奇跡の終わり

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奇跡の終わり

 虚無な日々はあっという間に過ぎてゆく。着々と進む準備をまるで他人ごとのように眺めながらリーナは拷問に等しき毎日を消化していた。心の中は絶望を通り越してしまい、逆に落ち着きはらっているかのようにまで悪化していた。自分ではない、何か別のモノが勝手に動いているかのような錯覚に陥っていた。使用人達はいない。母はいない。兄もいない。父は知らぬ間に行方知れず。片隅に残っていた唯一の希望たる少年もいない。自分にはもう誰も味方などいない。まともに睡眠も食事もとっていないリーナはやせ細っていったが、誰も注意を払うことはなかった。  時間が流れてゆく。  静かに。  しかし確かに現実の時間は刻々と処刑執行日に近づいていく。そしてとうとう、式を翌日に控えた日に、彼女は違和感を覚えた。虚無の中でも人々が行き来する気配くらいは感じていたのだが、ここ数日それが妙なのだ。耳をすませれば階下からは慌ただしく怒号のようなものは伝わってきた。少しばかり漏れ聞こえる音を拾ってみた。 「ヤツを止めろ!これ以上進ませるな!いい加減仕留めるんだ!」  ドーンという謎の衝撃が走る。火薬の飛び散る音だ。戦場に相応しい匂いはあるが、こんなところへ今更戦いを挑む愚か者がいるのだろうか?どのみち死ぬ覚悟はできていたリーナはやがて静かにベッドへ腰かけ、歌をうたいだす。その時が訪れるのを待つつもりだった。どちらの陣営が勝っても興味はない。もうどうにでもなればいいと思っていた。  戦いの怒号と彼女の美声が重なる。ところが知り得る限りの歌をうたい終えても戦は終わらない。何度も何度も同じ歌を繰り返した彼女。全ては狂気に包まれていたといっても過言ではない。静かに淡々と彼女は歌うのだった。どのくらい時が過ぎ去ったであろうか、いつの間にか周囲は静まり返っていた。  勝者が自分を迎えにくる、そう思っていたリーナをしかし現実は裏切った。待てども待てども誰も彼女を迎えには来なかったのである。喉は枯れはて、痛みが酷い。とうとう彼女は歌うのをやめ、寝床へ静かに横になる。断罪の時を待つつもりであった。だれかがそのうち処分に来ると信じて瞳を閉じた彼女は、いつのまにやら寝てしまっていた。様々な夢をみた気がする。子供の頃にしでかした苦い失敗、頑張って両親に褒めてもらった嬉しい思い出、兄妹と両親そろって笑い合ったあの日々、そして一人の少年との出会い、本当に色んな夢を見た気がした。 「生きてる」  ふと起き上がり彼女はそう呟いた。起床する頃にはこのまま息絶えていると心の中で思っていたから。不思議に感じ体を見るが、外傷ひとつない。それどころか幽閉されていた部屋に誰かが侵入した形跡すらなかった。  彼女は静かに立ち上がる。  窓辺に差し込む光を頼りに外へと視線を向けると、丁度真下に一人の青年がいた。  全身から血を吹き出し、ピクリとも動かない彼。それは暗殺されたと言われたユーリーその人に間違いなかった。いく年経とうと見間違うはずはなかった。 「ユーリー!」  リーナは大声で叫んだが、青年は動かない。彼女は久しく忘れていた感情を思いだす。  恐怖。  何も考えられなかった。  そんな彼女を尻目に幾人かの兵士達が彼を取り囲む。その中には件の仇も加わっていたのが確認できた。彼等の瞳には一様に憎悪の色が燃え盛り、今すぐその手で青年の首をかき切らんとしていた。だから彼女は飛び出した。大地から離れた塔の窓辺からその身を投げたのである。人の身で耐えられるはずのない衝撃が彼女に待ち受けるはずだった。  少女の身が折れ曲がらんとするその瞬間、カッと青年の目がひらいたのである。 「リーナぁ」  彼の手にしていた斧が光輝き、噴煙が舞い散る。七色の強い風圧が周囲に発生し、少女の周りを覆い尽くした。まるで奇跡だった。寸前の合間に奇跡が起こったのだった。リーナと呼ばれた少女を襲う衝撃は完全に相殺され、ゆっくりと地面に降り立つ。彼女はハッとして青年を見る。青年もまた少女を見る。それは数年ぶりの再会であった。最後に会ったのは、別れはいつであったか、思い出すこともできない。 「お久しぶりです、リーナ様」  彼は屈託のない笑顔でそう言った。リーナはそんな彼にひしっとしがみついた。その顔からは一筋の涙が零れ落ちる。言葉は何もでてこなかった。 「お話したいことは山ほどありますが、今は自重致します」  彼はそう言うと、斧を構え直した。その不可思議な斧にはいくつもの血潮がこびりつき傷んでいるようにも見えたが、その輝きは決して色褪せてはいない。 「貴様ぁぶち殺してやる!」  仇の男がそう張り上げると、両手持ちの大剣を振りかざした。ユーリーはそれを斧で受け止めると勢いよく膝をついた。かなりの衝撃が彼をおそったのだろう。体格はほぼ互角といったところだが、ユーリーは手負い。傷から察するにかなりの重傷だと言える。ここまで一人で戦い抜いたのが奇跡とも思えた。それでも彼は片手でリーナを抱き留めつつ、もう片方の手で自在に斧を扱い、対面する男の大剣を器用にさばいてゆく。まるで斧に操られているように。一人、二人と、小刻みに正確にその息吹をかりとってゆく。気づけば立ち残るは仇の男ただ一人となっていた。 「ば、化物め!貴様一体何者なんだ!」  男の剣先は明らかに震えていた。カタカタと小さな音がリーナの耳にまで聞こえるようだった。 「僕は…ユーリー、ユーリー・クレアトゥール。古代錬金術師の末裔たる証、聖なる槌の正当な継承者だ!」  閃光。  男の体は真一文字に引き裂かれていたのだった。 「馬鹿な、この俺がこんな所で…」  憎き仇の男はそう断末魔の声をあげるとこと切れた。それと同時にユーリーも前のめりで倒れ込む。長い戦いで全ての力を使い果たし、彼もまた限界を迎えていたのだった。しかしそんな彼をひしと支え、その重みを受け止める者がいた。リーナである。それを見たユーリーはポツリと漏らす。 「終わりました、全てが…」 「そうね…」   二つに別れていた影はやがて一つとなり、重なり合っていた。  二人は語り合うことだろう、今までのことを、そしてこれからのことを。  それは満天の月が昇る日のことであった。
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