第六章:この空の下で

4/16
前へ
/145ページ
次へ
 「まさか、わたしと一緒に来るつもりじゃ ないわよね?あなたには大事な仕事があるし」  「確かに、いますぐ任務を離れて君を追い 駆けることは出来ないがそういう生活も悪く ないと思ってるよ。島の駐在所で働きながら 休日は柊弥君を連れて海や山で過ごす。想像 するだけで心が満たされる」  言って目を細めると、彼女は失笑した。  「キャリア出身でエリート街道を突き進ん でるあなたが何を言い出すかと思えば。上が そんなこと許すわけないじゃない。そもそも、 わたしと会ってることが周囲に知れればあな たの立場だって危うくなるのに」  そんな夢みたいな話ありえない。  そう付け加えると、彼女は僕の手から自分 の手を引き剥がそうとする。  「蓮華がしたことは、何も間違っていない。 僕はいまもそう思ってるよ。だから上に文句 を言われたとしても君とは別れない。君との 関係にまで介入させない」  僕は逃げようとする手に力を込め、強い眼 差しを向ける。  彼女は警察時代、大幹部から末端の巡査ま で関与していた組織的裏金作りを内部告発し ようとし、刑事の職を追われていた。裏金作 りは組織を挙げての違法行為だが、捜査費や 旅費など多くの費目は偽造書類によって組織 内でマネーロンダリングされ、日常的にヤミ 手当や幹部の飲食費に化けているのだ。その 現実を目の当たりにした蓮華は、当時直属の 上司だった和達勲に告発すべきだと訴えたが、 組織の悪癖は正されることなく彼女はすぐに 解雇されてしまった。  その後、犯罪ジャーナリストに転身し世間 に裏金作りの全貌を暴露したのだが、関係者 各所からの圧力などもあり、辟易している。 内部告発者は組織の裏切り者と指弾する風潮 がいまも消えず、公益通報者に対する社会の 風当たりは強かった。  「あなたが捜一から公安に引き抜かれたっ ていう噂、耳にしてる。いまは秘匿捜査に従 事してるってことも」  「さあ、何のことかな。ガセネタでも掴ま されたんじゃないか?」  「たとえ相手が家族でも身分を明かすこと は出来ないのよね。それくらい、わかってる。 だからそんな重要な職務に就いているあなた を、わたしの人生に巻き込むことは出来ない の。わたしはあなたに相応しくない。一時の 感情で約束された人生を棒に振らないで」  「自分の人生をどう生きるかは自分で決め るよ。いまいる場所にしがみ付くことが幸せ だとも思ってない。だからもう一度この手を 掴みに行く。いつか必ず君たちの元へ行くか ら、それまで待っててくれ」  その言葉に彼女は目を細めただけだったが、 僕たちに別れはなかった。  いつかがいつ訪れるかは、わからない。  それでも少し先の未来で僕らの人生が必ず 重なることを想像する胸は、酷く温かかった。
/145ページ

最初のコメントを投稿しよう!

67人が本棚に入れています
本棚に追加