第五章:僕の名は

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 「僕だけは味方だって言ったのに。先生の こと、ずっと信じてたのに。何もかも知って て、あなたは僕を手懐けた。和達博士の研究 とアレルバの利益のために、味方のフリをし て僕を騙し続けたんだ」  先生を詰る僕の胸は、悲しみに震えていた。  誰ひとり僕を愛しんでくれない中で、彼だ けは愛情にも似た情を掛けてくれたのだ。彼 の手の温もりと、向けられるやさしい眼差し。 それだけが僕の救いで、だから僕は人として の心を失くさずにいられた。  口元が震え、涙が零れ落ちてしまう。  この人の前で泣きたくなんかないのに、涙 が頬を伝ってしまう。  「言い訳をするつもりはないよ。僕は自ら の保身のために、良心を捨てたんだ。君は知 らないだろうけど、国内の軍需企業の中でア レルバは常に一位を独走してる。防衛部門の 売上は三千億以上。その中で君の兵器として の価値は百億を超える。組織を裏切れば社会 的抹殺だけじゃ済まないよ。魚の餌になりた くなければ悪に身を委ねるしかなかった」  そう言って自嘲の笑みを浮かべると、先生 はポケットからハンカチを取り出す。そして それを僕に差し出した。鼻先に寄せられた白 いハンカチから、ふわ、と先生の匂いがする。  「あまり泣かない方がいい。頭の腫瘍に響 くといけない」  ほら、と微笑みかける先生の手を僕は思い きり叩く。パチン、と乾いた音が鳴って掛け 布団の上にハンカチが落ちた。僕は逃げるよ うにベッドから下りる。ベッドを挟んで反対 側に立つ先生を、キッ、と睨みつけた。  「すっかり嫌われちゃったな。悲しいけど、 いずれこんな日が来ると思ってた。だけど君 の病気を心配している気持ちに、嘘はないよ。 長い間、電磁波を浴び続けたせいで脳に悪性 の腫瘍が出来てしまったんだ。いまも君の感 情をコントロールするために、電磁波が送ら れてる。少しでも早く治療を受けた方がいい」  「えっ?」  意想外の事実に、僕は思わず声を上げる。  まさか、ずっと?その思いのまま頭の傷に 触れれば先生は息を吐き、眉を寄せる。  「そうか、君はそのことも知らされてなか ったんだね。サイコトロニクス兵器は遠隔操 作が可能なんだ。和達博士の実験では、被験 者である君から半径十キロメートル離れた場 所でも感情を制御することが出来た。研究所 を離れても、怒りや恐怖で君の能力が発現し なかったのはそのせいだ」  僕は事故車から逃げ月見里家に辿り着いて からの日々を、想起する。この能力が発現す る基準がよくわからないけれど、少なくとも 線路で電車を待つ間僕は恐怖を感じなかった し、背後から口を塞がれた時も恐ろしいとは 思わなかった。
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