おちる

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「なんっと貴様余計な事をしおって……死ねんとは一体どう言うことだ!」 「うるせぇなぁ、お前が誘ったんだろうが!だから俺がてめぇを喰らってやったんだ、有難いと思え」  悪魔と言い争いをしているエミディオは何故だか、大層元気にベッドの住人となっていた。ギャーギャーと騒ぎ立てながら、目の前にいる明らかに人ではない、背中に蝙蝠のような翼を生やした男と無遠慮にも言い争いをしている。言い争いの原因はそう、今のエミディオの状態について。彼はどうやら、悪魔の眷属になったらしいというそれだった。  魔界であるというのに、ちゃんとした屋敷にそれぞれ部屋があるだなんて、そんな事にエミディオが大層驚いたというのはまた、別の話であったりするのだが。  あの時。  気を失ったエミディオは、確かにこの悪魔に喰われたらしいのだが。喰われたのは肉体ではなく、心臓――即ち心だというのだ。悪魔に心を喰われた人間は、同じく悪魔になる。それはエミディオも初めて聞く話だった。  そういった前例が無かったのか、それともエミディオの知識に偏りがあったのか。確認する手立てはもうどこにも無い。だがそれでも、エミディオは既に人ではないという事はしっかりと理解できていた。人であったひとりの青年はもう、死んだのだ。 「食らってくれと頼みはしたがの、だーれが心臓を食らえと言った!どうせ喰われるならば美しいものに、と言っただけだ!しかも重篤の元人間を同時に“喰う”なんて……鬼畜か貴様!」  エミディオが何よりも許せなかったのが、この悪魔ーーサタナキアが、エミディオの意識が朦朧としている中、その身体をも貪り食らったという所だ。  清廉潔白を絵に描いたような人生を、王の為にと清らかな人生を送ってきたエミディオにとって、無理矢理にコトを進めたサタナキアをどうしても許せなかった。  元とは言え神官長であって、自分だけでなく他者の行動にさえ口出ししてしまうのは仕方のない事。悪魔にそんな事を言っても仕方ないだろうに、ただそれでも、自分が永らく掲げさせられていた信条やら考え方やらその他諸々が為、エミディオは文句を言わずにはいられなかった。 「だってよ、お前、絶世の美女に誘われたら断れねぇだろ」 「そっちは誘っとらん!全く、抵抗できぬか弱き者に強姦とは……悪魔の将軍が聞いて呆れるわ」  ベッドの中、エミディオが上半身を起こしながら盛大にため息をついてみせれば、サタナキアは相変わらず顔をしかめながらも、いけしゃあしゃあと文句を言ってのける。 「だって、あんな風に誘われたら、男ならおっ勃つって」 「そっちでは誘っとらんッ」 「お前絶対サキュバスだろ」 「私は男だ阿呆めが!」 「詐欺だ」  エミディオの美しさは努力の賜物であって、高位とはいえどもこんな悪魔に文句を言われる筋合いはない、と彼は主張するものの。それを聞いたサタナキアは、口を尖らせてそんな事を拗ねたように言うばかり。高位悪魔のオーラなぞ何処にも無く、その姿はまるで妻に叱られる夫のようで。  エミディオは一気に脱力する。 「このっーーもう、好いわ。どう足掻いても今更人に戻れる訳でもあるまいし。全く、神官長が悪魔の眷属になるなぞほんっと、前代みもーー」 「し、神官長……?」  呆れ半分に言ったエミディオの言葉を遮るように、サタナキアは彼の言葉を反復した。心なしか、その声が上ずっていたのは気の所為ではないだろう。 「そうだ。幼き頃は神子候補であった。今の所、歴代神官長としては最年少だとな。……そもそもだぞ、あんな場所に放り込まれたら、普通の人間なら一瞬で絶命するに決まっとる。私を見た時に気付け阿呆め」 「んなっ……なぁ!?それこそ宿敵じゃねぇか!」  ベッドに腰掛けていたサタナキアは、神官長のくだりを聞くや否や、ガバッと立ち上がった。余りにサタナキアが今更な事を言ってのけるものだから、エミディオは恨みがましくその赤い目を見上げてやる。 「だーから、言っとろうが。前代未聞だと。……まぁ、あやつの仕業で私はもう悪魔に殺されたなんだと吹聴されとると思うがな。実際、死んだも同然よ」  エミディオにとっては、敵の悪魔の手の中に堕ちるなどと本来ならば自害ものなのだ。今こうしてここにエミディオが座っているのだって、このサタナキアの下半身が頑張りすぎて自害するだけの余力が無かった、というのが原因であって。完全な悪魔に成り果てるまでの間に死ねるのならば、エミディオはとっくにそうしていた。  だが今や、エミディオは悪魔の眷属として問題なく魔界に居られてしまっていて、既に人間では無くなっている。最早、手遅れなのである。こう成ってしまっては、最早自害すらも叶わない。眷属だと言うならば即ち、主人の命にはどうしたって逆らえないのだから。 「全くだ……神官を伴侶にしたなんて……前代未聞だ」 「伴侶?なんだそれは」  サタナキアの言葉に、エミディオはついつい口を出してしまう。眉間に皺を寄せたままそう問うたエミディオに、サタナキアは意気揚々と答えて見せた。 「言葉通りだ。人間を伴侶にすると決めた場合、眷属でないと添い遂げる事が出来ないからな。心を奪い、自分が死ぬまで相手を縛る。――熱烈だろ?」  ふんっと見せつけるように嫌な笑みを浮かべながら言ったサタナキアは、それはそれは悪どい顔をして言って見せた。これまた初めて聞く話で、エミディオはその場で引きつる顔を隠しもせず、大きく大きくため息をついてやった。こんな事で悪魔の生態を知る事になろうとは、とエミディオは半ば逃避しつつそのような考えを振り払った。 「熱烈って……まぁ、良い。成ってしまったものは変えられん。私も神官達に愛想を尽かしていた所だ……して、サタナキア」 「なんだ」 「私は人の世に出る事が出来るのか?」  エミディオの素朴な疑問であった。人として生きることも死ぬこともできず、最早悪魔の眷属になってしまったのならばもう、平和に天に召される事も叶うまい。ならば。人――神官であった頃には絶対に許されなかった事を成しても咎められる事はないだろうと。どうせ行き着く先は地獄なのだからと。彼にはどうしても、人の世でやっておきたい事があったから。 「ああ、それは可能だ。この俺は高位悪魔だから魔王の許しが必要にはなる」 「お前も行く気か……私だけで良いんだがな」  その言葉に安心すると同時に、エミディオはふと魔王という存在に興味を惹かれる事となる。人間だった頃からずっと考え続けてきた魔界の王。それがまさか、自分の身近なものになろうとは、何とも奇妙な事であると。 「しかし、魔王か……まさか、この目にまみえる事が出来るとは思わなんだ……お目に掛かるなど一生ないと思っておった!」 「……おい、お前、何でそんなテンション上がってんだよ」  サタナキアには怪訝な顔で問われるが、エミディオのワクワクは止められなかった。人の為に尽くしてきたエミディオの、数多にある疑問の内のひとつだったから。  神殿が宿敵魔界の王。それは一体、どんな姿をしているのか。倒すのは不可能とされる悪魔の王は、人型だろうか、それとも獣型だろうか、はたまた想像もつかない程の異形なのだろうか。それの本当の姿を恐れるのと同時に、エミディオはいつだって疑問に思っていたのだ。  それがまさか、目の前に出来るチャンスが巡って来ようとは。人生(既に死んではいるのだけれども)何が起こるのか、全くもって予測もつかない。エミディオは、そうしてとうとう抑え切れずに熱弁する。 「だって魔王だぞ⁉ 人の世では決して見られんではないか!」  最早興奮を隠そうともせず、エミディオが身を乗り出しながらそう言えば、サタナキアは不快感をあらわに舌打ちを打った。
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