実技試験と内緒のお土産

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実技試験と内緒のお土産

『──故に総ての迷宮は我々人類の手により踏破され、しかるのち管理されるべきなのである』 「っくちん!」  二月も終わりの近い今日、青空天井の下に並べられたプラスチックのパイプ椅子。整然と着席し前方を向いていた六十個ほどの頭が、ぞろりと振り返って私を見た。いけないいけない。私は背筋を正す。ついでにもう何回目か分からないが、巫女(みこ)装束(しょうぞく)の襟を直した。ポーチからティッシュを取り出して素早く鼻をかむ。 (もー最悪!体質とはいえ緊張するとクシャミしちゃうの、今日だけでいいから収まっててよ!)  京都の六道の辻の一隅(いちぐう)にある更地である。その上にはシンプルな横断幕が掲げられている。  “第二十五回迷宮管理官試験会場”──“実技”が抜けているのは、これが試験の最終段階で、わざわざ強調する必要がなからだ。  一年に一回行われる国連管轄下の国試。この試験は日本全国を移動しながら、その実施年数は四半世紀を数えている。  迷宮──ダンジョン、ラビリンス、奇門遁甲(きもんとんこう)。呼び方は違えど性質は同じ。現代社会においては一般人の健康な社会生活を蝕みかねない異界混じりの禁域をさす単語となっていた。  かつてはそのほとんどが有名な心霊スポットだった。それが近年、南極の氷が融解したり惑星の並びがウンタラカンタラしたのが原因(まだ学者が研究しているがこれといった定説は無い)で、人間を飲み込み魔物を吐き出す凶悪な存在へと変化した。  そこで国連が主体となって各国の霊能力者諸賢の知恵と技量を借りて作り上げたのが『国際迷宮管理委員会(I.R.M.A)』──通称イルマ。  今日この(いにしえ)の都で行われる試験は、その迷宮に携わることのできる資格を付与される重大なもの。合格した者のみが、鏡と剣の刻印された迷宮管理官の銀バッチを付ける事が許される。  私──申田(さるた)安寿子(あすこ)、22歳B型、彼氏なし──も御多分に洩れず一年に一度きりの国試に緊張しまくっていた。  だって… 「そう緊張せんでドーンと構えててよかっちゃん。くさめ(・・・)くらいで試験官の心証の悪ぅなったりせんちゃけん」  私の左頭上からほんわりとしたテノールが落ちてきた。私はギッと相手を睨み上げる。 「貴方と違って二回目(・・・)なの。解るでしょ?」 「再受験の合格率が10%もなか言うても、そいは只のデータやろ。崖っぷちでタップダンス踊れ言われようわけやなし、気楽にいかんね?んわっはっは」  鷹揚(おうよう)に笑う体格の良い男は勾原(まがはら)百樹(ももき)といった。九州陰陽師を束ねる宗家の跡取りだというこの男、術士にしては筋肉の多い太り(じし)で、顔の方は彫りが深く眼筋の柔らかな男前。快活な雰囲気を身にまとい、コミュニケーションの方もなかなかよろしい。私以外の参加者とも愛想よく緊張するところなく話せている。そこには初挑戦とは思えない貫禄さえ感じる。 「筆記さえ受かっとけば実技なんてオマケみたいなもんやって。普段の霊能(じつりょく)を見られるんやけん、飾らん方がよか」  と正論を吐き、普段着そのもののジーンズにフードのついたパーカーで肩をすくめる。張り出した腹に巻きつけたボディバッグをごそごそやり、飴玉を出して私に三つ四つと渡してきた。  少し思案し、一つだけ口に含んで残りはポーチにしまう。あ、マスカット味だ。 「この迷宮は去年踏破されたばっかりのほやほや(・・・・)や。(おい)、ワクワクすっぞ!」 「何の期待なのよ」  最終試験の実技では、既に調査の完了したイルマ認定の比較的安全とみなされる(・・・・・・・・・・・)迷宮への潜入、目的地点への到達が課題となる。男女のペアになるのが通例で、基本余程の事情がない限りそれが覆ることはない。そしてペアを組む相手との相性次第では、実力以上の結果で合格することも──その逆もある。 「羨ましいわね余裕があって。私はあなたと違って、在学中から妖怪退治とかバリバリこなしてきてないしエリートでもないの。この一年修行しかしてないし…」 「たまたまやって。養成学校(ガッコ)ん通学路に出たはぐれ式神ば祈祷したら、偶然相性の良うて祓えただけ」  心からの謙遜にはにかむ。それがまた小面憎(こづらにく)い。  そう、この百樹は国の定めた迷宮管理官養成学校の在学中に福岡の街に現れた妖魔を単独で退治した。それが業界新聞(ほぼ官公誌なみの発行部数)に載り、果ては全国ニュースにもなって一躍有名人になった時の人。そんな麒麟児(きりんじ)をペアに引き当てた私は、籤運(クジうん)だけは良いのかもしれない。  対してこちらは、ギリ戦前にできた神社の長女。一族郎党の中では霊能の才がまし(・・)だからと高卒から養成学校に突っ込まれただけの落ちこぼれ。しかも卒業後、昨年度の試験に挑み見事に大コケをかましてしまった。  はじめこそ期待と憧憬を持って送り出してくれた母親も、今年で二回目の受験ともなれば 「あ、国試が今度の土曜?そうだったっけ。ところでウチの氏子さんにすごく快活な青年(ひと)がいるのよ?一度結婚を前提にお会いしてみない?」  などというぞんざいな扱いだ。  冗談じゃない。私の養成学校の三年間は、「ちょっとだけ霊能力の達者なお嫁さん」になるためのものじゃない。  この試験に、今年こそは合格する。迷宮管理官になったら日本を飛び出して、そう、できれば憧れの西ヨーロッパ勤務になりたい。実家で祝詞のリズムと榊の匂いに塗れて暮らすのはもうウンザリ。  受験生への訓示と注意事項のあとは、慌ただしく椅子が片付けられる。更地の中央を囲んで注連縄を土俵のように設置して、試験官(資格持ちのバッチが眩しい!)らが数名、祝詞を上げ始める…  更地の上にだけ(にわか)に黒雲が立ちこめ、地鳴りと共に地面がせり上がる。  忽然(こつぜん)と、まるで今までそこに何百年も()ったかのような巨大な磐座(いわくら)が出現した。 「目標到達地点の結界が閉じるのは六時間後です。それまでにゴールに辿り着けたペアのみ合格したものとみなします。それでは受験生の皆さん…」  ──発気軒昂(はっきけんこう)‼︎  試験官の唱和を合図に、受験番号も関係なくわらわらと殺到する受験生達。先を争って巨石の裂け目に駆けていく彼等に気後れしている私の背中を、大きな掌がどやしつけた。 「さ、俺達も行こう!」  大きく深呼吸して頷きひとつ。  私は支給された懐中電灯を構え、袴の裾を翻して穴の中へ飛び込んだ。   「どがん?申田さんの去年見てきた迷宮と、ここは変わったところある?」 「そうね…」  後ろから尋ねてきた百樹に、私は狭い隧道(すいどう)を進みながら首を巡らした。  電灯の光の中に浮かぶ周囲の壁は石造り。前回の富士樹海の風洞とは違い、あちらこちらに人の手による消えかけた紋様や呪図が見て取れる。 「明らかに年代が新しい気がする。あちこちにあるのは神代文字じゃないし…読み下しの和文ね。平安後期か室町時代かな。多分、異界系じゃなく封印系じゃない?」  迷宮ごとの特性や傾向といった情報は、迷宮管理官以外には政府高官にしか開示されない。悪用…とくに犯罪転用を抑止するために。  だから私達受験生は古今東西の迷宮について、その地理的特徴から呪術的役割までありとあらゆる内容を学ぶ。…そういうのは得意なのだ、私は。 「ふむ、そがんするとジャンジャン妖魔ン出てきよる心配は無かっちゃんな。むしろ方違(かたたが)えやらで迷わされる方に気をつけんばちゅうことか。さっすが!筆記試験満点♬」 「なんで知ってるの⁉︎あ()っ」  思わず立ち上がって頭を打った。 「どうしてかって?チッチッチ…そいば訊くんはヤボ(・・)かやろ?ま、俺に言えるンはコネも大事、てとこやね」  血筋、実力、おまけにコネときたか──あぁもうホントに腹の立つ! 「瘴気の漂っとるばってんが、かなり薄かね。霊力(スタミナ)切れの心配はせんで済みそうや」  道が開けた。立ち上がり、二人並んで歩いても問題ない広さと高さのY字路になった。なんとなく右側を選ぼうとした私の襟首を衛がむんずと鷲掴む。 「ぐえっ。何すんのよ馬鹿力!首が締まるじゃない!」 「いやいや、左の方が目標地点に近かっちゃん」 「えっ、そうだっけ?」 「そうやって。自分のスマフォん地図で確認してみらんね」 「呪具以外は、電化製品は特に持ち込んでないもん」  私は空いている手をヒラヒラさせる。百樹の愛嬌ある目元が丸くなった。 「えぇ⁉︎受付で預けてきたん⁉︎今時スマフォも持たんと何ばしよっと⁉︎」 「え、や、ウチの神社は修行の時に基本持たないから…」  百樹は「だっはぁ」と大きな溜息をつき、メロンパンのような掌で包んだ電灯の光を左の方の道に向ける。 「嘘やろ?アナログにも程があるばい」 「だって中に入ったら特に使わなくない?大まかな地図は頭に入れてるし、距離だってほんの少しの差でしょ?早めにゴールできたなら試験が終わるまでの暇つぶしぐらいにはなるでしょうけど」 「そがん言うばってん、不測の事態の報告やらあるやろ?」 「ハイハイ考えなしで悪うございました。こっち行けばいいのね⁉︎」  勢いよく歩き出して、胸の中で舌打ち一つ。 (折角親切で優しい受験生とペアになれたのに、私、やな女だな…)   お通夜のような冷えた雰囲気の中を、しばらく無言で進む。完全な静寂ではないのは、先に行った人達の驚愕(きょうがく)の叫びや悲鳴が遠くからうっすらと響いているから。 「…なー申田さん」 「安寿子でいいわよ。…なに?」 「ん、安寿子ちゃんは資格取ったら何ばしたかと?」 「いきなりちゃん付けって…まぁいいけど」   私は正直に夢を話した。百樹は女子にありがちなキラキラ系の進路だ、などと茶化したりせず静かに頷いた。 「外国かぁ。めっちゃカッコ良かやん。そしたら英語以外ン言葉とかも勉強するんやね」 「それは当然だけど、ヨーロッパでの勤務を目指すならラテン語なんかも必須らしいから…」 「へー!俺なんか小学校から英語(つまず)いとるばい。凄か!良か夢やな‼︎」 「…私ばっかり話してるけど、そういう貴方は」 「(もも)、でよか」 「──も、百君はどうなの?」 「俺の志望動機やら、なんてなか。安寿子ちゃんに比べたら不純極まる。面白うもなかばい」 「聞きたい」  古い教会の柱廊のような空間に出た。大勢の人足が削り出したのだろう、無骨な石英質の石柱が延々と続いている。私達の電灯があちこちに反射するせいで尋常でなく広く感じた。 「家にな。縛られとうなかっちゃんなー」  えっ、と光輪を百樹の方に向けてしまった。相手は(まぶ)しさに目をすがめる。 「ご、ごめん──それが理由なの?」 「うん。次期頭領って周りに持ち上げられるのはそりゃ気持ちよかけど、仕来(しきた)りやらお役目やらで好きなモン追っかけられもせん。そーいうンがウンザリかよ」  百樹の手元が下がる。柱の根元に浮き彫りされているものが見えた。…梵字だ。 「歴史ある陰陽師の家柄やら、この世に生まれてきたんはそがんことにしがみついて生きるためやなかやろ?俺には俺の夢がある。こン試験に受かったら晴れて自由か身ンなって、そいば突き詰められるんや」  他の柱も確かめた。同じような梵字が一定の規則性を保って彫られている。急いで頭の中のデータベースと照合。  ──一種の奇門遁甲だ。かなり粗い、オリジナルの術に仕上がっているが。 「少しの間、離れないで」 「了解!」  私は百樹の手を取った。うわ、ちょっと、男の子と触れ合うのなんて高校の体育祭のダンス以来なんだけど⁉︎…という内心の動揺をひた隠しにしながら歩く。 「何も考えてないボンボンなのかと思ってた…わ、悪かったわね」 「オイオイ酷か〜そがん風に見よったと?」 「だって!…しょうがないじゃない」  柱の梵字が導く方向へ、術を読み解きながら歩く。前方の柱列がぐんにゃりと歪み、道を開けてくれる。反対に背後ではバキバキと音を立てて通り過ぎた地点が閉ざされていく。参加者の中で数組くらいはこの符陣にやられ、タイムリミットまでぐるぐると出ることのできない柱の森をうろつくだろう。  パッと開けた場所に出た。天井が高い、大きな石室だ── 「頭下げぇ!」  反射的に言われた通りにした。私の顔があったあたりを何かが物凄い勢いで通り過ぎる。  直後、百樹が前に回って印を結んだ。高速で真言(マントラ)を唱える。  ほんのりクリーム色の光球が私達を包み込んでいく。陰陽道による、強靭な簡易結界。  その外側に群がってくるのは、こちらに向かって顎をガチガチ鳴らせる幾十もの髑髏(しやれこうべ)。 「は、翅餓鬼(はねがき)ね。下等な妖魔じゃないの」  「咄嗟(とっさ)に結界張ってしもうた。安寿子ちゃん、(はら)える?」 「任せて!」  防御と退治の同時展開は、いかに高度な陰陽師も護摩でも焚かなければ無理だ。私は懐から御幣(ぬさ)を取り出し、右に左に厳かに振る。 「ワレクサグサノヒレヲモチ、カシコクモタカマガハラニオワスアマテラスオオミカミニコワム──」  と、一際(ひときわ)大きな翅餓鬼が正面にぶち当たってきた。 「──コノアマタノケガレ、ハラ、い…っくしょん!」 「おい⁉︎」 「ご、ごめん、やり直す!──コノアマタノケガレ、は、ハライキヨメ…ぶひぇっくしょん!」  だ、ダメだ。祝詞(のりと)を間違えないよう緊張すればするだけ、小鼻がむず(がゆ)くなってくしゃみが止まらない。 「おいおいおいおい、まずかよ!こんままじゃ…」  百樹は結界を張るのに手一杯。私は祓えの言葉が唱えきれない。このまま衛の霊力が尽きたら、襲いかかってきた翅餓鬼が一斉に雪崩れ込んで── 「オンバサラギニウンハッタヤソワカ!」  キンキンしたソプラノ。水槽の中の生肉に群がるピラニアさながらだった髑髏の群れが、風船を割るような音を立てて消し飛んだ。 「ダ〜ッサ!モモっちってば、こないなところで妖魔に足止め食らっとるやら。甘やかされすぎちゃう?」  壁に反響著しいギャル声。頭を上げると、薄暗い迷宮で目にも鮮やかなアッシュグレージュのロングヘアを(なび)かせた女の子が、短めのワンピから伸びた形のいい脚を見せつけながら仁王立ちになっていた。 「久しぶりやねモモっち。おばはん元気にしてはる?」 「栞里(しおり)?先に入りよったんやなかったとか?」  「誰?百君の知り合い?」 「鳳凰山(おおとりやま)栞里。大阪の古刹(こさつ)んとこの娘や。俺とは遠縁で…幼馴染ンごたるもんやな」  百樹がそっと耳打ちする。 「何よヒソヒソと感じ悪ぅ〜。助けったのにお礼の一つもでけへんの?」 「…」 「もしもーし?アンタに言うてんねんよ?ダサ巫女」 「え?私?っていうか何よダサ巫女って」 「アンタ以外いないでしょ、このドンクサ女。見てたら何?クシャミば〜っかりこいてモモっちの足引っ張りくさって。下等妖魔もよう撃退せんで、ようもまあ二回も試験受ける気になったもんね」  顔とファッションは可愛らしいのに、舌鋒は鋭く私の胸をグサグサえぐる。 「栞里、それは仕方ない。体質だから、彼女の」  彼女の背後からひょいと現れた二十代前半の人物に、私はうぐ、と喉を詰まらせた。 「一年ぶりだね、まるまる。安寿子、元気だったか」  細い指で金髪をかきあげる、凛とした水仙を思わせる長身の青年。ブランド物のジャージのトップダウンが銀座あたりのショーウィンドウから抜け出てきたように似合っている。  整った顔とは裏腹に、マフィアものの洋画の吹替のような凄みのある低音ヴォイス。句読点多めだが判で押したように正しいアクセントの問いかけに、私は頷く。 「誰や?こンよかにせどん(・・・・・・)は」 「あ、あのね、百君、彼は」  金髪青年はずい(・・)と進み出た。百樹のほんの鼻先まで顔を近づけ、これ以上ないくらいねめつける。 「私はロアルド=ヴァン=ペルト、オランダから来た人狼族(ベオウルフ)」 「お、おぅ…よろしくな。俺は九州から来た勾原百樹。本物の獣人系に会うんはこいが初めてや。よろしくな!」  ロアルドは差し出された相手の手に小鼻をピクつかせ、フンとソッポを向いた。百樹があからさまにカッチンという擬音を頭の上に出したので、私は慌ててフォローする。 「あのね百君、彼は私の去年のペアをしてくれたの。その時も私、多大な迷惑をかけちゃったんだけど…」 「そ。聞いたわよ〜?半分くらいまでの道のりはまともに行けたけど、ゴール直前にギブアップしちゃったんでしょ?クシャミ連続で祝詞も札術もできなかったって。みっともないったら」  昨年の私は彼女のいう通りだった。自分よりも年下で自信たっぷりの相手からまともに批判され、全身の毛穴から恥ずかしさが汗になって吹き出した。  真っ赤になって口ごもる私にロアルドはまだ何か言いたげに唇を震わせたが、その腕を栞里が絡めとる。 「私と組んだロアルドはラッキーよ。足手まといの誰かさんもおらんくなって、今年こそ合格間違いなしなんやさけ」 「俺と安寿子ちゃんやって確実に合格するぜ。なあ?」 「う、うん」 「(なん)〜その返事。気合い入れんね!」 「あぁ、まぁね…」 「けん〜!そがんとこやって」  テヘヘと卑下する私。 「プーップププププ!ま、せいぜいお気張りやす。この先は(なさけ)はかけんさけ。首位(No. 1)はウチらのもの。九州陰陽師の名家の歴史の上に、でっかい“二位”の記念碑を建ててやるわ♬」  ネイルで飾られた指が私の方を差した。 「アンタもね、今回また試験に落ちるようなら迷宮管理官の資格なんかすっぱり諦めとき。くれぐれもモモっちの合格だけは邪魔せんといてね?ダサ巫女はん」  プププププ…!という印象的な高笑いを残して立ち去る二人に、百樹はヘン!と肩をそびやかす。 「何かぁアイツ。感じ悪かっちゃね!言われんでも俺達なら無事にゴールまで辿り着けるとぜ。な⁉︎」 「…」 「頼むけん無言で返さんで?」 「うん。そうね…凹んでる場合じゃないもんね」  私は御幣の柄を握りしめた。 「ありがとう。もう大丈夫。考えたんだけど、ここから先は私が後衛で、百君が前衛で行かない?まともに妖魔と対面しなければ祈祷が使える…と思うの」   百樹の顔が一気にほころんだ。 「それ採用!よっしゃ、行くか‼︎」  見渡せば、ここはどうやら古代に祭祀の執り行われた集会所らしい。広間のそちこちで受験生が倒れている。きっと私達と同じように翅餓鬼に襲われ、容赦なく生気を吸われたのだろう。  青息吐息で横たわる男女の受験生を跨いで通る。試験後に救護班に回収されるので命の危険はないが、なんとなく後ろめたい気分になってしまう。  突き当たりの壁にポッカリと開いた大きな穴。ここも結界になっているのだろう、人が二人ほど通れる大きさに、墨一色の闇が立ちこめている。  百樹が慣れた手つきで九字を切る。闇が薄れ、うっすらと通路が見えてきた。  緊張の面持ちで、二人同時に結界の境を越える。  そこには蛇腹の海があった。  先程とほぼ変わらない大きさの空間。それを埋めるほどの巨体の(おろち)が、うねうねと私の額ほどの高さの胴体をうねらせている。まさに蛇腹の織りなす波間から、懐中電灯を鱗で照り返しつつ大きな頭が鎌首をもたげて黄色い目でこちらを眺めた。 「こら大物(おおもん)の出よったな!って、うぉほっ?」  ボディバッグからギラリと光る金属製の武器──独鈷杵(とっこしょ)を取り出し、構える百樹。私はその袖をひったくり、彼を手近にあった岩陰に押し込んだ。 「さっき結界を張ったばかりなのに霊力(ちから)を使いすぎよ!今から加護を授けるから、何か別の術にできない?消耗の少ないのがいいんだけど」 「成程な、任せんしゃい!」  百樹が頷く。私は呼吸を整え、手早く九頭竜神(くずりゅうじん)の祝詞を唱え御幣を振った。  大蛇は蛇体の波間に不規則に頭を出しては揺らし、二つに割れた大きな舌を出し入れして辺りを睥睨している。ジャイジャイという威嚇音などはもはや、錆びた斧でも研いでるのかという激しさだ。 「うかうかしとると下敷きにされかねんな。したらば速攻勝負や!」  百樹は太い手足をジタバタさせて蛇の胴体によじ登る。体を踏みつけにされた蛇が両眼を怒りに燃え上がらせて伸び上がり、ヂヂヂヂ、と舌を鳴らした。 「合図するまで目ば閉じとけよ!」  眼前に両手を差し出して大日如来の印を結び、百樹が光明真言を唱える。  ───我等に路を示しまわんことを(ハラバリタヤ・ウン)!  天井にさっと光がわだかまり、爆発した。顔を覆っていても目が痛い。ここが地面の下という事を忘れるほどの明るさが空間を満たす。  何かズッシリしたものが崩れ落ちる音がした。恐る恐る指を顔からどける。  気を失って身じろぎしない蛇の胴体の上で、百樹がニッと白い歯並びをこぼしていた。 「どがんねっ?こン手際の良さ!…のわっ」  すべすべした鱗に足を取られて落ちた。背中を打ってのたうち苦しむ様子に、つい吹き出してしまう。 「おっ、はじめて笑うたばい。そうそう、(おなご)どんは笑ってなんぼやけんな」  うん。この調子ならうまくいくだろう。それに…しょんぼりしている暇があるなら、笑う方がまだ前向きになれる。  次の部屋は大量の百足が蠢いていた。しかし今度は私が落ち着いて蟲遣(むしやらい)の祈祷をしたので、半径二m以内に毒虫は近づけず無事に通り過ぎる。  それから毒水の貯まった(へや)、氷魔のいる氷室(ひむろ)を抜け、何組ものリタイヤした受験生を追い越した。  最終的に辿り着いたのは、これまでで最も広く天井の高い場所だった。その天井も一部が欠けたように崩れていて、そこから外のやわらかな光が降り注いでいる。一体どういう造りなんだろう?  その光の滝の中に、こんもりとした盛り土をした塚と、その上に根を張る注連縄を巻かれた桜の大樹が照らし出されていた。  桜の根元には小さな赤鳥居と、それに見合ったちんまりとした祠が鎮座している。周囲に妖気は感じられず、(まじない)の気配もない。 「なんていうか…神々しいとこね。ここがゴールでいいのよね?」  懐中電灯をしまう私に百樹が首肯する。 「スマフォの地図やとそうみたいやな」  ウズウズと両肩から膝から喜びが湧き上がってくる。  私が万歳!と叫び出す前に、皮肉なキンキン声が響いた。 「あぁ〜ら意外。こないに早う来られたん」   奥の薄暗い方に栞里のギャル姿とロアルドの長身が認められる。 「お陰様でな。こいで俺達四人とも、晴れて有資格者ちゅうわけや」 「そうね。ま、私達は余裕があったさけ?時間を有意義に使うてこの迷宮の内容を調査しとったけどね」 「調査?」  ニコニコ顔の私へ、ロアルドがムッスリと答える。 「妙だ、この迷宮は。あちこちにこびり付く怨念が強すぎる、管理官が踏破したにしては」  「この試験のために元からあったものを再利用してるからじゃない?」  ロアルドは鼻を鳴らして首を振る。人狼族の彼は、人間に比べて身体能力も霊感も別次元の高さだ。警察犬が犯人の匂いを頼りに追跡するように、僅かな憤怒が生み出す呪詛も遠方の妖魔も細やかに感知できる。 「違う、安寿子。ここの妖魔には人為的な意図を感じた、他所から無理矢理この地に移され縛られたものに特有の。妖魔は長く存在を保てない、異界系の迷宮でなければ。間違いない、試験のために。だが呪的罠は封印系、まるで…」 「勿体(もったい)つけた物言いばしんさるねえ外人(ゲージン)どんは」 「…何だ?」 「(おなご)の気ば引きたかとが丸見えやって言いよっちゃん。去年の失敗ばネタにして、安寿子ちゃんに(こな)かけよるとやろ?違うか?」 「コナ?何を言っている、お前は」 「やめぇやモモっち。ロアルドは微妙な日本語のニュアンスに()うよう、ようけ考えてから喋るさけ時間がかかるだけや」  そうか。もう合格したも同然だから、今のうちにちゃんと謝れば去年の私の無様なミスのとばっちりを受けたロアルドに許してもらえるかもしれない。  浅ましい期待かも。だけどチャンスを逃して一生後悔するより、今恥をかく方がマシだ。  口論に発展しそうな男二人を割り、私はロアルドを少し離れたところに連れて行った。 「私のせいで一年資格取得をお預けされて、恨むのは当然だと思う。あの後ちゃんと謝れてなかったのも合わせて、本当にごめんなさい──」  腰を折ろうとする私を、ロアルドはキッパリと止めた。 「恨んでなどいない、私は。事実があるだけ、日本語を覚えるまで一年、漢字を使いこなせるまで三年、専門学校の三年合わせて七年かかったという」 「そう冷静に言われると、かえって罪悪感が…」 「君の勘違いだ、安寿子。私は怒って(・・・)いるだけだ、烈しく」  あえて倒置法を使っているのではないだろうが、冷たく重い口調に私は怯む。 「…私がロアルドも巻き添えに醜態を晒したからでしょ?」 「違う!」  空気が震えた。 「君は申告した、棄権(ギブアップ)を。大丈夫だと言ったのに、ペアを組んだ私は」  でも、それは罠にされていた樹怪(カースドライアド)との戦闘で私がロクなサポートもできず(くしゃみの連発で)、彼が深傷(ふかで)を負ったから… 「一度築かれた約束と信頼(パートナーシップ)反故(ほご)にする、それが私達人狼にとって最悪の侮辱」  そっちだったのか。私が(おもんばか)るべきは彼の面子(メンツ)や代償ではなく、誇りの方だったのか… 「なーんお前、安寿子ちゃんば脅しよっと?男が一度や二度の浪人でグチャグチャ言うんは情けなかぞ」 「違うの百君」  私を心配して気色(けしき)ばむ百樹にかぶりを振る。涙が視界を霞ませた。  胸のつかえが取れた気がした。自分がそうであるように、ロアルドにこの一年、多大なる焦燥と不安を与えてきたのだと思っていた。 「フン。無礼だ、この男」 「なんかぁ⁉︎」 「運がいい、安寿子は。これ(・・)も芯のあるようじゃないか、私程ではないが」 「何のことか⁉︎」  栞里は盛り土に生えた下草にハンカチを敷いて座り、白けた様子で私達のやりとりを見ていた。 「馬鹿馬鹿し。あ〜あ、それにしても時間が余りすぎやんね。お昼寝しちゃおうかな」  大きな欠伸(あくび)を一つ。その視界を、黄土色の何かがよぎっていく。 「え…」  それは巨大な毛むくじゃらの腕だった。  栞里が座り込んだ盛り土の鳥居をくぐり抜け、(ひぐま)鷲掴(わしづか)みにできそうな手が、尖る爪の付いた指先をわきわきさせながら這い出てきている。 「危なか!栞里‼︎」  百樹は叫び、私は間に合わないと思った。細い悲鳴が響き、現実味のないサイズ感の手が彼女の居たあたりを薙ぎ払う。  しかし飛び散ったのは血肉ではなく、(わず)かに(えぐ)れた土と下生えの草だった。 「栞里、痛いところはないか」  高いところからロアルドの声。見上げると、天井スレスレまで跳躍した彼が栞里を抱き抱えていた。  そして、その姿はまごうことなき狼男のそれだった。  着ていたジャージの上着は三倍くらいに膨らんだ胸筋背筋で破れ、ほんの少しの切れ端が腰からぶら下がっている。パンツの方は無事だがパツンパツンだ。 「おおー、本当に(ほんなごて)人狼やんなぁ」 「間抜けな感想述べてないで、離れて!」  人狼に変化したロアルドの着地した場所へ、私と百樹も塚から距離をとった。そうこうするうちにも、小さな鳥居からバルーンを膨らますように巨大な腕…そしてその先の胴体がメリメリ音を立てながらせり出してくる。 「なんやのコレ?まだ試験の続きなん?」 「ど、どうなのかしら?──っくしょん!」  スマフォを取り出してどこかにかけていた百樹が、眉を(しか)めて首を振った。 「いま試験官ン人らに問い合わせた。違うらしかばい」 「えー⁉︎どないなっとんの⁉︎」  塚の盛り土がガクン、と下がった気がした。  薄暗かった空間のあちこちにぼう(・・)と蒼白い炎が浮遊する。人魂…違う、鬼火か⁉︎  唐突に現れた怪物が、ついにその全身を引っ張り出した。  古さびた金属のような肌。  ゴワゴワした毛に覆われた人型だが、極端に太く短い手脚。丈夫そうな麻布を腰布代わりに巻き付けている。  時代遅れの大時計の盤面のように平たい顔には潰れた獅子鼻が付き、松ぼっくり大の両眼はギラついていて、耳までばっくり開いた口に上下に突き出した白い牙。  ちぢれた髪が逆巻く頭の頂点には、見事な一本角… 「──鬼や」  百樹がぽつりと(こぼ)した。 「え?なんでなんで?ウチが何か封印解くようなことした⁉︎」  鬼は私達にまだ気付いていない様子で、首を左右に倒したり肩や膝を回しては目をしばたたかせていた。 「そんな事はしてないと思う。別の理由があるのよ。でなければ試験内容に外れた妖魔は出てこないはずだもの」 「ふむ。安寿子、それならなぜだと考える」  ロアルドに問われ、多分一生で一番頭を回転させた。辿ってきたこの迷宮の道筋、その間に見た壁の書付、あらゆるヒントを探った。  ──分からない。この鬼が封印されていたとして、試験官が受験生を入れて問題なしと判断したのは事実。一体何がこれを解き放つ要素なのか… 「退避よ!こないにアホ大きい化け物にウチらだけじゃ対応でけへん!」 「そ、そうやな。そいが次善の策か…」  百樹はなぜかうっとりと鬼を見つめている。と、意識がはっきりしたらしい鬼も百樹を見た。  ぎええええええ。  鼓膜をつんざく雄叫び。全員耳を塞いで頭を下げる。  鬼の手が宙を彷徨った。と、鬼火が集まり手の内に電柱サイズの棍棒が現れた。 「よけろぉ‼︎」  鬼が大上段に棍棒を構え、横()ぎ一閃、振り抜いた。  風を切る…なんてものじゃない。地面が薄くめくれ上がり、風圧だけでよろけるほどの威力だ。 「と、とりあえず逃げとこ!もう試験官がこっちに向かっとるはずや、こがん大きな(ふとか)鬼に俺達だけじゃ太刀打ちできん‼︎」  一番鬼に遠かった栞里が頷き、出口に爪先を向け走りかけた。  鬼が一旦棍棒を背中まで引き、それから投げた。円盤の残像を描きながら回転する棍棒が栞里の背後に迫る。 「危ないぞ、栞里」 「立ち止まんなアホ!」  まずロアルドが栞里を庇い、その前にさらに百樹が独鈷杵を構えて立ちはだかった。 「百君!」  さしもの彼も真言を唱えるのは無理だ。次に眼前に展開するであろう惨劇の予想に、私は目を背ける。  ──電柱大の棍棒が百樹の体を芯にとらえ、卵を割るように薄皮を破り真っ赤な血を撒き散らす…  ガチィン!  金属というか、磁器を打ち合わせるような変な音がした。  鬼の棍棒は百樹を(ほふ)るどころか、ほんの少し手前で弾かれて落ちた。まるで──磁石の同極を近づけたときに起こる、反発作用のように。 「結界?モモっち、アンタがやったん?」 「違う。俺は(なん)もしとりゃせん。勝手に鬼ン得物(えもの)が弾かれよったばい」  百樹が薄気味悪そうに戸惑っている。確かに私の目にもそう見えた。  鬼は鬼で、あらら?なんで攻撃が当たんなかったのかな?とでもいいたげに小首を傾げている。  極めて日常的なスマフォの着信音が百樹のポケットから漏れ、一気に緊張が緩まる。 「え?は⁉︎──そう見えます。ばってん…ちょぉ待って下さいって、なぁ‼︎」  通話を切り、フー…と肩の空気を抜いた百樹。それから情けなさそうにハハッと笑った。 「向こうが言うにゃ、こン鬼は迷宮ン地鎮として霊柱ン役目ば果たしとるけん、傷付けたらダメな(つまらん)もんやと。いま総員で向かいよるけん、とにかく死ぬなて…」 「はぁ?あれ見ぃ、名のありそうな鬼神やで?戦うとか大それたこと、経験もないのに考えられへんでしょ⁉︎とにかく出口に──」  鬼が、ま・いいやと肩をすくめ、両手を振りかざした。竜巻のような妖気が吹き荒れ、同時に私達を地鳴りと共に激しい横揺れが襲った。まともに立っていられず地面に倒れる私と栞里、それぞれを百樹とロアルドが覆い被さって庇う。  目を開けた時、胸元を絶望が流れ落ちた。出口が…崩落している…  ロアルドが喉奥を鳴らし、仄白い怒気を纏って立ち上がった。  「獲物を逃さないつもりだ、この鬼。上等じゃないか、妖魔(デーモン)のくせに」 「こうなったら何がなんでも調伏せんとアカンね。ダサ巫女も、覚悟決めぇや」 「ちょ、ちょっと待ったぁ!」  爪をバキバキ鳴らすロアルド、数珠を取り出してジャラリと鳴らす栞里に百樹が両手を出して制止する。 「野蛮なことせんで、せめて封印にしとこ。試験官らもそがん言いよるけん。な?」 「アホ!そない言うたかてアイツは私達を()る気てんこ盛りやないの‼︎」  鬼はニヤっと口元を歪めた。右腕をずう(・・)と伸ばすと、地面に転がっていた棍棒が意志を持ったように勝手にゴロゴロと転がっていき、その手の中に収まった。 「正しい、栞里が。それとも別に妙案があるのか、強大な鬼を大人しく封じさせるような」 「そ、そいばってん…けん…」 「モモっちが鬼好きなんは病気(ビョーキ)やさけ仕方ないとして。ウチらまで巻き込まんでよ」 「何のこと?百君?」  明後日の方を見上げてもみ上げを掻く百樹に代わり、溜息混じりで栞里が応えた。 「モモっちはね、鬼フェチなんよ。それも自分の命まで危うい時にも諦めへんのやさけ、もはや変態の域に達しとるわね」  私はまじまじと百樹の顔を見た。 「へ、変態やら言うな!俺は、ただ、鬼の(たくまし)か身体やら人間には無か神通力やらダークな一面やらがその、カッコ良か思うだけばい‼︎」 「ホラ出た本音が。そーゆーんを世間じゃフェチ言うのんで」  わちゃわちゃしている間に現世の勘を取り戻したらしい鬼がズン、と足を踏み出した。 「マズいぞ、固まっているのは」  ロアルドの忠告に従い、私達は男女で左右に別れた。一瞬遅れてその空間を、鬼の巨体のタックルが通過する。  壁に激突してめり込んで止まるとき、雷が落ちたような音が響いた。あれにやられたら…私は不謹慎にもハンバーグの下準備を連想してしまう。 「さっき、百君に棍棒が当たらなかったのは、なんで?…っくしゅん」 「ウチが知るわけないでしょ⁉︎モモっちが変態やからやないの──痛っ、足くじい(ぐねっ)てもうた、もー最悪!」  私と栞里、女子グループの方に狙いを定めた鬼が片足を引いてダッシュの予備動作に入る。 「ちょ、レディファーストやら()らんで⁉︎」 「ツッコんでる場合じゃないでしょっ!くしゅっ!」  素早く飛び退(すさ)ろうとしてよろける栞里。お構いなしに突っ込んでくる鬼。  私は何も考えていなかった。栞里の細い腰を思い切り突き飛ばし、迫り来る毛むくじゃらの肉塊を網膜に焼き付けていた… (あーあ、死んだ。これで終わりかぁ。意地を張らずに実家を継いでたら、もう少し人生を楽しめたのになぁ)  次の瞬間、先程と同じことが起こった。衝撃音が走り、今度は私の数十倍もある体格の鬼が見えない壁に跳ね返された。  鬼が、ん?なんなんだ?と目を白黒させる。私は無我夢中で栞里を引きずるように立たせ、鬼から離れた。 「なっ、なんなんアンタ?モモっちといい、何か術を使うたん?」 「そんな事してない!聞きたいのは私よ!」  二度も同じ奇妙な現象に出くわして、鬼は見るからに面食らっていた。低く唸りながら(うずくま)るように腰を落としてこちらの様子を窺っている。 「何か…何か理由があるのよ。考え!試験二度目な上に筆記の成績トップなんやから何かあるでしょ⁉︎」 「だから何で知ってるの⁉︎」  栞里は泣きそうになりながら私の肩を掴んでガタガタ揺する。ネイルの爪が食い込んで痛いってば。  理由?そんなの見当もつかない!大体なんだ、この最終試験の難易度は。鬼が封印されてる塚とか、出てきた鬼を退治しちゃいけないとかアドリブがすぎる。こんな滅茶苦茶な事態、臨機応変に対処しろというほうがおかしい…  ──いや。それは違う。プロの迷宮管理官は常にこういった予測のつかない事態に遭遇するのだ。そして現場の判断で最善を尽くす。それができてこそ資格の意味がある。 「ほら、ほらほらほらほらまた来る!何とかせぇってば」  もう涙目の栞里を見ていたら、(かえ)って頭が冷えてきた。そう、考えるのだ。一体何が封印を解く鍵で、私と百樹が無事なのはどんな要素のせいなのか… 「モモっち〜!助けてぇ〜っ‼︎」 「──あ、そうか」  まさに一瞬の閃きだった。私は袂からポーチを取り出す。あった! 「栞里さん、これ食べて!」 「へ?」  試験開始前に衞から貰った飴玉の包みを開き、栞里の口の中に押し込んだ。 「ゲホッ、なにすんのん?飲み込んでもうたやん!」 「それでいいの!──百君!ロアルドに貴方の持ってる飴玉をあげて!」 「?お、おう!」  遠くで男子チームも似たような動作をしている。これで私の推察が外れていたら…  いや。覚悟を決めよう。いずれにしてもこれが決め手でなければ、全ては終わりだ。  鬼はバッターボックスの選手のように、しゃがんで地面に棍棒を打ちつけていた。それからやにわに立ち上がり、今度は男子チームに向かって棍棒を投擲(とうてき)する。  ロアルドは無理矢理口を開いて飴玉を捩じ込んだ百樹に抗議しているようだ。完全に不意打ちだったが、飛んでいった棍棒は彼の背中で、またも変な音を立てて(はじ)かれる。 「ど…どういう事やの」  マスカラの跡が頬に流れる栞里に私は告げた。 「桃太郎の鬼退治よ」 「…は?」 「だから。桃太郎なの。百君が桃太郎で、私が猿。ロアルドは人狼だから犬で、貴女は(キジ)…鳥の役なのよ」  眉をハの字に下げていた栞里が、ややあって「ああ!そういう事なん?」と両手を打ち合わせた。  百樹(ももき)申田(さるた)鳳凰山(おおとりやま)。それぞれ名前に主人公とお付きの動物が隠れている。ロアルドは外国人だけれど、今の彼は人狼。確かに犬と言われれば犬そのものだ。 「んわっはっはぁ!成程なぁ!そいけん桃太郎、っちゅうわけか‼︎」  呵々大笑(かかたいしょう)をぶちかましながら背中を叩いてくる百樹に、ロアルドは狼面を渋くした。 「狼と犬は全く違う、知性においても誇り高さにおいても」 「まーまー。(むこうさん)にしてみれば違いの分からんのやなか?(にっく)き鬼退治の連中がやって来よったんや、そらぁ封印ン中でずんだれて(・・・・・)寝とるわけにもいかんやろ?」 「全く分からないな、お前の言うことも」 「おっ腰っにつけた、黍団子(キビだんご)♬──が、つまり俺が渡した飴の役割と。そがんことで良かかー?安寿子ちゃーん?」  遠くで手を振る百樹に、私は頷いた。 「なんかよう分からんけど…で?この後はどないするの?」  私は深呼吸をした。 「封印し直すわよ」  そうこなくっちゃ!と、百樹がハッスルポーズをしている。  鬼が唸りを上げて警戒する中、百樹達と合流する。四人に戻ったところで、私は自分の更なる分析を明かした。  一つ、あの鬼は、黍団子の霊威を帯びた私達を傷つけることはできない。  二つ、私達四人が揃って封印が解かれた状況から、封じるにも誰かが欠けてはいけない可能性がある。 「それだけじゃない。試験官の人達が来るって言ってたけど、遅すぎると思わない?罠や妖魔をスルーして来られる筈なんだから、とっくに到着してないのは変よ」  ロアルドが毛皮に包まれた顎に指を当てる。 「迷宮が胎動しているのだろう、霊柱(あるじ)の目覚めに呼応(こおう)して」 「どっちにせよ俺らだけで、どがんかせんばならんちゅうことやな…作戦は?」  それだ。私はおずおずとロアルドに尋ねた。 「まずはじめに断っておくわ。これは貴方を侮辱しているわけじゃないからね」 「水臭い、なんだ」 「日本の古い魔除(まよ)けの呪法なんだけど、四辻(よつつじ)で犬に吠えさせて夜魔を追い払っていたの。だから、その、貴方は狼の姿じゃない?つまり…」 「分かった、私が吠えれば鬼が怯むのだな」  躊躇(ためら)いながらの懇願(こんがん)を、ロアルドは極めて紳士的にあっさり了承した。 「栞里さんは結界をお願い。簡易的なもの、鬼を一時的に縛れるものならそれでいい」 「え?ちょっと…」 「百君には」 「おう!何か何か?」  切羽詰まった状況下にも関わらず、屈託なく笑いかける。この彼の明るさと勇敢さに頼りっぱなしだ、私は。 「鬼の角を折ってほしいの…一番大変な役だけど」 「任せんね!」 「アカン!」   頷く百樹の懐に栞里が取り(すが)る。 「あないゴツい鬼がじっとしとるわけないやん。ウチの法力なんか結界張っても十秒もつかどうかやねんで?死ぬでアンタ!」 「かもなぁ」 「かもな⁉︎ちょ…」  百樹はぽふぽふした掌で栞里の頭を()ぜた。 「けん、お前にはやらせられんばい」 「──イヤ。そんなんイヤやぁ!」 「あの〜…それについてもちょっとアイデアがあるのよね…」  盛り上がっているところへ心苦しいが、私は作戦の(かなめ)、最後のくだりを話した。全部聴き終えた栞里は涙を拭き、吐き出すように言った。 「アンタ、ダサいだけやのうてイカれとるんやね。けど、文句つけとる場合やないか…そン泥舟に乗ったるわ」  泥舟。栞里の表現に私は内心微笑んだ。   そう、一蓮托生だ。失敗すれば百樹のみならず、私達は枕を並べて討ち死にというわけ。  百樹が手を出した。栞里、私、そしてロアルドがその上に手を重ねていく。  無言の、ファイト!の気合入れ。各自の役割に従って、行動開始!  私は鬼火の光が届かない隅に袴の裾を正して座し、御幣を取り出して瞑目。 「キビノカムイノアキラカニ…」  不思議と今までにない集中ができている。この調子を続けて、最後まで唱えるのだ… 「オラオラ!鬼さんこちら♬お尻ぺんぺ〜ンつってな!」  百樹の茶目っ気溢れる挑発に、まんまと鬼は乗っかった。棍棒を縦横無尽にぶん回し、勢い余って地面を踏み割りながら遅いかかかる。だがなにせ巨体である、百樹(人間にしては大柄だけど)の方が小回りがきいているから翻弄されてしまう。  そこに隙が生まれた。横からロアルドが割って入り、胸一杯に空気を吸い込み…  ──ワン!  人間の相撲取りなら百人単位で相手にできそうな鬼が、恐怖の面持ちで固まった。 「ノウマクサンマンダバサラ──」  更に鬼の背後から栞里がブーツの両足を踏ん張り、不動明王の印を結びつつ真言を唱える。凛とした声が響き、耳に心地よい。 「──ウンタラタカンマン!いけダサ巫女!」  金剛縛呪によって鬼の肉体の凝固がいよいよ強くなる。瞬間接着剤に浸かったように、髪の毛一筋たなびくこともできない。 「アクガリアソビマオス…アクガリアソビマオス…アクガリアソビマオス…」  私の祝詞も最高潮だ。同じ文句を繰り返す。 「──アクガリアソビマオス‼︎」  何回目かの唱えとともに、私は一発(いっぱつ)クシャミをした(・・・・・・・)。視界がブレて、体を覆っていた粘膜のようなものが脱げ落ちる。  ──遊魂の秘術(ゆうたいりだつ)。  クシャミの勢いに乗って口から飛び出した私の霊体。重さを感じないそれは自在に宙を泳ぐ。ロアルドと栞里に挟まれた鬼が見える。その頭に霊体の手足を絡み付けた。  ガクン、と着地する感覚。ロアルドを見下すカメラワーク。これは鬼の視点だ。憑依が成功した!──と同時に、栞里がブハッと大きく息継ぎしてへたり込む。鬼の力に対して全法力を消費したのだ。結界が、切れる。 (タイミングが間に合って良かった…!)  発声しようとして咳き込んだ。この鬼、一体何百年塚の下に眠っていたのだろう。 『やって!百君‼︎』  私は鬼の声帯で合図した。自分の身を抱きしめるように腕を胴に回し、地面にしゃがみ込む。金剛呪を呟きながら百樹が私=鬼の背中に駆け上がってきた。首の付け根に足をかけ、法力をまとって輝きだす独鈷杵を高々と掲げる。 「いくぞ!歯ば食いしばれぇっ」  百樹は金属の武器を気合もろともに鬼の頭に振り下ろした。  コーン…と小気味よく音を立て、角が折れた。鬼の体を奪う私にも表現の追いつかない痛みが走り、ショックで霊体が鬼の体から飛び出してしまった。 (効果は⁉︎)  私が抜けたことで意識を取り戻し、鬼は吠えた。ビリビリと辺りが震え、天井から土塊(つちくれ)が雨よ(あられ)よと降り注ぐ。  鬼の凶暴な喉から発される呻き。相当に痛いのだろう。しかし口から青い炎を垂れ流しながら立ち上がって再び棍棒を振り上げた。──その真下に、百樹が見上げている。 「済まんかったな、眠りよるところば叩き起こして。今度また会うときには酒でも呑ましてやるけん」  優しげに語りかける百樹の言葉が届いているのかいないのか、腕の動きが止まる。 (あ、危な…)  次に私が聞いたのは、鬼が張り上げた叫びだった。  絶命する巨獣の断末魔のような声には、胸に刺さる哀切と悔しさが滲んでいた。先細りになるにつれて鬼の姿が薄れ、最後は茶色の煙になって一陣の風と共に塚の鳥居へと吸い込まれていった…  自分の肉体に戻って目を開ける。倒れていた身を起こして頭をもたげると、来た時と同じように安穏とした日差しが降り注ぐ大樹と塚が見えた。  もうこの空間のどこにも鬼は居なかった。鬼火も消えており、静謐(せいひつ)な空気は再封印が成功したことを如実に裏付けている。  崩された出口の彼方から、頼りない掘削音とはっきりした人声が聞こえてきた。鬼の結界…霊障(さわり)が晴れ、試験官達が入ってこられたのだろう…   『──また、今回の不手際への対応、見事の一言に尽きる。故に第二十五回迷宮管理官試験に(おい)ての合格者は、さきに名前を呼ばれし四名のみとする。追って正式に資格証明書が発行されるまで業務に就くことはこれを禁ずるものとする。──解散‼︎』  しかつめらしい総責任者の号令。不合格者達が肩を落とし溜息をついたり、あるいは悔しさに「来年こそは受かってやる!」と気炎をあげながら三々五々に散っていく。  垂れ幕を降ろし注連縄も片付けられ、がらんとなった空き地に私達四人は顔を見合わせた。 「お疲れさん。お手柄やったな、安寿子ちゃん」  拍子が抜けてしまい、私は中途半端な笑顔を百樹に返す。 「私は手伝っただけ…功労者は貴方達よ」 「何言うとんの?分析も作戦立案も、あまつさえ人が鬼神に憑依を仕掛ける(・・・・・・・・・・・・)なんてあべこべも、ぜーんぶアンタがしたんやない。精々(せいぜい)威張(いば)ればええやない?今さら責任転嫁とかようせんでしょ」  栞里が(トゲ)の感じられない憎まれ口を言って、フン!と鼻面を背けた。まだ足首が痛いのだろう、少しびっこを引いて…ツンデレなのかしら、この子? 「安寿子、そうだとも。表敬されるべきだ、君の勇敢さと冷静さは」  人型に戻ったロアルドが仏頂面で追従する。夕陽を浴びて輝く乳白色の裸の上半身は、鼻血が出そうなくらいセクシー…もとい、繊細で美しい。 「んじゃ、皆のおかげ、っちゅうことで良かやなか?互いが互いを助けたんや。オールフォーワン、ワンフォーオールやな!」  んわっはっは!と百樹の豪放磊落(ごうほうらいらく)な笑い。 「俺達ゃ晴れて有資格者!おまけに鬼の再封印までしよったて後々まで語り(ぐさ)んなるごたる有名人や。こら、大手ン事務所から引っ張りだこ間違いなし…て、ロアルド、お前その格好で街中出よったら変質者に間違わるっばい。こいば着とけ」  百樹はパーカーを脱いでロアルドに放り渡し、自分はシャツ姿になる。 「戦士の基本だ、裸体は。狼身であれ人身であれ恥ずべきものでは…」 「私も同感。ロアルドはさっさとそれ着ちゃって。あと百君は余力あるなら栞里さんに肩貸してあげなさいよ」 「ん?あー、そいは良かばってんが、あーとな、途中に拾うた荷物が…」  百樹の視線が水槽の魚群並みに泳いでいる。私はしばらく無言で彼を(にら)みつけ、不意打ちで胸ぐらに飛び付いてボディバッグを開けた。 「イヤんH♡」   腰をくねらせて誤魔化そうとする百樹に、私はそれ(・・)を捧げ持って眉を寄せた。 「──持ち帰る宝物(ほうもつ)にしては、なかなか趣味が悪いわね」  法螺貝程のサイズ感。表面はボソボソザラザラしていて、意外にズッシリくる。  先刻、百樹が打ち落とした鬼の角だ。どさくさ紛れに隠して持ってきたらしい。 「マズいな、これは」 「何しとんの⁉︎迷宮からの持ち出しはイルマに報告義務が」 「わーっ、わーっ!黙らんねお前ら!」  目つきを鋭くするロアルドと驚き呆れる栞里。それも当然だろう。  初めて目にした鬼の角。御伽話(おとぎばなし)の世界のものではなく実物だ。私はためつすがめつ、しげしげと観察しているうちに思わず感心の吐息が出た。 「ここにいる誰かが口を滑らさない限り大丈夫でしょ。それよりも、なんて良い桜の香り…見かけより重くて触り心地は山羊とも牛とも違う感じね。栞里さんも触ってみる?」 「ウチは遠慮しとく。なんかお爺はんの水虫の爪みたいなんやもん」 「こんな物をどうするつもりだ、一体全体」 「知りたかやん⁉︎見て触って集めて調べて、鬼の研究ばできるやん⁉︎」  百樹は私の手から角を奪い返し、愛おしげに頬ずりをする。お気に入りの玩具(おもちゃ)を独り占めする子供じゃないの、まったく… 「本当はもっとよう調べたかっちゃん。あン腰巻の下はフルチンやったとか、そいとも締込みやったとか。そもそも羞恥心やらあるとか?飲み食いもすっとか?するならウンもシッコも出よるんか?となると便所も必要かやろし、好き嫌いやらアレルギーやら」  その言いようにロアルドと栞里はゲンナリするが、私はお腹を抱えて笑い出した。本当に心の底から好きなんだな。 「あー、可笑(おか)しい。確かに鬼は生物と精神体の中間種で、そういうあたりは解明されてないけど…」  「そうやろ?けん、俺は鬼系の妖魔の研究ばしたかと‼︎」  ホクホク顔で宝物()をしまい、百樹は栞里を軽々と背中に背負った。栞里は何か文句を言いたげにしながらもうなじまで朱に染め、できるだけボディバッグに触れないように百樹にしがみつく。 (こんな分かりやすい好意に気付かないばかりか、ヤバいレベルの鬼フェチか…頑張って、栞里さん) 「じゃ、打ち上げでもしながら今後の相談でもしましょう」 「今後って何ね、安寿子ちゃん」 「んー、私達四人で事務所を立ち上げたら面白いんじゃないかと思って。どうかしら?」  私は意図的に、不適な笑みを作って三人を振り返る。  合格の訓示を受けている間、私の頭の中には形を成したイメージがあった。  鬼好きの陰陽師。頭は堅いが優しき人狼。ギャルギャルしい寺娘。憑依ができる巫女。それぞれ溢れる個性の四人で、あらゆる分野に対応できるミニ事務所。 「そっか、そいやったらアジアだけやのうてヨーロッパにも行けるばいね。ミノタウロスやら変わった鬼ン仲間のおるけんな」  納得する百樹の背中で栞里が諦めたように言う。 「オシャレと美味しいご飯。あとは目新しいとこに経費で旅行でけるなら、まあええわ」 「これに尽きる、強敵との戦いを!今回は無かった、歯応えが」  ようよう藍色に滲み出した空を見上げ、少年漫画の主人公のように拳を握るロアルド。 「じゃあそのあたりも含めてね。鍋物でもつつきながらよく話し合いましょうか」  クタクタだったが、四人全員が調子を揃えておー!と腕を突き上げた。  この春、暮れなずむ京都の片隅で私達四人の事務所が発足したのだった。
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