にんげんたべたい

3/5
前へ
/5ページ
次へ
「分かった。それまで」  食べないともできないとも答えなかった。僕は安らいでしまった。誰かを食べられる未来。いつか美味しく食べてくれるといい。ずっといると思っていたお父さんや友達は離れていったんだ。変わらないものなんて何もない。だから期待しよう。それだけで強く生きられる気がする。 「でもお母さんには内緒な。クロは小さいからきっとバレない。お母さんも仕事でクタクタだから探したりしないよ」 「約束する。だから悲しい顔をするな」  僕が悲しい顔をしていたから僕には分からない。ずっと耐えてるから。ずっと我慢しているから。 「僕は悲しくないから。クロが側にいてくれるんだろう?」 「今のとこはな」  お母さんが帰ってくる前にクロの居場所を押入れに決めた。開けたとしてもクロは鳴かないしほとんど動かないから、ただの影に見えるはず。案の定、お父さんがいなくなってから仕事量を増やしたお母さんは何日経っても気付かなかった。疲れた顔でスーパーのお惣菜を並べて急いでシャワーを浴びて、すぐに眠ってしまうお母さんは何も気付かない。余裕がないんだ。会話だって全くなくなった。お母さんも仕事でずっと耐えているはずだ。お父さんが帰ってくるのを耐えながら待っているんだ。  僕とクロの会話は僕がクロのことを聞く。それだけだ。僕は僕の話をしたくないから。お父さんが人を殺したとか、学校で仲間外れとか、給食を食べなくなったとか、そんなの話したくなかった。 「あいつは救ってくれたんだ。人間食べすぎて討伐されそうになったとき、ただ一人守ってくれたんだ」  ずっとずっと昔の話。クロがどのように人間を食べて人間に嫌われたか。肥え太ったクロを可愛いと言ってくれた小さな女の子。その子がしわくちゃになるまで側にいて守ったこと。クロのお話は遠い世界のお話みたいで胸がワクワクした。 「あいつは死ぬとき、食べていいと言った。だから死んでも食べない」 「食べたくなかったの?」 「食べたかった。でも食べたくなかった」 「約束したから?」 「違う。悲しかったからだ。涙がはじめて出た。お腹が空くよりずっと辛かった。あいつの亡骸を消したくなかった」 「辛いね」 「ずっとずっと前の話だ」  悲しさや辛さや切なさを抱えて何百年も生きるってどんな気持ちなんだろう? ずっとお腹を空かせて小さくなっていく気持ちはどんな気持ちなんだろう?  クロの話は僕の心を穏やかにしてくれる。クロの話は切ないから。僕の今を重ね合わせて僕は存在していいと認めてくれるようで。  クロと一緒に過ごし始めてから学校で一人でもいいやと思えるようになった。みんなが親から僕と話すなと言われているのもなんとなく分かり出した。クロを救ってくれた女の子は死ぬまで一人だったそうだ。人間を食べるクロを庇ったために誰も彼も離れていった。それでも良かったんだろう。だってクロが側にいたから。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加