務部へ異動となった今だって、ランチは一緒に食べているし、会社が終わった後に吉祥寺の洒落たレストランへ行ったりもしている。後輩とはいえ、友達みたいな関係だった。 「まあ、酷く酔っ払っていたのは確かだ。河西さあ、もしかしてそっちから誘ったんじゃないの? 朦朧としている俺をホテルに無理やり連れ込んだ。ワニが哀れなカワウソを不意打ちするみたいに、がばっと」 「私は肉食系の獰猛なワニ女子なんかじゃありません。それに染谷のどこが哀れなカワウソなわけ。勝手に自分を可愛くしないで。あのさ、本当に覚えてないの?」 「そう言う、河西はどうなんだよ」 「全く、記憶にない……」  もはやため息だけが部屋を支配していた。逃げた幸せを探す気力すら消え失せている。染谷はスマホを見つめたまま動かない。おそらくどう返答すればいいか悩みあぐねているのだろう。 「じゃあさ、染谷。最後に覚えていることは、なに?」 「んーっと、なんだろう。店から出た後で、酷く酔っ払った河西がいきなり空を指差して飛び跳ねたんだ。『見て見て! ブルームーンだ! きっとみんな、幸せになれるよ!!』って子供みたいに大きな声ではしゃいでね」 「ちょっと待って。酔っていた? 私が?」 「うん。ふだん河西が酔った姿を見たことがなかったから、めずらしいなとは思ったんだ。その時、いつの間にか背後に立っていた裏原さんが、河西にこう言った。『違いますよ。ブルームーンは海外では不吉の前兆と言われているんです。おそらく、とても悪いことが起きる』ってね。そうしたら河西が怒っちゃって、なんだかわけのわからないことを裏原さんに怒鳴り散らかしたっけなあ」 「私が裏原さんに怒鳴ったって、全く覚えてないんだけど」 「そりゃあ、もう罵詈雑言の嵐というか……とても口にはできないスラングだらけの酷いものだったな。部長が必死に止めていたよ」 「はあ、どうしよう」  酔っていたこと自体驚きだが、ほとんど面識のないまま退社する裏原に当たり散らかしていたとは。  確かに朝の出勤時にいきなりあんなことを言われて、酷く混乱し裏原のことを意識していたのは間違いないが、それにしても。 「とにかく……俺の記憶もそこで止まってる。気づいたらここで河西と一緒だったんだ」 「そう……」 「なあ、河西。理央にどうやってごまかすのがベストだと思う?」
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