第四章:声の主

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 「ああ、どこからでも青いよ」  「じゃあ、月が出てる夜空はどうして暗い んだろう?月はあんなに輝いてて綺麗なのに、 月の光には黒い波長しかないのかな?」  素朴な疑問を口にすると、先生は穏やかに 笑んで説明してくれる。  「月の光は太陽光が反射したものだからね。 基本的に光の成分は太陽とまったく同じなん だ。だから、月明りでも空気は青く光ってる。 それなのに空が青く見えないのは、月の光量 が太陽の四十六万分の一しかないからなんだ。 光りが弱すぎて目には見えないけど、月明り に照らされた夜空を写真に撮ると空気の青さ がわかりやすいと思うよ」  「そっか。目に見えなくても月明りで空気 は青く光ってるんだ。そう考えると空の色っ て、不思議だね。近すぎたり弱すぎたりする だけで、そこにあるのに目には見えないんだ から。空の青も、宇宙の闇も、あたり前だと 思ったら何も知れなかった。不思議に思って 考えるのって、すごく大事だね」  「だ。あたり前のことを不思議だと感 じ、考えを巡らせることで豊かな感性と想像 力が育つ。だから子どもの時期に考える習慣 をつけるのはとても大事なことなんだ。大人 になるとどうしても頭が固くなってしまうか らね。さて、もうお腹の痛みは治まったかな? そろそろ起きようか」  「えーっ、まだ痛いよ」  「本当に?こんなに元気なのに?」  惚けたように口を尖らせるとお腹を擦って いた手が、にゅうっ、と伸びてくる。そして、 ベッドに横たわっていた僕の両脇を容赦なく くすぐり始めた。  「こちょこちょこちょ」  「きゃはははっ!!!」  僕は体を捩り、足をバタつかせる。  普段は発することのない先生のふざけた声 と僕の甲高い笑い声が、天窓しかない部屋に 響き渡る。僕と先生がじゃれ合うのはいつも のことで、そのことを咎める者はアレルバの 研究所の中には誰もいなかった。  僕と向坂先生だけの安らかでやさしい時間。  その時間が終わりを告げたのは、それから 十年が過ぎたあの夜のことだ。  脳裏に浮かぶ光景が、ふっ、と暗くなる。  僕は暗い山道をくねくねと走り抜ける車内 で、フロントガラスの向こうに流れるセンタ ーラインをじっと見つめている。車内は暖か かったが、心は不安と恐怖で凍てついていた。 緊張で指先が冷たくなった手を何げなく額 にあてると、運転席でハンドルを握っていた 和達 萩生(わだち しゅう)博士が口を開いた。
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