囁き声の聞こえる距離

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囁き声の聞こえる距離

 春馬と大智が再会し、お互いの存在を確かめ合った、翌日。 ベッドから、起き上がれない、春馬の為に、朝食はルームサービスを頼むことにした。  パン、コーヒー、サラダ、オムレツ、フルーツを添えたワゴンと一緒に、春馬のスーツケースが、部屋に運ばれてきた。  ホテルのドアボーイが、言うところによると。 昨日、会社の者が、スーツケースを運んできたので、フロントで、預かっていたという事だった。 あのフロント係が、きっと取り込み中だろうと、気を利かせたらしい。  なんと気が利く、フロントマン……  ただこの話は、春馬には、しない方がいいなぁと、大智は口を噤んだ。 「春馬さん、スーツケースが着きましたよ」 大智は、ベッドの横に、スーツケースを運んだ。 「うん、ありがとう」 ベッドで、眠っていた春馬が、のそのそと、ゆっくりとした動きで、バスローブだけ羽織って、スーツケースの前に、座り込んだ。  スーツケースを、開けた春馬は、そのまま、動きを止めた。 ベッドに座って、後ろから、その様子を見ていた大智は、その動きを、不思議に思って、春馬とスーツケースに近づいた。  スーツケースの中には、タオルで、厳重にぐるぐる巻きにされた、大きなものと、いつかクレーンゲームでとった、犬のぬいぐるみ、映画の半券……  そんなものが入っていた。  大智の視線に、気が付いた春馬は、そのおおきなタオルで、ぐるぐる巻きにされた物を、慌てて取り出し、抱きかかえた。 そのまま、タオルのぐるぐる巻きを抱えて、部屋の隅まで、逃げる。  その塊がなくなれば、縫いぐるみと、チケットらしきものだけで、他には何も、スーツケースに入っていなかった。 「春馬さん、コレって…… 」 それだけ言って、スーツケースの中身をよくよく見る。  どれも、春馬と二人で出かけた、思い出のある物、ばかりだった。 こんな、取るに足りないものまで、残して、大切に持っていたのか…… 「……違う! 違うからな!  ちょっと間違えただけだから! あわてて荷造りしたから…… 何を持っていけばいいのか、混乱して!  とりあえず大事なモノを…… とおもったら、こんな…… 」 顔を真っ赤にして、叫ぶ春馬を、大智は、胸がいっぱいになりながら、見上げた。  もうその、大智との、思い出の品々が、何より大切だと、白状している事に、気づいていない春馬を、ぐりぐりと撫でたくて、大智の両手が、不自然に空を掻く。  大智は、春馬を撫でるために、そっと近づこうと、試みてみたが、タオルを取られまいと、威嚇する春馬に、静かに、手をひっこめた。 「わかりました、取りません。大事な物は、コレって事で、いいですか」 大地の言葉の意味を考えながら、春馬は曖昧に頷いた。 「着替えは、入っていない、みたいですね……  俺の物を、使ってください、後で、買いにいきましょう」 何も言えずに、また春馬は頷く。  しばらく、言葉は無く、ただその品々の持っている意味を、かみしめた。  結局、春馬は、着替えを全部、借りる事になった。 下着やパンツ、シャツを着たところで、大智に後ろから捕まえられる。 「…… 可愛い」 大智は、頭をぐりぐりと、春馬の背中に、くっつける。  春馬は、今着たシャツを、脱がされそうになって、慌てて、腕の長さ分、離れる。 「春馬さ~ン」 「もう、後で」 春馬は器用に、上目遣いで大智を睨んだ。 その可愛らしい仕草に、大智は素直に、『後で』を楽しみにすることにした。  だがしかし、昨夜無理をさせ過ぎたからか、動きはとてもゆっくりだし、少し熱があるのか気だるそうだし……  つまり、久しぶりに愛し合った翌日の、恋人の色っぽさは、駄々洩れで、とても、外に、連れ出す気には、なれなかった。 なんとしても、閉じ込めておきたい。 「あの…… 貫太のところに行くのは、明日にしませんか?」 「いや、絶対行く! 」 春馬にも言い分はある。 昨日は、日本から一緒に来た律を、貫太の病院に置いてきてしまった。 慣れない国で、不安だっただろうに、悪いことをした。 どうしても、様子が知りたい。 小一時間は、やいやいと言い争った。 『どうしても今日だけは…… 』と頼み込んで、大智だけで、貫太の病院に、様子を、見に行くことにした。  貫太の病室に行くと、すでに律がいて、貫太のベッドのそばで、世話を焼いていた。 大地が、律に会うのは、久しぶりだった。 とりあえず、昨日のあれこれを謝り、貫太に、怪我をさせてしまったことを、深く謝る。  律は、春馬と大智が再会できたことを、自分の事のように喜んでくれて、『本当にいい子』だなぁと、ほっこりしていると。 突然、貫太が『退院させろ! 』と言い出した。  そんなことを、言われても、医者の許可が、下りなければ、退院なんてできるわけがない。 「俺は、ずっと病院で、律と、イチャイチャできないのに!  大智さんだけズルイじゃないですか!  それに昨日は、勝手に春馬さんを、連れて行っちゃうから。 律が、心配して、喧嘩しそうになったんです!  大変だったんですよ!  内田さんが、スーツケースを、取りに来てくれるまで、俺たちが、どんなきもちでいたか、わかりますか?  今すぐ、退院させてくれないなら。 俺の、知っている、全てを、春馬さんに、ぶちまけます! 全部話してやる! 」  貫太ときたら、大智が、春馬のことで、散々話していた弱音を盾に、退院を迫って来る。  久しぶりに会う、可愛い恋人が、いるというのに、病院という場所では、何かと都合が悪いらしい。 あまりに、必死な顔をするので、大智は、善処してやることにした。 決して、貫太の脅し文句に、屈したわけではない。  大智は、ナースステーションにいって、主治医と、話をさせてもらえる時間を、聞いた。  主治医は、すぐに見つかって、貫太の、退院について話した。 三日に一度の通院、投薬の厳守、多少の病院への寄付を、約束すると。 意外に、退院は早まり、『明日には、帰って良い』とのことだった。    貫太の病室に、戻ると、内田が、来ていた。 「大智さん、お加減はいかがですか? 昨日、スーツケースを、届けに行きましたが、フロントマンに、止められ、預けました。 受け取って、いただけましたか?」 「あぁ、受け取ったよ、ありがとう」  内田は、少し貫太と律の視線を、気にして、こっそりと大智に、耳打ちした。 「社長と、副社長が、今日の午後に、いらっしゃいます」 「そうか、千葉は、明日の検診を終えたら、退院することになった。 その前に、社長が、ここに来れて、よかったよ」 「大智さんに、お客様が見えたことを、社長には、話しておりません」 「へ? どうして?  それを、社長に報告するのが、内田の、一番の仕事だと、思っていたけど」 「それをして、私に得があるとは、思えませんでしたので」 つまり、大智の行動を監視し、それを社長に、逐一報告する、出刃ガメは、もう止める…… ということらしい。 「へぇ…… 心境の変化? 何かあったの? 」 「もっと、自分の為に、時間を使いたくなりました」 「なるほど」  内田は、律に、今日、泊まるホテルの、説明をして。 夕方に、迎えに来ることを、約束して、帰っていった。  素直に、お礼を言っている律を、心なしか、内田は、耳を赤く染めて、見つめていて。 貫太は、とてつもなく、面白くなさそうな顔を、している。  カオスだな…… と思いながら、大智は、病室をでて、春馬の待っているホテルに戻る。 いつもの運転手と、車を探す。 今日も、いい塩梅で、車を止めて、待っていてくれていた。 気の利く、運転手だ。
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