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◇  その日はまるで仕事が手につかなかった。昨日から色々なことが起こり過ぎていた。  送別会で記憶を失い、染谷と寝てしまったこと。そして、理央はどうやら染谷の浮気に勘づいたらしい。相手の女を探し出して殺してやる、と言い放ったあの目は尋常じゃなかった。今まで仲良くしてきた理央とは全く異なる、見たこともない恐ろしい悪意が溢れ出ていた。  そして、裏原が死んだこと。これまでは意識することもなかったが、昨日の朝、駅前で出会ってからずっとあの纏わりつくような視線に取り憑かれていた。なぜ、遠い過去にミチルと呼ばれていたことを知っていたのか、その理由も聞き出せぬまま死んでしまった。いつしか凍えてしまうような風が吹いている。これからとても悪い何かが起きそうな、そんな予兆が頭の中にむくむくと湧き起った。  心が落ち着かないまま、やっとのことで仕事をこなし、終業のチャイムが鳴る。  いつもなら1、2時間は残業するが、今日はとてもそんな気分になれなかった。  会社から出て凍える心をコートで押さえつけながら吉祥寺駅に向かおうとすると、がっしりとした体格のスーツ姿の男がすっと近寄ってきた。 「河西茜音さんですよね?」 「そうですが……」 「私、吉祥寺警察の高山と言います」  高山と名乗った男は、表情を顔に出さずにそう言う。歳は40歳くらいだろうか。まるで歴戦の兵士みたいなごつい顔をしている。おそらく刑事だろう。射抜くような鋭い目つきで茜音を見つめていた。 「何の用でしょうか?」 「亡くなった裏原さんのことで少しお話がありまして」 「は、はい」 「そこに車を停めてますので、ちょっとお時間頂けますか」  有無を言わさぬその口調に、茜音はうなずくしかなかった。高山は中央通りの脇に停めた黒いセダンに茜音を案内する。  後部ドアを開かれ、茜音はおずおずと車に乗り込んだ。高山はドアを閉めると車の反対側に周って何も言わずに茜音の隣の席に遠慮なく座り込む。その動作には、全く無駄がなかった。 「急にお呼び立てして、申し訳ございません」  全くすまなそうな気配もなく、極めて事務的にそう言う。 「裏原さんが亡くなったのは、事故なんですか? それとも……」 「それはまだわかりません。事故と事件の両方から取り調べを行なっております」 「そうですか。それで私にどんな話が」 「河西さんは、裏原さんとどのようなご関係がありましたでしょうか?」 「どんなって……会社の同僚でしたけど、殆ど関わりはありませんでした。話したことも、ほんの数回程度でしょうか」 「河西さんから、裏原さんに特別な感情を持たれていたことは?」  唐突に心をなぶられる。  高山は、いったい何を言っているのだろう。茜音は気分が悪くなった。 「あの。もしかして、私のこと疑ってますか?」  強めの口調でそう言うが、高山は全く動せずに茜音をじっと観察していた。そして、ゆっくりと首を横に振る。 「いえ。誤解されたのならすみません。実は裏原さんの自宅を捜索したところ、このようなものが発見されまして。気分を悪くされるかもしれませんが、見て頂けますでしょうか?」  茜音が返事する余裕すら与えず、高山は使い込まれた革製のビジネスバッグから一枚の写真を取り出しそれを茜音に渡す。  それは古くて狭い部屋の写真だった。だが異様なのは、壁を埋め尽くすように膨大な写真が貼られていることだ。  じっと見つめた茜音は、あることに気づいて思わず叫びそうになった。とたんに心臓が早鐘を打ちうまく呼吸ができなくなる。  それらは全て、茜音を隠し撮りした写真だったからだ。
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