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 翌日の夜、茜音は理央を誘って吉祥寺の老舗カフェに来ていた。昼間は賑わいを見せる有名店であっても、閉店近くのこの時間ともなれば客もまばらだ。それは茜音にとって都合が良かった。まわりに人がいては、こんな話などできない。 「わあ、ここに来るの久しぶり。モンブランが濃厚で美味しいんですよね」 「奢るから、なんでも好きなの頼んでいいよ」 「本当ですか。嬉しい! でも夕飯前にケーキ食べたりしたら太っちゃう」 「じゃあ、ドリンクだけにすれば?」 「うーん、でもやっぱりせっかくだから食べちゃおうかな。夕飯は別腹として」 「普通、逆でしょ。ところで染谷は昨日も今日も無断欠勤してるみたいなんだけど、どうしたの?」 「えーっ、あいつ会社に電話してないんですか? 大丈夫ですよ、ちょっと風邪をひいたみたいで家で寝てます。たいしたことないのに」 「そっか。それならいいけど」 「あっ! こっちのミルフィーユも美味しそう!」  嬉しそうにメニューを眺める理央は、茜音の知っている可愛らしい理央そのものだ。  たまにこうして理央とはカフェ巡りをしたりするが、今日誘ったのは特別な理由がある。その件に関して、茜音はどうしても理央に確かめずにはいられなかった。 「決めました! モンブランとはちみつレモンティーにします!」 「いいね、はちみつレモンティー。私もそれにしよう」  店員を呼んでオーダーを終えると、茜音はさっそく本題を切り出した。 「派遣の有川さんのこと、そっちの部署でも話題になってる?」 「ええ、もちろん! だって大事件じゃないですか!」  営業管理部の派遣社員である有川香澄。彼女は昨夜帰宅途中に、人気のない裏通りで何者かによって刃物で胸を刺された。  それだけではない。両手の爪が全て剥がされていたと言う。岩崎課長に「あの子は仕事よりネイルが大事なんだ」と言わしめた自慢の爪を。  幸いにも一命は取り留めたものの意識は戻らず、ICUに入ったままだ。犯人も見つかっていない。  裏原に続いて立て続けに起きた悲惨な事件に、職場はパニックを通り越してすっかり沈み込んでいる。岩崎課長は憔悴しきったようにぽつりと呟いた。「呪われているのかな」と。まわりにいた誰もが、その言葉に頷きため息を溢した。  有川は、染谷が結婚した途端にやたらべたべたとアプローチをかけていたのを茜音は知っている。流行りの略奪愛とでも言うのだろうか、そういう嗜好だったのかもしれない。  裏原の送別会でも、染谷の隣に陣取ってずっと体を寄せていた。それはすっかり彼女のような振る舞いで、茜音も気分が悪くなるほどだった。もし理央が見たら、激怒していたことだろう。  いや、激怒だけでは済まなかったのかもしれない。  昨日の昼食時、一瞬理央が見せた普段とは違う違和感、というか恐ろしいほどの殺気。  染谷と浮気した相手を探し出して、殺す。  冗談めかしたその言葉から、茜音はただならぬ決意を確かに感じ取っていた。  もしかすると有川を襲ったのは理央ではないか、その疑念が一日中頭から離れることはなかった。  もちろん本心から理央を疑ってはいない。誘ったのは話をしてつまらない疑念を晴らしてしまいたかったからだ。だから、さりげなく探りを入れてみる。 「有川さん、助かればいいけど。でも身近でこんな事件が起きるなんて、ほんと怖いよね。犯人はどんな奴だろう」 「犯人、私にはわかりますよ」 「えっ」 「爪を剥がすくらいだもの。有川さんによっぽどの恨みを持った者の仕業でしょう」 「そうね……誰に恨まれてたのかな」 「もう、河西さんてばっ。わかってるくせに」  無邪気な笑顔でそう言う理央に、茜音はどきっとした。
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