ヨットハーバーのレストラン

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 コーヒーをテイクアウトしていった、親子の後ろ姿を見つめて、阿見春馬(あみはるま)は、くすくすと笑ってしまう。  東条建設の社長、東条隆元(とうじょうりゅうげん)。 自分のヨットを、このハーバーに停留するようになって約一年。  どうやら、彼の本当の目的は、あの息子 大智君と一緒に遊ぶためだったらしい。  今日、その願いが叶ったようで、嬉しそうに息子さんを紹介してくれた『愚息』だなんて言っていたが、自慢の息子だ。  背が高くて、賢そうな顔、見ただけで分かる好青年、女の子にモテそうだった。  隆元さんは、このレストランに来るたびに、子供たちの事を話していた。   今日、会った彼は、次男の大智(だいち)君、たぶん二十歳。  この近くの大学に通う二年生、お兄さんお姉さんのいる三人兄弟の一番末っ子。  去年の春から、実家を離れ、この町で一人暮らしを始めた。  子供は、親離れしたが、親は、子離れできていないようで。  家に帰ってこなくなった息子に会うのに、この町にやってくる理由が欲しかった、それで考え付いたのが『ヨットを持つ』だったらしい、そのために、ヨットを買い、このハーバーに停泊させている。  金持ちの考えることは、飛びぬけている……そんな理由で、ヨット購入とは……金を、持て余しているのだろう、うらやましいかぎっりだ…… けど、ネジ外れてンな。 いいけど。  春馬は、ヨットに乗り込む、二人の姿を確認して、厨房の仕事に戻った。  その日から、大智は、阿見春馬のレストランに足しげく通ってくるようになった。  ランチを食べに来たり、コーヒーを飲みに来たり。 こんな場所に来るより、街中のコーヒーショップに行った方が、便利だろうに、何かがお気に召したらしい。  今日も、またやってきた。 「いらっしゃいませ」 春馬が、声をかけると、大智は楽しそうに、店に入ってくる。  ランチタイムが終わって、客の引いた店内をぐるりと見まわして、厨房から近い席に座った。  お冷とお絞りを持って、席に近づく。 「こんにちは、課題をやりたいのですが、ここでやってもいいですか?」  育ちって言うのは、いろんな場面で分かってしまうものだなぁと思う。 律義に、課題をやってもいいかと聞いてくるので、愛想よく了解の返事をする。 「いいですよ、この通り暇だし、いくらでもどうぞ。何か飲みますか? それとも、俺も邪魔しない方が、いいですか?」 「アイスコーヒーを下さい」 「かしこまりました」  春馬が、厨房に下がると、大智は重そうな資料と、タブレットをテーブルに広げた。  アイスコーヒーを持っていくと、資料から顔をあげて、それを受け取った。 「ありがとうございます」 「いえいえ、隣のテーブルに、置いてもいいよ、資料やタブレットに、コーヒーがかかるとまずいだろ」 「すみません、阿見さん」 「いいえ、東条さんは、お得意様ですから」 春馬の名前を憶えていたことに、少々驚いたが、愛想笑いで答えると、大智は少し寂しそうな顔をした。 「大智です、東条大智」 「あぁ…大智君。俺は阿見春馬です、みんなは春馬って呼びます、大智君もそれでいいよ、よろしくね」 「はい」 東条大智は、何故だか、百点の笑顔で頷いた。 「用があったら、いつでも呼んで、軽食もできるから」 そう言って、その席から離れ、厨房に下がる。    いつも通り、片付け物と、夕食タイムの仕込みをしながら、店の中を時々覗く。  大智は、膨大な資料と格闘しているようだ、なかなかの集中力で、課題に取り組んでいる。  午後のまったりとした時間が過ぎて行く、アイスコーヒーも氷が解けていくだけで、飲んでいる様子は無かった。    三時近くなると、いつもの高校生カップルがやってくる。 春馬は、彼らが、この店にやってくるのを、楽しみにしている。 高校生カップルは、千葉貫太(ちばかんた)桂川律(かつらがわりつ)の男の子同士カップルだ、まだまだ付き合い始めたばかりで、初々しい姿は、見ているだけでむずむずと楽しくなる。    春馬の、高校時代の友達で、このレストランの改装をしてくれた建築家、月島海人(つきしまかいと)の知り合いで。 春馬は、偶然、彼らが、海人にカミングアウトした、その場に居合わせた。  春馬の恋愛対象も、同性だということもあり、応援したい気持ちで、デートでこの店に来れば、ソフトドリンクをおごってやると約束をした。 そんな特典があるので、彼らは春馬の店をよく訪れる。  今日も仲良く二人でやってきた。 「春馬さん、こんにちは」 「はい、こんにちは」  ただ挨拶を返しただけなのに、二人は顔を見あわせて、楽しそうにしている。  まぁ、楽しいよね、若い時はそんなことがよくある、二人はそろってコーラを注文した。  グラスに氷とコーラを注いで、ミントとレモンを飾ってやると、それを持って、テラスの風の当たる席に移動していった。  まだ残暑厳しく、風にあたっていても暑そうだが、二人には関係ないらしい。  ほほえましく思いながら、二人を見送る。 「知り合いですか」 急に話しかけられて、大げさに驚いてしまった。 すぐ近くに、大智が立っていた 「うん、友達の友達」 「若い友達が居るンですね」 「まぁね、近くの高校生だよ」 「恋人同士ですか? 」  大智は、テラスの二人が、ちょっと近すぎる距離で、笑いあっているのを、見ながら、そう聞いてくる 「あー 許せる人?」 「まぁ、偏見はありません」 「そう、 ……世の中にはいろんな人が居るから、安心してデートできる場所があるといいかと思って…… この時間、普段はお客様もいないからさ」 「……俺、邪魔ですか?」 「いいや、見守ってくれるならいいさ」 春馬はしばらく二人を見守っていたが、突然ハッとした 「何? 用事? 飲み物? 腹減った? 」 春馬は、矢継ぎ早に質問する。 「両方です、目途が立ったので、俺も、春馬さんと話しに来ました。みんなで楽しそうだったので、うらやましかったンです」 「うらやましい?」 春馬は首をかしげて、繰り返した 「はい」 「……アイスコーヒーにもミント欲しかった?」 「いや、そこじゃありません」 「課題もういいの? 」 「はい」 「腹減った? 」 「はい、サンドウィッチみたいなものありますか? 」 「できるよ、ちょっと待って」 春馬が厨房に戻ると、大智も、元のテーブルに引き返し、資料とタブレットを手早く片付けて、リュックにしまうと、グラスをもって、カウンターに移動してきた。  厨房の見える、カウンターの高い椅子に座ると、氷のとけたアイスコーヒーをすすった。 「サンドウィッチで好きな具とか、嫌いな物とかある?」 「えーと、特別ありません」 春馬はその答えに、頷くと、手早く作業を進めた。  大智はその姿を、ただ眼で追っていた、働いている後ろ姿も美しいなぁと思いながら。  春馬はパンをトーストしてから、卵とハム、レタス、トマトが一緒に入ったサンドウィッチを作った。 「はい、どうぞ、課題お疲れ様。 メニューに載っていない特別メニューだよ、いっぱいあるから、たんとお食べ」 そう言いながら、サンドウィッチの皿を出して。 新たにコーラも出した、勿論ミントとレモンも飾って。 「春馬さん、優しいですよね」 そう言うと、春馬は声をあげて笑った 「レモンとミントがうれしいの?」 「違います」 大智は子ども扱いに、少しすねなた。  大智の顔をしばらく眺めてから、春馬は長く息を吐きだした 「優しくはないよ、俺がしてもらったらうれしい事をしているだけ」 「ほら、優しいじゃないですか」 「そう? 誰かにやってもらうとサ、後で自分も同じだけ、誰かに返してあげたくなるんだよ」 はっと、顔をあげた大智は、じっと春馬を見た、春馬は大智と目が合うと、ニッと笑って見せた その顔にまたドキリとして、大智は、もそもそとサンドウィッチを食べた。  春馬は何も言わずに、厨房に帰っていった。    それから大智は、同じような時間に、ほぼ毎日、やってくるようになった。  いつも、春馬に断ってから課題を広げる、そのため、春馬も、サンドウィッチの具をあれこれと変えては、大智に提供するようになった。  それは、大智が課題をしにやってくるようになって一ヶ月近くたった八月も終わりのある日、春馬はやっと、大智の課題の多さに疑問がわいた。 「大智君」 「はい」 「今、大学は夏休みだよね」 「はい」 「大学は夏休みの宿題なんかないよね」 「はい」 「じゃあ君はどうしていつもここで課題をしているの?」 「あっ、迷惑でしたか?」 「そうじゃないけど、単純な疑問」  大智は、課題の手を休めて、春馬に向き直った 「大学が、姉妹提携している、海外の学校がありまして、そこに十テーマ以上の、論文を提出して、向こうの教授に認められると、時別待遇の留学生になれます。 提携を結んでいる学校なので、日本の学校での卒業資格があると、最短二年で卒業に必要な単位を取ることができます。 つまり、二年留学するだけで、海外の学校の卒業資格も取れる制度があるンです。 その資格が欲しいので、夏休みの間もゼミの教授に論文を見てもらって、論文を提出しようとしているンです」 「へー、そんな制度初めて聞いた」 「はい、他の学校では聞かないし…難しいので、誰も挑戦しないそうです」 「は?」 「ダメ元です、取れたら『ラッキー』でしょ」 「……そうなの?」 「そうなんです」 「頑張っているね、応援しがいがあるよ」 「応援してくれているンですか?」 「そうだよ、飽きないように、サンドウィッチの具を替えて、応援している」 「あぁ、それで。いつも違うサンドウィッチが、でてくるんですね、気にしてもらえるなんて、とっても嬉しいです。 俺は最初の卵と野菜のと、この間の照り焼きチキンサンドが好きです」 「よし、わかった。今度それにしよう」 「はい」  大智は嬉しそうに、顔を赤らめながらニコニコしていた。  春馬もつられて、ニコニコしていたがはっと思い出した。 「っていうか違って、来週の土曜日なンだけど、花火大会があって。 ヨットのオーナーさん達を招待して、ここで立食パーティーをすることになっているんだ。 その準備があって、いつもみたいにここを使えないので、来てはダメだよ」 「じゃあ、その準備、俺も手伝います」 「え? いや、いいよ」 「役に立ちますよ、テーブル移動したり、食器の準備も手伝います。 料理は無理だけど、飲み物のサービスぐらいならできます」 「お客様にさせられません」 「いつも応援してもらっているお礼です、それにたまには、課題以外の『夏の思い出』が欲しいです」 「……可哀そうな事言うなよ、友達と遊んで、『思い出』は作りなさい」 「春馬さんの、手伝いができたっていう、『思い出』がいいンです。 何でもします、おねがいします」 大智に、犬のような耳が付いていたら、完全に垂れているだろう様子に、ほだされてしまう。 「ンじゃあ、頼もうかなぁ」 「はい!」  それから、当日の流れを説明して、準備にどのぐらいの時間がかかるか逆算して、大智にはその日の朝から来てもらうことにした。
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