カウントダウンの時計、カチリ

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  春馬と付き合って二年、愛情を注いで、受け止めて、自分たちなら大丈夫。 確かに、思われて、愛されている自信がある。 遠く離れてしまう、留学期間もきっと乗り越えられる。  大智は、そう思っている、春馬の感じている不安を、大智も感じ取っていた。 でも、一緒に過ごした時間に、自信を持っている。 小さな癖も、いじっぱりで、愛されたがりなはるまのことを、一番わかっている自負もあった。 これまで過ごしてきた二年間の、愛情は、真実だ。 なかなか、信じてくれない春馬が、「もうわかった」と言うほど、愛情も、嫉妬も、何時だって、声に出して伝えて来た。  春馬の不安が少しでも軽くなるように、いつでも顔が見られるように、ネット環境を整えた、毎日連絡を取り合えるように約束をする。 ちょっとでも長い休みがあれば、帰国する約束もした。  大智が、留学を終えて帰ってくるまでの二年、それからの未来の為の、我慢の時間だと、春馬もわかってくれている。  大丈夫、絶対に大丈夫。 距離も、時間も、乗り越えられる。 一生をかけて、愛する人なのだから。     渡英までの全ての時間を、春馬と一緒に過ごすと決めた。  抱きしめて、あやして、揺らして、春馬の不安が少しでも取り除けるように。  留学先に飛び立つ、その日の朝も、春馬のアパートで目覚めた。 二人でバスに乗って、空港まで向かう。  春馬は、大智を、空港まで見送りに行くのは、遠慮しようと思っていた。 家族や、友人が、何人も大智を見送りに来るだろうと思ったから。  それなのに、大智は、家族や友達の見送りを全部、断ってしまった。 だから、飛行機に乗るその瞬間まで、一緒に居られる、誰にも遠慮せずに、言葉を交わせる。  少し早く着いた空港を、二人で探検をした。 展望デッキに出て、滑走路を走って、飛び立っていく飛行機を眺めた。  滑走路を眺められる、展望デッキの下は、大きなホールになっていた、国際線の待合ロビーがガラス越しに見える。 「大智が、出国ロビーにはいったら、俺ここから大智を探すね」 春馬は楽しそうに、そう話しているので、大智は堪らなくなって、こっそりと抱きしめた。 大智の腕の中で、春馬が見上げてくる、そしてまたあの花がほころぶような笑顔で笑う。  春馬は、大智に笑っていてほしかった、だから努めて笑顔でいるようにしていた。 ヨットハーバーでのデートで、大智がそう言っていたからだ『先に春馬さんが笑ってください、そしたら俺もわらっていられるから』 その言葉通り、大智も、春馬につられて笑った。  出発時間が近づいても、名残惜しくて、大智はなかなか出国ゲートをくぐれずにいた。 そのうちに、大智の飛行機への最終搭乗案内が流れる。 「大智、もう行って」 「春馬さん」 「うん、わかってるから、大丈夫だよ、頑張っておいで」 春馬に背中を押されて、大智はしぶしぶ出国ゲートに向かう。 振り向くと、春馬が笑顔で手を振っていた。  大智の背中が見えなくなると、春馬は詰めていた息を吐いて、笑顔を失くして、空港の高い天井を見上げた。 ゆっくりと目を閉じて、十まで数える。 それから、さっき見つけた、出国ロビーが見える、ホールに移動した。  ガラス越しに、ロビーを眺めると、楽しそうな人々が見える。  キョロキョロと見回すと、大智がこちらを探しながら歩いてくるのが見えた。  春馬は、大きく息を吐きだした、大きなホールに人影はなく、ガラスのこちら側は、春馬しかいなかった、風も吹かない静かな場所だ。  遠くから歩いてくる大智を見る、爽やかなブルーのシャツが、今の大智の瑞々しさ強調しているようだった、かっこいいなぁと頭の端で思う。  覚悟は、もうしてある。  カウントダウンの時計の音は、もうしない。  ついにその時が来たからだ。  スマホの通話履歴の一番上にある、大智の名前をタップする。  大智はキョロキョロと、ホールに向かっているガラス越しに、春馬をさがしていた。    春馬を見つけると、タイミングよくスマホの呼び出し音が鳴る。 スマホをタップして、春馬と繋がる。 ガラス越しに見つけた、春馬の前まで近づく。 ガラスの向こうに立つ恋人は、いつも通り美しく、優しく笑っている。  スマホを左耳に当てる。 ガラス越しに見える春馬は、いたずらが成功したような、楽しそうな顔をしていた、大智が好きな顔だ。 「もしもし、大智ィ? 」 いつもの、少し甘えたような呼び方。 「そうですよ、春馬さん… ちょっと行ってきますね、着いたらすぐ連絡します」 ガラスの向こうの春馬は、にこにこと笑いながら、いつのまにかその目に沢山の涙をためていた。 「大智、俺、無理だ」 大智はガラスに一歩使づいた、ガラスの向こうの春馬の頬に触れたくて、手を伸ばす。 春馬は、動かずに大智を見ていた。 「海外留学する恋人と、遠距離恋愛するなんて、トラウマありすぎて発狂しそう」 春馬の目にいっぱいにあふれた涙は、ポロリと流れ落ちた。 その涙がかわいそうで、大智は手を伸ばす、冷たいガラスに触れただけで、愛おしいその人には届かない。 「春馬さん……春馬さん! 」 大智は、必死で春馬を呼ぶ、失くしてはいけない、大智のたった一つ。 ガラスの向こうで、春馬は、泣きながら、柔らかく笑った。 「春馬さん、毎日連絡するよ、大丈夫」 大智は自分にも言い聞かせるように言う。 心を、願いを込めて。 「春馬さん、愛してる」 大智は瞬きも忘れて、じっと春馬の姿を見つめている。 流れる涙も、震える肩もはっきりと見えるのに、手が届かない。 「大智、俺と別れて」 春馬の言った、その言葉を聞いた左耳が、ひどく痛かった。 瞬きを忘れた大智の目が、じっと春馬を見た。 「いやだ!」 思っているより、大きな声で大智は叫んだ、スマホからではなく、直接の声が春馬に届くように。 出発ロビーにいた何人かが、春馬の方を振り返った。 数人のガードマンらしき人が、大智の方にやってくる。 春馬は、自嘲気味に笑った。 じっと春馬を見つめる大智の目にも、涙が溜まっていく。 「弱虫で、ごめんな、でも……できないよ、終わりにしてほしい」 春馬は、大智をもう見ていることが出来なくてうつむいた。 「イヤ…… 嫌だ! 」 大智が、ガラスを叩く。 春馬は一歩後ろに下がった。 「春馬さん」 大智の声が、弱々しく抵抗している。 春馬は、笑っていようとした。 春馬が笑っていれば、大智も笑っていられるから。 笑っていようと思う春馬は、それに失敗して、ぽろぽろと涙をこぼした。 泣き笑いの、おかしな顔になった。 こんなに頑張って笑っているのに、大智は少しも笑ってくれなかった。 「春馬さん」 大智は、呼びかける。 「春馬さん」 必死で呼びかける、大切なその人の名前。 「春馬さん、俺が好きでしょ、貴方の人生のたった一人でしょ、愛しているでしょ『愛している』って言ってください」 春馬に、自分に言い聞かせるような大智のその言葉が、耳の奥に響く、なんて美しい音だろうか。 春馬は静かに通話を切った。 「待って!」 大智が叫んだ。 ガラスの向こうで、春馬の唇が動いた 『愛している、一生おまえだけだよ』 聞こえないはずの声は、大智の左耳の鼓膜を震わせた。 「春馬さん!」 大智は、両手でガラスを叩いた。 春馬は踵を返して、大智に背を向けた。 「春馬さん!」 大智は必死に、ガラスを叩いたて、その後ろ姿に縋る。 春馬は、歩き出した、振り向かずに去っていく後ろ姿が遠くなる。 「春馬さん!」 大智は、ガラスに両手をつけたまま、ずるずるとしゃがみこむ。 「春馬さん」 大智の世界は、遠く小さくなる光が、闇に覆われた、少しの光も見えなくなった。 頭の中で、ワンワンと音が鳴った、脳が大きく揺れているようだった、大智はそのまま意識を失った。
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