オープンまでの道のり、どうやら魔法が存在するようです

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 次の日、ミオはいつも通りベッドで目覚めた。  お店の二階が居住スペースになっていて、そのうちの一部屋が寝室となっている。とはいえ、干物女の住処は至る所に服が脱ぎ散らかされ、お世辞にも綺麗とはいえない。  でも、部屋の中に腐るものはないから、床が見えないほどの散らかりようの割には、匂いはそれほどきつくない、はず。  見慣れた部屋をぐるりと見渡してから、朝から早まる鼓動を抑え起き上がり、床の上の服や本を掻き分け窓まで進むと、カーテンをぎゅっと握りしめる。 (どうか見えるのがコンクリートの街並みでありすように!)  昨日見た光景が夢であることを願い。  緊張した顔で小さく深呼吸して開けたその先は  ――どこまでも広がる緑。  愕然と窓枠に手をつきミオは項垂れた。  一縷の望みを掛けてほっぺをつねるも、痛い。痛み以外の意味で泣けてくる。  深い深いため息ひとつ。  それでも現実を受け止めようと気持ちを奮い立たせ顔を上げれば、陽の光の下、広い道と白い花をつけた木々が昨晩よりはっきりと見えた。道の先を辿れば左側は林。右側には昨日は暗くて見えなかった背の低い建物がちらほらと。どうやら小さな町のようだ。 「やっぱり夢じゃなかったのね」  はっきりと見て取れる光景に、これはもう腹を据えるしかないかと頬を引き締める。   「でもお店も一緒に異世界転移できたことだけはよかった」  長年の夢、十年以上かけて貯めた貯金をほぼ使って手に入れた大事なお店。これで自分だけ異世界に来たのなら号泣ものだ。  さて、まずこれからどうすべきか、ミオが思考を巡らせていると。 「おはよー!」  ハスキーな明るい声が下から聞こえた。窓を開け身を乗り出すと、リズが入り口のドアをどんどんと叩いている。ドアの強度が少し心配になる。  ミオは慌てて窓から身を乗り出し、下に向けて声をかけた。 「おはようございます。今行きます!」  リズはちょっと左右を見た後、頭上を見上げ手を振った。ミオは手を振り返すと慌ててパジャマを脱ぎクローゼットを開ける。春夏秋冬、季節ごとに服が並ぶけど、どれを着るべきかと暫し逡巡。 (とりあえずTシャツとGパン、それからカーディガンを羽織っておこう)  肌で感じる気温は暑くも寒くもない。今の季節はなにだろう、そもそも季節があるのかな、と考えながら眉だけさっと書く。  タッタッタッ、と階段を降り店内を通り抜け扉を開けると、リズが笑顔で立っていた。手には大きなバスケット。会うのは二度目なのに、人懐っこい笑顔に肩の力が少しだけ抜けるよう感じる。 「朝食持って来たわよ」 「ありがとうございます」  リズがバスケットを「はい」と手渡してくるので受け取ると、焼きたてのパンの香り。こんな異常事態にもかかわらずミオのお腹はぐう、と元気になった。思わず頬が赤くなる。 (でも、私の生命線がこの逞しすぎるお姉さんであることは間違いない!)  羞恥心に耐えながら、それだけは強く確信した。  会ったばかりの人に頼るのは申し訳なしけれど、そんなこと言っていたら生きていけないのだ。  リズは生成りのざっくりしたワンピースに、ウエストを茶色の皮っぽいベルトでぎゅと締めている。足元はベルトと同じ色のブーツで髪はふわりと降ろしていた。少しお酒臭く目の下にクマがあるのは、この時間いつもなら寝ているからだ。 「あの、宜しければカウンターに」 「ありがとう。じゃ、遠慮なく」  カウンターの真ん中の席をすすめると、ミオはバスケットを持ったままキッチンへと向かう。蔦で編み上げ作られた蓋を開けると、バゲットと野菜、それから卵が数個入っていた。 (うん? 生卵? ゆで卵?)  どっちだろうと見るミオを見て、リズが生卵だと教えてくれる。 「バゲットに卵を挟もうと思って取ってきたの」 「取って……?」 「私ん家、鶏を飼っているから産みたてよ。ゆで卵でも炒り卵でもどちらでもいいわよ」  にこりと微笑まれ、それならゆで卵をを作ろうと鍋を取り出す。卵はスーパーで見るより一回りほど大きく色は茶色だ。  鍋に水を入れようとしたところでミオが首を傾げた。 (あれ? 水がでない)  それもそのはず、ここは異世界。  ミオは今更ながらその可能性に気づいて、慌ててガスや電気をつけようとするも、勿論反応はない。開けた冷蔵庫は微かにまだ冷たかったけれど、あと数時間で生ぬるくなりそうだし、氷はすべて溶けていた。   (水道だけじゃなく、水や電気、ガス、ネット環境。全てのライフラインが遮断されている)  愕然と立ち尽くしたのち慌ててスマートフォンを取り出すと、電源は入るもネットにつながるはずがない。これは痛い。  がくりと膝を着くと、リズがカウンターからこちらへとやってきて水道の蛇口に手をかけ「あぁ、そういうことね」と頷く。 「ごめんごめん。私ったら気がつかなくて」 「あの、こっちの人達はどうやって生活しているんですか? やっぱり井戸とか、竈?」  井戸水はなんとか汲めても、火なんて起こせる自信がない。 (電気は……ランプ? それでも火は必要よね)  これはまずい、と顔を青くすると、リズはあっけらかんと「大丈夫」という。 「それなら魔石を使った水道とコンロ、それからランプがあるわ。どれも五十年前、ミオの前の『神の気まぐれ』が作ったものよ」 「魔石ってことは、この世界に魔法があるのですか?」 「そうよ。そうね、とりあえずバゲットとサラダを用意して食べながらいろいろ教えてあげる。勝手に使わせてもらうわよ」  リズはミオに変わってキッチンに立ち、バゲットをパン切包丁で切ると、戸棚を開けて皿を取り出しサラダを盛りカウンターに並べた。 「さっさっ、座って。混乱しているのは分かるけれど、こういう時だからこそちゃんと食べないと」 「はい、ありがとうございます」  ミオは冷蔵庫からバターを取り出しそれを持ってカウンター席に座った。バターは少し溶けかけているけれど、却ってパンに塗りやすかった。 「まず、この国はセルジアっていうの。島国よ。それから魔法だけれど、誰でも魔力は持っているけれど、それを具現化して扱える人間は少ないわ。具体的に言えば炎や水を出したり、怪我を治すことね。それで、さっきの魔石の話になるのだけれど、これの本来の使い方は魔力を高めたり防御力をつけることだったの。でも、五十年前にやってきた『神の気まぐれ』が、魔石を加工して日常用品に埋め込むことで、少しの魔力を流すだけで水や火が出る道具を作ったの。魔道具って呼ばれているわ」 「神のきまぐれ、ですか」  昨日もリズはそんなことを言っていた。その人物がそんな画期的な物を作ってくれたなんて感謝してもしきれない。 「おばあちゃんの話しでは、『神のきまぐれ』は始め異世界から持ち込んだ『家電』に魔石を埋めて使えるようにしたんですって。で、それをベースにしてよく似た物をどんどん作って普及させていったらしいわ。だから、このお店にある物も、魔石を埋めれば使えるようになると思う」  リズの話では、冷蔵庫、ストーブ、ドライヤーまで使えるようになるらしい。  魔力の流し方は指先に意識を集中させればよいらしく、やってみるとほんのりと人差し指が温かくなった。いきなり魔力をコントロールできて凄い、と思うも、これは幼児でもできることだと聞かされる。 「『神の気まぐれ』は私達にない凄い能力を持っているっておばあちゃんは言っていたわ。ミオは何ができるの?」 「えっ?」  突然向けられた、期待を込められた視線。キラキラと無邪気に光っているところ申し訳ないけれど、心当たりがまったくない。   (そんなこと言われても……五十年前の『神の気まぐれ』ハードル上げすぎじゃない?)  三種の神器ならぬ、当時のあらゆる家電を魔石で動けるよう改造するなんて神業、出来る気がしない。そもそも、テレビの配線すら人に任せるほどの機械音痴だ。良くも悪くも普通のミオに、人に誇れる特技はない、いや、一つだけあるかも。 「美味しいハーブティーを淹れることができます」  自分で言っておいて恥ずかしくなった。方や異世界の生活様式を変えるほどの功績をのこしているのに、こっちはハーブティ。これが『神のきまぐれ』というなら、本当に気まぐれすぎる。 「ハーブティー?」 「あれ、聞いたことないですか? もしかしてこっちの世界にはハーブティーないのかな? リズさん達はいつも何を飲んでいるんですか?」 「飲むのはお水、寒い時はお湯ね。貴族の家に行けば紅茶が出るらしいけれど、私達庶民にとっては高級品だから。あとはお酒! 私、町でバーをしているの」  昨晩のリズの姿から夜のお仕事だと思っていたけれど、バーテンダーとは意外だった。その逞しい腕なら、シェーカーを振るのも豪快だろう、と思う。   (それにしてもハーブティーなんて異世界でもありそうなのに)  なんとなくだけれど、しょっちゅうお茶を飲んでいるイメージがある。あくまでもイメージだが。 「飲んでみたいなぁ、今作れる? それからもっと気楽に話してね」 「うん、分かった。ハーブティーは私も作りたいのだけれど、お水も火もないから無理だわ」 「そっか。そうよね。じゃ、とりあえず今は水筒にお水入れてきたからこれを飲みましょう。一気にいろいろ話すと混乱するでしょうし、今朝はここまでにして朝食にしない?」 「ありがとう、実は凄くおなかが空いているの」  二人はサラダをつつきながら、バターを、塗ったパンを食べ始める。シンプルイズベスト、といえば聞こえの良い朝食だけれど、焼き立てパンは予想以上に美味しかった。 「知り合いの魔道具師に頼んで一通り使えるようにして貰いましょうか」 「ありがとう」 「二階もあるのよね? 腕はいいから、日が暮れるまでにしてもらえるはずよ」  今から町まで行って頼んでくれると言う。リズは町に用事があるらしく、夕方また顔を出してくれるようだ。と、ここで不安が一つ。 「リズ、あの、……私、お金がなくて。あっ、私の世界のお金は持っているんだけれど、こっちの世界では使えないと思うの」 「あー、そうね。こっちのお金はこれよ」  リズはポケットからコインをじゃらり取り出した机の上に並べる。銀と銅の硬貨で大きさは大小二種類。 「小銅貨十枚で大銅貨一枚、大銅貨十枚で小銀貨一枚。私は持っていないけど、これ以外に小金貨と大金貨もあるわ。とりあえず魔道具屋への支払いは私が立て替えてあげるから大丈夫よ」 「そんな、会ったばかりなのに」 「いいのいいの。いずれ返してくれればいいから。それより、そうね。お礼っていうならそのハーブティーっていう飲み物、私に一番に飲ませてくれない?」 「もちろん。でも、そんなことでいいの?」  ここまで親切にしてもらったお礼がハーブティーなんて申し訳なさすぎる。とはいえ、他にミオができることなんてないのだけれど。 「この世界で、ハーブティーを初めて飲めるんだから充分よ。じゃ、私、魔道具屋に行ってくるわね」 「何から何までありがとう。朝食もおいしかった」 「そう、よかった」   リズ手をひらひら振りながら、ちょっと身を屈め店の扉をくぐって出て行った。
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