第六章:この空の下で

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 『……わたしよ。いま和達のところへ向か ってるの。失踪当日、黒のハイゼットカーゴ に荷物を積み込む不審な二人組を見たってい う住民の証言を付きつけたら、やっと口を割 る気になったみたい。でも、いままで知らぬ 存ぜぬを貫いてた彼が急に態度を軟化させた のが引っかかるの。もしかしたら罠かも知れ ない。それでも、行くわ。一分でも一秒でも 早くあの子を取り戻したいから。だけどわた しにもしものことがあったら、代わりにあな たがあの子を助け出して欲しい。勝手なこと を言ってるのはわかってる。でも、わたしが 頼れるのはあなたしかいないの。お願い、司。 あの子を助けて。柊弥は宝なの。この世のす べてを敵に回してでも守りたい、大事な息子 なのよ。……待って、着信が入ったわ。和達 かも知れないから切るわね。また連絡する』 ――どうして僕は、お母さんを忘れていられ たのだろう?  受話器の向こうから聴こえるメッセージが 途絶えてもなお、僕は携帯から耳を離すこと が出来なかった。  女性にしてはやや低めの、切迫した声。  けれどその声に宿る温もりと、僕への深い 愛情に気付けば涙が溢れて溢れて止まらない。 ――柊弥。こっちおいで。  広く青い芝生の向こうで両手を広げ、僕に 笑みを向けるお母さんの記憶が、よみがえる。  やさしい声に導かれてあどけない笑い声を 上げる僕は小さく、芝生に足を取られ躓けば すぐに温かな母の手が僕を抱き上げてくれた。  なのに、その手はもう二度と僕を抱くこと はない。どんなに会いたくても、声を聞きた くても、お母さんはもうこの世にいないのだ。  「……おかあさっ……おっ、おかっ、うぅ」  僕は携帯にしがみ付き、嗚咽を漏らした。  肩を震わせ、とめどなく涙を流す僕のその 肩に温かい手がのせられる。  「柊弥、僕と一緒に行かないか」  穏やかな声に顔を上げて隣を向けば、赤い 目をした先生が笑んでいる。  「……行くってどこへ?」  拗ねた子どものように問えば、彼は笑みを 深め遠く凪いだ海を見やった。  「どこか静かに暮らせる場所」  「静かに暮らせる場所って?」  「そうだなぁ。自然が豊かで、ゆったりと した時間が流れてる離島がいいんじゃないか。 瀬戸内のどこかの小さな島に移り住んで、古 民家を借りるんだ。休日は二人で海に行った り、山に行ったりしよう。寂しかったら猫や 犬を飼うのもいい。きっと楽しく暮らせるよ」  どう答えていいかわからずにじっと先生を 見つめていると、彼はまたゆっくり僕を向く。
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