南蛮の吸血鬼

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 ふと目を覚ますとたかは布団に寝かされていた。男はおらず、厨にはまだあたたかい汁が湯気を立てている。腹が抗議をするようにくうと鳴った。たかは椀を見つけてよそい、汁を飲む。具は芋だけだが、十分腹にたまった。  ほうと息をついて椀を片付け、たかは座り込む。おそらく朝だというのに窓に板が打ち付けられ、布がかかっているから暗くて仕方がない。外に出ようと思ったが開かなかった。  殺す気は失せたようだったが、逃がす気はないのだろう。あちこち探し回ってろうそくの予備と開かない扉をもう一つ見つけた。開かない扉は外に出るためのものではないらしい。他の扉と違って引き戸ではない。それに不思議な装飾が施されていた。  暗いし、遊ぶものはないが、食べるものはおいてある。逃げようという気にはならなかったが、たかは退屈し始めた。男はどこに行ってしまったのだろう。思えば男の名さえ知らない。  銀色の長い髪を髷にしないどころか、結びもせずに垂らして、赤い目をしている。着物ではないものを着ていて、なぜか袴を穿いていた。ばさらとかかぶき者と呼ばれるものなのかとも思ったが刀は持っていなかった。刀なぞなくても人を殺せそうな男ではあったが。  幼いたかにとって大人の男は一様に大きくて怖いものだが、男はその中でもずんと大きい。それに無愛想で、目は大きいし、鼻は高い。人間ではあるかもしれないが、少し違うのだろうかとさえ思う。  そうこうするうち板の隙間から差す光が黄色より橙に近付いた。たかはすることもないから風呂に行った。やはり風呂は満々と湯が溢れている。身体を綺麗にするだけでなく、湯をはねて遊び、のぼせる前に上がった。  ひまを潰していた部屋に戻ると気配がした。もう板の隙間から光は差さない。がちゃりと金属の擦れる音が聞こえた。蝶番の軋む音がする。たかはあの開かない扉が開いたのだと気付いた。パタパタと走っていくと、男が中からでてきた。 「大人しくしていたか? たか」  たかがこくりと頷くと男は冷たい手で頭を撫でてくれた。 「どこに行っていたの? あなたの名前は?」  男が咎めるように立てた指を振った。 「質問は一つずつだよ、たか」  問うてはいけなかったわけではないらしい。 「あなたは誰?」 「エイシェル・シルバー。海の向こうから風に乗ってここに来た」 「えいし……?」 「しろがねと呼べばいい。ここらじゃそう呼ばれている」 「しろがね、はどこに行っていたの?」  しろがねは扉をすっと指差した。 「ここにいた。どこにも行っていない。私は昼間眠る質でね」  だから、こんな時間になって部屋から出て来たのだろう。 「どうしてうちを殺さないの?」  彼は長い足を折ってしゃがむ。 「君は死にたかったの?」  赤い目がかすかに光る。 「わからないの。たかはととも、かかもいない。こそ泥するしか生きていけない。いつ死ぬかわからない。生きていてもいいことはない。たかは生きたくない。でも、死にたくない」  声が震えるのを止められなかった。彼は驚く様子も見せずにたかの声を聞いていた。この乱世でたかのような子供はごまんといる。珍しいことではない。 「たか、私は何人殺したか覚えていない」  唐突な言葉にたかは息を飲む。 「生きるために仕方なかったんだ。私は死にたいけど生きていたいから生きてる。君と反対だね」  そう言って諦めたように笑ったしろがねが不思議と怖くなかった。覚えていないというほど人を殺した彼が怖くないはずがないのに。 「君を殺すのをやめたのは……いや、よそう。よく思われたいわけじゃない。たか、私は昼に寝て、夜起きる。飢えさせない以外はしてやれない。ここにいるか、出ていくか選ぶといい」  たかは迷った。ここにいれば飢えない。だが、いつ彼の気が変わって殺されるかわかったものではない。けれど、いつ殺されるかわからないのはここを出ても同じだ。飢えないだけよほどマシだろう。たかはふと笑って口を開く。 「たかはここにいる」 「そうか。好きにするといい。ご飯を食べに行くけど、行くかい?」  たかが頷くと彼は歩き出した。玄関には見慣れない履物があった。彼は草履でも、下駄でもなく、それを履くようだ。 「たか、ゾウリは?」 「ない」 「ふむ。明日、自分で購いに行けるか?」 「おあしがない」 「おあし……ああ、金か。私があげる。店はわかるかい?」  たかがこくりと頷くとしろがねは背を向けてしゃがんだ。 「少し遠くへ行く。おぶってやろう」  裸足であることを心配されたのだろう。しろがねの真意がわからない。戸惑いながらたかは彼におぶさる。父の背より広いが、やはり冷たい。 「なんで優しくしてくれるの?」 「私にも子供がいた……遥か昔……疫病で死んだ」  鬼でも親子の情はあるのだと寺の坊主に聞いた。子供を失ったから彼は人殺しになってしまったのだろうか。しろがねはざくりざくりと道のない場所を歩く。 「どこへ行くの?」 「飯の食えるところだ」  昨日は道を通ったように思えたが、記憶違いだろうか。草丈はどんどん高くなり、たかの足首をこそぐる。 「私は血を飲む。他でもない人の血を」  どこからか赤錆のような臭いが漂ってきた。むっと鼻をおおいたくなるようなそれは何度も嗅いだことがある。父母が殺された日も、こそ泥仲間が死んだ日も。 「私が怖いか?」  たかは震える手でしろがねの服を握る。 「しろがねはたかの血も飲むの?」 「さぁ……わからないな……」  冷たい背中、冷たい手。しろがねはやはり人ではない。そう思った。 「たかはしろがねが怖い。でも、他の人間はもっと怖い。だから、たかはしろがねといる」 「そう」  しろがねはたかを木の上に座らせる。 「すぐ戻る。いい子で待っておいで」 「うん」  血の臭いはますます強く。傷ついたものが発しているのかうめき声が聞こえる。戦がなくとも夜盗はいるし、人斬りもいる。そうして斬られたものがどこかにいるのだろう。程なくして鋭く息を吸う音が聞こえたきり、なにも聞こえなくなった。  少ししてしろがねが戻ってきた。彼がうめき声の主を殺したのかとは問えなかった。彼は強い血の臭いをまとっている。 「たかの飯を購いに行こう」  たかは頷いて元通り彼の背におぶさる。たかにはなにが正しいのか、何が正しくないのかわからなかった。
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