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チラチラと舞い散る雪。一面の銀世界は、一切の音を遮断する。
今まさに穴倉から顔を出した子熊は、きょとんと文字通りフリーズした。数秒ののち、何事もなかったかのように足を踏み出す。冷たい。わずかに体を震わせる。
お腹空いたなぁ。子熊の頭にあったのはそれだけだった。春が来る前に冬眠から目が覚めた、その絶望を知るには、子熊は幼すぎる。
新雪に足跡をつけながら、子熊は歩く。
キラキラ、ふわふわ。
最初は楽しかったその体験も、慣れてしまえばうっとうしいだけだ。
食べ物…食べ物はどこ?秋、子熊が母熊とともに魚をとった池は凍っていた。
空腹はとうに限界である。食べ物、食べ物、食べ物…
その時だった。子熊の視界に、彼が写ったのは。
雪よりも白い髪。同じく白い肌。まだあどけなさの残る顔は、この世のものとは思えないほど整っていた。
少し考えれば、わかっただろう。子熊と彼は、住む世界が違うと。決して触れてはならない存在だと。それは、圧倒的強者の姿だった。
しかし、飢えた子熊の理性は、その瞬間吹っ飛んだ。
タベモノ!
本能のままに牙を剥き、咆哮を轟かせる。少年の美しい眉が、ぴくりと動いた。
数秒後、雪原は紅く染まっていた。荒い息を吐きながら、子熊は少年を喰らう。小さいはずの少年の体は、子熊の胃袋を十分に満たした。
そうなるとむくむくと湧き上がってくるのは得体の知れない恐怖である。
この少年は何者なんだろう。自分は一体何をしたんだろう…
「そろそろ、満足かい?」
足元から聞こえた声に、子熊は思わず飛び退いた。叫ばなかっただけ褒められていいだろう。
よいしょっと体を起こしたのは、紛れもなくさっき自らが捕食した少年だった。
***
「全く、山の神サマを喰らうたあ、君もいい度胸だよね」
のちに、少年は語る。
「ですから何度も謝ったじゃないですか…」
もう子熊ではなくなった熊は、バツが悪そうに抗議する。くくっと、こちらは出会った頃から変わらない少年が笑う。
「ま、おかげで優秀な部下ができて満足だけどね」
「奴隷の間違いじゃないですか」
山の神である少年を捕食した熊は、同時に言葉を手に入れた。たどたどしい語彙をフル活用してそれはもう全力で謝ったものだ。その時に言われた言葉を、熊は忠実に守っている。
『じゃ、ちゃんと償ってよ』
その結果、熊なのに馬車馬のように働かされるハメになった。
まあ、不死身とはいえ痛みはあるらしいのだ。子熊の攻撃なんて簡単に避けられただろうに、大人しく捕食させてくれたのだから、それが都合のいい奴隷欲しさからくるものだったとしても…感謝するべきだろう。
「さ、出かけるよ。乗せて」
はいはい、と、熊は肩を…肩がどこにあるのかはわからないが…すくめ、わがままな主人が乗りやすいように背中を丸めた。
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