第五章:僕の名は

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 「恐かったら手繋いでやろうか?こっから 先は厳つい警備員とかいるかも」  「いい。そんなことしたらいざというとき 論平の足手纏いになるでしょ?頼りにしてる」  こん棒を見て即答すると論平は差し出した 手を所在なく引っ込める。その顔は拗ねてい るように見えたけどわたしは構わず先を行き、 長く明るい廊下を進んで行った。  閉じていた瞼を開けると、見慣れた天井が 目に映った。傾斜した天井にぽっかりと浮か ぶ小さな天窓。その向こうに見える空は漆黒 に包まれていて、いまが夜なのだとわかる。  「……あれ、ここ」  僕は額に手をあてると、夢現の中で必死に 記憶を手繰り寄せた。確かパンダ柄の可愛い 猫と、留守番をしながらモップを掛けていた ような。そしたら、二階から足音がして…… それで。そこまで記憶を辿った僕の耳に聞き 慣れた穏やかな声が届く。  「目が覚めたみたいだね。どこか痛むとこ ろはない?」  その声に、カッ、と目を見開くと僕は弾か れたように体を起こした。すると椅子に腰掛 け、本を読んでいた先生がパタと本を閉じる。 そうだ、突然現れた二人組の男に連れ戻され たんだった。寝起きでぼんやりしていた記憶 がよみがえり僕が怯えた表情をすると、先生 は、ふっ、といつもと変わらぬ笑みを向けた。  「おかえり。思いがけず長い秋休みを過ご したみたいだけど、リフレッシュ出来たかな。 月見里家の人たちは『ソラ』という名前まで 付けて、君に良くしてくれた。いい思い出が できたんじゃないか?」  空々しい顔でそんなことを言う先生に、僕 は初めて怒気を露わにする。  「僕を連れ戻すために偵察に来たくせに。 記憶を失くしてることも知ってて、あなたは 僕の様子を確かめに来たんだ。何食わぬ顔で キッズスマイルの職員に成りすまして、みん なを騙して」  言葉と共に鋭い視線を向けると、向坂先生 は傷ついたような顔をして目を伏せる。  「君が関わってしまったあの家族から出来 る限り穏便に、アレルバに連れ戻す必要があ ったからね。確実に君が一人になるタイミン グがわかるよう盗聴器を仕掛けに行ったんだ。 それと、君が自分で家を出たと思わせるため テーブルにあった一筆箋も入手した。君の筆 跡を真似た僕の手紙を読んで、いまごろショ ックを受けているだろうけど。仕方ない。彼 らの身の安全を確保するためだ」  そう言って小さく息をついた先生に、僕は 拳を握り締める。
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