南蛮の吸血鬼

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 子供を拾った。戦災孤児だ。いつでも簡単に捨てられる。だが、エイシェルは子を家に入れた。哀れんだわけではない。慈しもうと思ったわけでもない。ただ興味を引かれた。  飯を食わせ、清潔にさせ、ゾウリを買い与えて、エイシェルにも自分がなにをしたいのかわからなかった。気味悪がられぬようにしようとも思わなかった。目の前で人を殺してもたかは驚かなかった。  たかもどこかが壊れているのかもしれない。自分と同じように。そう思ったらざわついていた心が凪いだ。  エイシェルは孤独だった。だからずっと歩いていた。歩いて歩いて、何の気なしに船に乗った。船はよく沈むと聞いた。生きて渡れるものは少ないと聞いた。生きたいが死にたい化け物は命を人間の営みに任せた。  船は沈まず、エイシェルは息災のまま、渡海した。そこは戦が繰り返し起こる荒れた国だった。血を飲まねば飢え渇くエイシェルには都合がよかった。死体が一つ、二つ増えても問題にならない。荒れ果てた彼には似合いの地だった。 「しろがね」  袴を引かれてエイシェルは立ち止まる。 「どうした?」 「疲れた」 「そう」  背を向けてしゃがむとたかはすぐにおぶさってきた。こうして歩くことにも慣れてきた。たかはまだ幼く、長く歩きたがらない。エイシェルが夜な夜なさ迷うのについて来なくてもいいと言ったが、たかはついて来る。寂しいのだろうか。最後は背で寝ているのが常だ。  眠ったたかはぽかぽかとあたたかく、エイシェルの心に感情のようなものを呼び覚ます。消えたはず。忘れたはず。なくしたはず。わからない。 「たかはどうして私といる?」  思い立っては問うとたかはエイシェルのジャケットをぎゅっと握る。 「しろがねといれば飢えて死なずに済む」 「そう」  いつも答は同じ。それでいい。情などいらない。 「しろがねはどうしてたかを捨てない?」  珍しく問い返されてエイシェルは言葉に詰まる。 「わからない」 「たかと同じ」  うふふとたかは笑った。なにが同じだというのだろう。たかが笑うのはひどく珍しくて、思わず細い首に手をかける。このまま首を絞めたらたかはエイシェルを恐れるだろうか。細い首に牙を突き立てたらたかは…… 「しろがねに殺されるなら怖くない」  その声に思わず逃げた。たかを振り捨ててエイシェルは逃げ出した。わからない。なにもかもがわからない。たかはエイシェルを恐れなかった。たかはどんな顔をしていたのだろう。  枯れ葉の中にざうと膝をつくと、折れた刀が目についた。まだ落ち武者狩りが行われる前なのだと気付いて、エイシェルはきびすを返す。たかが危ない。  たかは少しも動かず、そこにいた。不安ではあったのかエイシェルの顔を見て、ほっとしたように息をついた。 「行こう」  またたかを背に負い、歩き出す。 「たか、私はお前がわからない」 「たかもしろがねがわからない」 「そう……」  わからない。わからない。わからないばかりでわかることの方が少ない。たかもわかってなどいない。そう思ったらすこしだけ気が楽になった。 「飯を食いに行こう」 「うん」  いつもよりたかが熱いのは気のせいだろうか。日中、たかがどう過ごしているか知らない。購っておいた飯を置いておけばなくなるから食ってはいる。エイシェルが知っているのはそれだけだ。  たかは馬鹿な子供ではない。わきまえている。だから置いておける。それが普通ではないとエイシェルは知らなかった。  エイシェルはいつも違う店に入る。覚えられると都合が悪い。彼にとって距離は問題ではない。以前は気まぐれに店に行くだけだったが、たかがいると毎日食わさなければならない。面倒ではあったが、手放す気は無かった。  店に入り、うどんを一つ頼む。取り皿も一つ。熱くて食えないからと。エイシェルは食べるふりだけで食べないから全部たかに食わせる。だが、今日はたかがあまり食べない。様子もおかしい気がして顔を覗き込む。 「どうした? 冷めてしまうぞ?」 「うん」  頬がいつもより赤い。身体が熱かったのは気のせいではないようだ。 「おやまぁ、嬢ちゃん熱があるんじゃないのかい?」  店の女将がたかの額に触れた。エイシェルは思わずたかを抱き寄せる。 「私のものだ。触れるな」 「大事にするのは結構なことだけどね。熱がある子を夜に連れ歩くものじゃないよ。さっさと連れ帰って寝かしてやんな」  そう言って包んだ握り飯を押し付けられた。エイシェルは多めに金を置いて、そこを立ち去る。たかに触れられたことに無性に腹が立った。だが、それよりもたかを早く休ませなければならない。  夜な夜な連れ歩いたからよくなかったのだろうか。人の子は寝かせておけば治るのだろうか。彼もかつては人間だったはずなのに思い出せない。  家に帰り着く頃にはたかはぐったりしていた。すぐに布団を敷いて寝かせたが、がたがたと震えている。囲炉裏に火を入れ、あたたかくしてもたかは震えていた。 「寒いのか?」 「平気。寝れば治るって、かかが……」  とてもそんな風には見えなかったが、エイシェルにしてやれることはなかった。荒い息、潤んだ瞳、苦しそうであまりに哀れだった。エイシェルはたかの頬に触れる。火傷しそうな程熱い。 「しろがねの手、冷たくて気持ちいい」  ほっとしたように呟かれ、エイシェルは両手で頬を包む。 「今日はそばにいてやる。眠れ」 「うん」  なかなか寝付けない様子だったが、しばらくしてどうにか眠ってくれた。しろがねもそばに寄り添って眠った。自分の部屋で眠らないのは落ち着かなかったが、日の光は入らないようにしてある。問題ないだろう。  たかの熱はなかなか下がらなかった。飯もあまり食べてくれず、少しずつ痩せて行っている。医者に連れていってやることもできず、他の手当も知らず、エイシェルは弱り果てたたかのそばにいることしかできなかった。  このままたかが死ねば一人に戻れる。独りに戻って何になる。今度こそ本当に生きるのをやめようか。どうしてこの幼子を生き死にの理由にする。長く在るのだからそれぐらい自分で決めろ。  ぐるぐる回る思考に吐きそうだった。たかが熱を出しているから不安なのだとやっと思い至った。エイシェルはたかを抱き上げ、医者を尋ねた。これ以上放っておけない。やはり化け物の自分が子を育てようとしたのが間違いだったのだ。 「この子を頼む。元気になったら寺へやってくれ」 「え?」  たたき起こされ戸惑う医者に大金と一緒にたかを押し付ける。 「頼む」  エイシェルはその場を後にした。助かればよし。助からなくても目の前で死なれずにすむ。血迷って血を吸ったり、同族にしたりせずに済む。たかはまだ幼い。まだ戻れる。  だが、どうして心に寒風が吹きすさぶのだろう。  独りになった。元通りに。たかはきっと寺で普通の子供に戻るだろう。そう思ってもなぜだか心にぽかりと穴が開いたようだった。心などとうになくしたはずなのになぜそんなことを思うのかわからない。生きていてくれと願うのもどうしてか。  団子を一つ購って渡す相手がないことをエイシェルは思い出す。たかといたのはほんの短い間だったというのにどうしてこれほど染み付いているのかわからない。 「ああ……食ってしまえばよかった……」  そうすれば忘れられた。そうすれば罪悪感を腹に飼えた。団子を無理矢理飲み込んで、エイシェルはぼぅと月を見上げる。  もう生きたいとも、死にたいとも思えなかった。
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