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「おま、なにを……」
「だって、とっても…」
彩希は熱に浮かされたようなうっとりした表情で怪物を見詰めている。
焼け爛れて赤黒い肉が覗いている腹部の裂け目や、よく火が通って白濁した半開きの目玉、カリカリに焼かれたクリスピーな腕。
「美味しそう」
「西宮……」
彩希は怪物の前に膝をついて顔を寄せ、胸いっぱいにご馳走の匂いを嗅いだ。
引きまくって青い顔をしているチバケンに断ることもなく焼き目のついた頬あたりの肉を引きちぎる。
見た目を裏切って、怪物の「身」はスポンジのようにやわこく、口に含むと滋味に溢れたふくよかな味わいだった。
「美味しい」
彩希は心から呟いた。
「おま、喰ったのか?吐け、当たったらどうする! 吐けってば」
チバケンが彩希の肩を掴んで揺さぶるが、彩希は意に介さずもう一口グロテスクな緑色の怪物を口に入れた。
驚いたことに、二口目は最初に食べた怪物のカケラと全く違った味わいだった。
「うそ、甘っ」
フルーツのように雑味のない瑞々しい甘さが、抵抗なく喉を滑り落ちてゆく。
「チバケンも食べてみ?」
彩希は怪物のカケラを差し出した。
「ほんとに美味いのか?」
「食いしん坊は美食家なのよ」
「おまえはただの大喰いじゃないのか」
疑いつつ、チバケンは彩希の指先に摘まれたカケラに顔を寄せ匂いを嗅いだ。
伏せた睫毛が影を落すなめらかな頬は色白で、間近でみる切れ長の瞳は茶を通り越して榛色に透き通っている。
黙っていれば、異国の貴族を思わせるノーブルな顔立ちなのに、
「うえっ」
怪物の異臭を嗅いだチバケンは、鼻に皺を寄せてえずいた。
涙を拭って恨みがましく彩希をにらみ、
「おまえ、正気か?こんなゲテモノ、人に勧めるな!」
「好き嫌いよくないなー大人なのに」
「好き嫌いとちゃうわ」
「ナマコもキクラゲもギビヤックも最初に口にしたパイオニアがいたから…」
「お願い、もう黙って喰ってて」
喋りながらも食べるのを止めない彩希に、ついにチバケンは頼んだ。
言われなくとも彩希はこの一口ごとに新鮮な美味を提供してくれるご馳走から手を引くつもりはなく、最初の一口と同じくらい大きく口を開いて食べ続けた。
そしてついに最後の一欠片を咀嚼し飲み込んだ彩希は満足げに唇を舐め、チバケンを見上げた。
「ローストモンスター、美味しかったです、シェフ」
「変な料理名付けるな!それから俺は調理したつもりはねえ!」
チバケンに全否定されても彩希はまったく気にならなかった。
ここ最近で、ついぞ感じたことのない満ち足りた安らぎ。
振り返ってみてわかる。
あれは空腹なんてもんじゃない。
飢餓感。
それが今やあとかたもなく癒され、常に頭の片隅にあった「何か食べたい」という欲求から解放された身軽さでスキップしながら歌でも歌いたい気分だった。
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