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急に不機嫌になったサタナキアに少々驚きつつ、成る程とエミディオは関心した。悪魔は人間よりもよっぽど素直な生き物なのだなぁと。素直に思った事を表に出す男を、エミディオは純粋に羨ましく思った。
「何だお主、気持ち悪い。私が魔王に惹かれるのがそんなに気に食わんのか」
「あったり前だろうが!でなきゃ、何千年と選ばなかった伴侶を娶ったりはしない」
からかう口調で言って見せたものの、存外真剣な表情で言われてエミディオは動揺する。余りにも素直な反応で再び面食らった反面、何故だか悦びのような気持ちが沸き起こるのだ。悪魔相手に何という感情をとは思いつつも、それはとうとう無視できない所まできてしまっている。
人間だった頃、彼は結局誰かの一番になることはなかったから。
「……そうか、成る程。……思えば誰かにこんなに求められる事は無かったかもしれん。――父上、以来か」
最後の方はほんの、呟くような言葉にしかならなかったが、エミディオはまるで自分に言い聞かせるように言った。人間を辞めてまで生き残ってしまった自分がみっともないと思うと同時に、心の底からふつふつと湧き出してくる、許されない筈の歓喜に支配されてしまいそうだった。
悪魔とは何て自由なのだろう。自然に思ってしまったその感情に、エミディオはふと驚く。そして、同時に感じる罪悪感と嫉みと悦びと怒りと、様々な感情に押し潰されそうになって慌ててかぶりを振った。こんな事を考えてはいけないと、己の感情を否定する。
だが、そんな些細なエミディオの変化を、サタナキアは見逃さなかった。
「……父?」
サタナキアはそう、怪訝に言った。悟られたくなくて、エミディオはそのまま目を逸らす。だが、悪魔の大将軍たるサタナキアはそれを許しはしなかった。
途端に顔をその手に取られ、顔を無理矢理に向かされる。眷属としてのそれに当たるのか、エミディオは全く抵抗は出来なかった。
微かな怒気を含ませた赤い目に見つめられて、魅入られたかのように目を逸らす事が出来ない。世の女性を従わせる事のできるという悪魔の将軍閣下。もしや男にもそれは効くのではないかと、そんな錯覚すら覚える程だった。
「話せ。この俺様とお前は、共に永遠に生きるのだ。隠し事は赦さん」
ジッと目を見つめられ、逸らす事も抵抗すら出来ず、エミディオは囚われる。この悪魔の言葉には、従う事しかできない。それにもう、人でもない彼には隠す意味もない。だからエミディオは淡々と暴露する。神官としてはあるまじき、己の持つその業を。
「……まだ私が成人する前、父上が精神を病み――父上におかされた。父上は泣きながら、許しを乞うておった。愛する者をまもりきれんと」
「………」
「その時は最早、父上は手の施しようがない程に壊れていた。最期まで、それを母上に知られる事はなかったが……父上は失意のまま亡くなられた。……それでも尚、誰にも――執拗に父上を攻撃していた神官達にもうらみ言を吐かなかった。人が良すぎたのだ。優しすぎたのだ。私が……私の敗北の所為でーー」
その時突然、サタナキアは更に話を続けようとしたその口をその手で塞いだ。そうして目を微かに大きくしたエミディオを、そのまま至近距離でジッと見つめ、いやらしい笑みを浮かべて言った。
「成る程、この俺が惹かれる訳だ。お前は美しいだけじゃない。内に秘めた業を美しく纏っていた、だから一層、この俺が魅了された。お前の恐怖、哀しみ、後悔、未練――そしてその怨みの全てがこの俺の力の糧となる」
ゆっくりと手を外したサタナキアは、べろりとエミディオの横っ面を舐め上げた。精悍なその顔に似合うギラギラと光る目には、悪魔の残虐性が映し出される。しかしこの時、エミディオは最早、それすらも美しいと思ってしまった。
この世界での死が訪れるまで、このサタナキアと共に生を貪るのも悪くない。成る程、もしかしたら先に魅了されたのは己の方であったのか。ぼんやりとした頭でそんな事を考えながら、エミディオは黙ってその目を見つめた。
「お前は俺のものだ。離れる事は許さねぇ。だが、俺も鬼じゃあない。少しならばお前の望みも叶えてやろう」
ゆっくりと近付いてくるサタナキアの目に魅入られながら、エミディオは悪魔を受け入れる。じっとりと口内を舐られながら、ひんやりとした彼の体温を甘受した。エミディオはそして嗤う。信じられない程に気分が好かった。
この男の所為で、自分を縛り付けていた幾重もの戒めから解放されたような気分だ。最早己の中には、人としての心は残っていないのかもしれない。エミディオは与えられる快楽に震え歓びながら思う。素直に思うがまま、生きていくのはどんなに気楽であろうと。目の前にぶら下げられた甘い誘惑に、最早抗う気すらも起きない。
ああもう、自分は本当に、既に人では無いのだとエミディオは思う。それが悲しくもあり、そして同時に喜ぶべき事だった。それ程までに、エミディオにとって人は、とてつもなく生きにくい生だった。今ならば喜んで捨ててしまえる程に。人間界こそが、彼にとっての地獄だったのだ。
その日エミディオは、イケナイ事の数々を教え込んでくる当人に必死でしがみつき、与えられる快楽を望むがままに貪ったのだった。
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