お腹が空いたら

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 塾は週に2回。  学校と家の中間駅にあり、受験に向けてバリバリ進んでいく特進コースと、苦手教科の理解を深めるプラスアップコースがあり、彩希は数学と英語のみ復習を中心に後者を選択しているが、来年は特進コースに入るよう母親から強く勧められていた。  大学進学は決定事項であり、選べるのは志望校だけだった。  小学生の頃から、勉強より食べることの方に重きをおいてきた彩希は、本当は調理の専門学校へ進みたかった。  綺麗で華やかな、温かで美味しい、栄養があって元気の素になる素敵な料理を自分の手で作れたら……。  なにより食いしん坊の自分の胃袋を満足させられる大盛料理を手ずから作り出せるなんて、幸せに違いない。  来月の三者懇談で、このささやかな夢を話してみようか。  反対されるかな……。  そう考えながら彩希はチョコレートの掛った甘いドーナツを袋から取り出した。  購買で買ったカツサンドは期待通りのボリュームと美味しさだった。  でも、あれじゃ足りない……。  全然。  彩希はもはや恒例になりつつある、講義まえの軽食を公園の東屋で食べている最中だった。  日の暮れた公園にはもう子ども達の姿はなく、この辺りに流布している奇妙な噂のせいで犬の散歩やウォーキングをしている人影も見掛けない。  この公園は街中にしては敷地が広く、遊具のある子ども広場とその周りを取り囲む林で構成されている。  昼間は幼児が遠足に来たり、小学生がスケッチに来たりと人気のスポットなのだが、陽が落ちた後はぱったりと人気がなくなる。  それは……。    ぐぎゃ 「ひえっ」  いきなり林から響いた鳥の声に、彩希は驚いて大事なドーナツを取り落とすところだった。  噂なんか信じていないつもりだったが、心のどこかに、日が暮れると出没するという「怪物」を怖がる気持ちも存在していたらしい。 「あ~びっくりした」    怪物、なんて茫漠とした対象を怖がるなんてバカバカしい。  彩希は二つ目のドーナツを袋から取り出しつつ苦笑した。  夜闇に紛れて人や動物を襲い、頭からバリバリ喰ってしまう巨大な「怪物」の存在は、ネットの都市伝説としてもう10年以上前から繰り返し囁かれてきた。  それは「八尺様」や「くねくね」のように、ネット掲示板の噂話から誕生し、さまざまに枝分かれしたストーリーを伴って一人歩きをつづけ、今や広辞苑に掲載されるほど市民権を得たメジャーな存在ではないが、忘れた頃にどこかの街で出没を目撃される類の「消えない噂」の一種だ。 怪物には名前がなく、闇の中から手をのばして獲物をさらい食べてしまう。  塾の帰りや散歩の途中、運悪く遭遇した人がその犠牲となる。
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