2/3
前へ
/17ページ
次へ
 街には電気が通っていなかった。灯りの源は、シオには信じ難い「灯り虫」という虫だった。蛍の光より遥かに明るく、それでいてこの虫はずっと長い寿命を持っていた。夜しかない街で日数を数えることは困難だったが、シオの体感での一週間を草一本で生き延びた。街には無数にこの虫が生息していて容易に捕獲できたし、虫を扱っている店もあった。  シオが困ったのは、食事の方だった。食材や料理の多くはその外見で食欲を奪う。どう見ても丸焼きにされたムカデや紫色のスープを当たり前に住民たちは口にしていて、それはガロも同じだった。だが、腹を括れば大抵のものは食べられる自信があったから、文句を言わずシオはそれらを口にした。味は悪くなく、むしろ大半が美味いと感じられるのが救いだった。しばらくすると、シオも抵抗なく食事ができるようになった。  部屋には椅子が一脚増えた。シオはそこに座り、ガロは正面に腰掛け、テーブルで食事をする。今日も帰ってきたガロと額を付き合わせて食事を摂っていた。料理や掃除といった家事はシオの役目で、テーブルにはパンとスープにサラダ、そして作ったおかずを並べていた。名も知らない硬く肉厚の葉を柔らかくなるまで煮込み、肉屋で買った肉と混ぜて団子にし、巾着状の鳥皮に入れて焼いたものだ。ガロの部屋をよく探すと埃をかぶった料理本を一冊だけ発見した。使った形跡のないその本から、近い食材を購入して見よう見まねで作ったものだった。「なんだこりゃ」と言ったガロは褒めも貶しもしなかったが、皿に取り分けた分を残さず食べた。 「ねえ、ガロ」スープを口に運びながら、シオは狼男をそっと見上げる。「人狩りって、この近くにもいるの」  ガロは先に食事を終え、不味そうな酒の入ったビンをカップに傾けていた。透明な液体がカップの八分目まで溜まった。 「たまに見かけるな」  ちびちびと舐めるようにカップに口をつける。如何にも不味そうだが、ガロは毎晩一杯の酒を飲む。不味いが美味いらしい。シオには理解できない。 「ぼく、狐に見えるよね」  そっと自分の鼻先を撫でた。とんがった狐の鼻。両手を開いてみる。短い指にぷっくりとした肉球。こうなってから、人間の指の使いやすさを痛感した。慣れるまで、今の手では着替えすら困難だった。 「人間くせえ」  ガロが宙に向けた鼻をすんすんと鳴らす。 「化け物には見えるがな、人間のにおいは隠せねえ。まあ、俺は特別鼻がいいが……街のやつらの鼻は馬鹿だ、よっぽどじゃねえ限り大丈夫だろ。月日が経てばにおいも薄まる」  腕を鼻に近づけて嗅いでみる。だが、シオには自分の人間特有のにおいというものが全く分からない。それとなく不安になる。 「もし、人狩りっていうやつだったら、ぼくのこと見破るかな」 「見ただけじゃ流石にわからんだろうが。奴らは人のにおいを嗅ぎ取る訓練とやらに励んでいるらしい。近づかないに越したことはないな」 「捕まったらどうなる?」  カップをテーブルに置き、ガロは背もたれに体重を預けた。大きな体を支える椅子が、ギイギイと二回だけ悲鳴を上げた。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加