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たかが目を覚ますと見慣れぬ部屋に寝かされていた。しろがねがくれた布団よりずっと粗末な布団に包まれていた。何日も続いた熱はやっと下がったようだ。
「気分はどうだね、じょうちゃんや」
尼僧に声をかけられた。ずっと見ていてくれたらしい。見回せばたかのほかにも寝かされているものがいる。
「平気。ありがとう」
「礼が言えていい子だ。腹が空いたろう。もう少しで昼餉だからね」
「はい。あの、しろがね……銀の髪で赤い目の人は?」
尼僧は困ったように笑った。
「じょうちゃんを連れてきた人なら金だけ置いてどこかへ行ってしまってね」
「そう……」
熱を出して何日も寝込んだから愛想を尽かして捨てられたのだろうか。きっと追ってはいけないのだ。それはわかっている。けれど、どうしてこんなに悲しいのだろう。
「おやおや、泣かないどくれ。目立つお人だ、すぐ見つけられるよ」
すぐ見つからないのは知っている。しろがねは千里の道も短い時間で行き来する。ここもしろがねの家から遥か遠くなのかも知れない。
しろがねは人を殺す。血を飲む。たかのことも殺さないとは言わなかった。だから、ここに置いて行かれて命拾いしたと思えないこともない。けれど、たかは彼のそばにいたかった。
地獄のような日々のなか、助けてくれたのはしろがねだった。彼にどんな思惑があったにせよ、衣食住を与えてくれた。不器用な優しさを分けてくれた。そんな彼に捨てられた。
溢れ出す涙が止まらなかった。
病は癒え、親のない子を預かる寺に送られた。静かな日々だった。言うことを聞いていれば飯にありつけ、寝るところもある。喧嘩やいじめは当たり前だったが、たかは気にしなかった。生きられるだけいい。けれど、心は空っぽで生きる意味がわからなかった。
夜、独りで寺の庭に出た。広い庭をあてどもなく歩く。寺から出られないのは知っている。兵士が押し寄せたとき守れるようにぐるりと柵を巡らせているからだ。伽藍伽藍伽藍堂。
「やれ、そこを行くはたかではないか」
若い僧に呼びかけられて足を止める。まだ来て間もないと言うのにこの僧はたかの名を覚えていた。いかにも善良な僧は叱るためにたかを呼び止めたのではないことを知っている。
「夜は足元が危うい。せめて明かりを持つのだよ」
訳のある子供しかいない寺の僧であるがゆえに咎めることはない。
「明かりは嫌い」
「左様か。なにゆえか教えてくれんか」
「しろがねが嫌いだって。焼けてしまうからって」
「しろがねはなにものぞ」
「たかを生かしてくれた。でも、人じゃない」
「なにゆえそう思う」
「しろがねは赤い目が光る。飯を食わず、人の血を飲む」
僧は怖じけたように眉をひそめた。
「やまんばか、はたまた鬼の類か」
「そうだったとしても、たかはしろがねに会いたい」
僧はふうとため息をつく。
「しろがねのことは忘れたがよい。たかは器量もよく、賢い女子じゃ、すぐに引き取ってくれるものが現れよう」
「いやだ! たかはしろがねがいい!」
ぞん、と空気が冷えた。僧の顔が見る見る青ざめる。銀の髪が目の前で揺れ、僧が崩れ落ちると仄かに光る赤い目がこちらを見ていた。
「たかに無体を強いた報いよ」
若い僧は骸になっていた。たかはそんなことどうでもよかった。しろがねに会えた。それだけで十分だった。
「しろがね!」
ぎゅっと抱き着くとしろがねは不器用に頭を撫でてくれた。
「たかがいないとここが冷える」
しろがねは大きな手で胸を押さえた。
「お前が嫌でなければ一緒に行こう」
「たかはしろがねがいい」
「そうか……」
たかはしろがねの背におぶさった。広くて冷たい背中。
「ずっと一緒」
返事はなかった。けれど、迎えに来てくれた。それが答えだ。
その後、二人の行方を知るものはない。
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