2 はらぺこ亭 絹田和也(きぬた かずや)

1/1
前へ
/10ページ
次へ

2 はらぺこ亭 絹田和也(きぬた かずや)

 俯いてトボトボと歩いていた日和が、ドンッと誰かにぶつかった。  衝撃で吹っ飛ばされて、尻もちをつく。  「あ、ごめんね。大丈夫?」  よく通るテノールの声がした。  顔をあげると、いろいろな食材の入った箱を抱えて立っている、エプロン姿の男性が眼の前に立っている。 「大丈夫です。こちらこそよく見ていなくて……」  尻についた土埃を(はた)きながら立ち上がった日和に、男性が頭を下げた。 「箱を3箱抱えていたから、前がよく見えなかったんだ。本当にごめんね、あ、そこがオレの店」  男性が指差さした方を見ると、「はらぺこ亭」と書いてあるお店があった。 「怪我はない? そしたらごめんついでにそこの扉、開けて貰ってもいいかな? 自動扉じゃなくてさ」  照れくさそうに笑う男性に言われて、日和ははらぺこ亭の扉を開けた。  男性は店の中に入ると、テーブルの一つに箱を置き、日和の前に戻って来た。 「改めてまして。はらぺこ亭店主の絹田 和也(きぬた かずや)です。まだ開店前でね、お茶をいれて一息つこうと思っていたところなんだ。良かったら、寄っていかないかい?」 「いえいえ、ご迷惑じゃ……」 「迷惑なら誘わないよ、さ、どうぞ」  店主の爽やかな笑顔につられて、日和ははらぺこ亭に寄っていくことにした。  テーブル数が4席、カウンター席が4席のこじんまりしたお店だった。  それでも、テーブルとテーブルの間がとってあり、狭いと感じることはなかった。  よく磨かれた木製の床。同じくらい磨かれたテーブルと椅子。  余計な装飾はなく、綺麗に片付けられた店内。  居心地がいい店だ。  店主が薄桃色のクロスを持ってきて、テーブルの上に広げる。  パリッとのりが効いた薄桃色のクロスで、店内の印象はより柔らかく見える。  飲食店は苦手なはずなのに、どうしてこのはらぺこ亭に寄ってしまったのか。  日和が考えている間に、店主の絹田が日和の前に、ティーポットとカップをおく。 「はらぺこ亭特製、みかん紅茶だよ、ニ、三分待ってから、カップに注いでね」  ふわりとみかんの香りが漂う。  大きく息を吸い込んで、香りを楽しむ。 「僕も、いいかな」  自分のカップを持った絹田が、日和の前の席を指差す。  笑顔で頷いた日和は、店主の後ろにいた白い小さなモフモフに息をのんだ。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加