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「全く、面倒かけやがって」  ソファーの前にあるローテーブルには、骨のついた肉を乗せた皿があった。その一本を鷲掴み、狼男は豪快に齧る。思わずシオはその口元を凝視してしまう。目下忘れていた空腹という存在が、今になって主張を始めていた。腹がぐうと鳴り、口の中いっぱいに涎が溜まる。  狼男は舌打ちし、皿へ顎をしゃくった。「食え」と短く言った。「部屋で野垂れ死なれたらたまらん」  獣の手を伸ばし、一つ掴んだ肉をじっと見るが、何の動物のものかわからない。だが一度齧りつくと止まらなかった。その美味さに涙さえ零れそうだった。 「おまえ、何か持ってるもんはないか」  しばらくそれを見下ろしていた狼男が言った。 「なにかって」 「なんでもいい。持ち込んだものがあったら出してみろ」  少し考え、シオは洗面所に引き返し、床に畳んで置いていたぼろぼろのハーフパンツのポケットを探った。狼男の横に戻り、手を開く。 「これだけ……」  手のひらには、汚れた十円玉が一枚乗っていた。 「金だな」狼男は顎に手を当てる。「失くすなよ。肌身離さず持っておけ。じゃないと、戻れなくなるやもしれん」 「どういうこと」  シオは尋ねたが、肉にかぶりつく狼男は答えなかった。代わりに、「おまえも戻りたいだろ」と言う。  今度はシオが返事をしなかったが、指についた油を舐めとりながら狼男は続けた。 「いくら誤魔化せるっつっても、おまえは人間に違いねえ。どうにかして戻る方法を探さないとな」 「……戻りたくない」 「わがまま言うな」  そういう狼男に、シオは震える声でこれまで受けた仕打ちを伝えた。誰かに自分の境遇を語るのは初めてで、説明はたどたどしかった。詰まるたびに、何度も唇を噛んだ。 「戻るぐらいなら、狼さんに食べられた方がいい」  狼は失笑する。 「なに馬鹿なこと言ってやがる」 「初めて、ぼくを助けてくれた人だから。役に立って死ねるなら、その方がいい」  ちっと、狼男は何度目かの舌打ちをする。生意気にと愚痴をこぼす。 「ここにいるなら、おまえは俺の非常食だ。覚悟しとけ」  鋭い爪を向けられ、シオはびくりと肩を震わせる。その爪先で、狼男はシオのズボンのポケットをつついた。そこには、先ほどの十円玉が入っていた。 「そんでも、これは持っとけ。気が変わるなんてのは、いくらでもあるからな」 「変わらないよ」 「うるせえ」  二人は肉を食べ続けた。窓の外は、夜のままだった。
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