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4 おなかが空いた
飲食をするのは苦手な筈だったのに、気づけばみかん紅茶も、チョコレートとオレンジのムースも綺麗に平らげることができた。
それどころか、余計おなかが空いて来た。
久しぶりの感覚に、日和は戸惑う。
絹田とうさぎに挨拶すると、日和は店を出た。
長年歩いているけれど、この通りを見たことがない。路地裏かな。そう思いながら歩く。
はらぺこ亭を出て、ニ、三歩。背後が光った気がした。
振り向くと、そこははらぺこ亭の通りではなく、馴染みの商店街だった。
肉屋さんでは、夕方のお惣菜を揚げている匂いがする。
うどん屋さんからは出汁の香りがする。
いつもなら、なんとも思わないけれど。
今日は、なんだかおなかが空いている。
不思議な事だらけで驚きはしたが、明日になればきっと、はらぺこ亭にたどり着けるだろうという気がしていた。
そして、はらぺこ亭でのアルバイトを楽しみにしている自分にも驚いた。
「ただいま」
家に帰って、祖父母に声をかける。
両親が亡くなってから、日和を引き取って育ててくれた人たち。
毎日食事を用意して、日和の帰りを待ってくれる優しい祖父母。
「おかえり、日和」
「今日は、豪華に刺し身だぞ。うまいぞ」
祖父母は食の細い日和の気持ちを夕食に向けようと、明るく声をかける。
いつもなら、「お腹が空いていないから明日たべるよ」と言って、すぐに自室に入るところだけれど、今日は洗面所で手洗いうがいを済ませると、食卓に着いた。
祖父母が顔を見合わせている。
そして、祖母が嬉しそうに日和のお茶碗にご飯、御椀にお味噌汁をつぐ。
角がキリリとたったお刺身、白く艷やかな白米、きのこ、葉類、根菜類が入った具沢山のお味噌汁。
食べる物は美しい、と思った。
箸をとる。
「いただきます」
声をかけると、ゆっくりと食事を取る。
味噌汁を一口。
お刺身にわさびを少しのせて、醤油につける。
新鮮なお魚の脂の甘み。
ご飯を一口。
お刺身とは違う、どのおかずにも合うほのかな甘み。
食事は、こんなに美味しいものだったのか。
「美味しい……おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとうね」
日和が言うと、祖母はエプロンの裾で目頭を押さえ、祖父はとても優しい笑顔を日和に向けた。
久しぶりに感じた、穏やかで満ち足りた幸せな夕食の時間だった。
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