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抗いもせずに
「随分と愛らしい姿だのぉ」
その日エミディオは、サタナキアと共に人間界へと降り立った。先の話にあったように、エミディオの未練とやらを解消する為だ。二人は予定通り、神殿より少しだけ離れた人の世に音もなく着地する。
着いて早々、エミディオは笑みさえ浮かべながら、隣にいる小さい相方に向かってそんな事を呟いた。言われた当人はといえば、大層不本意そうに、地団駄を踏むように、子供のような甲高い声で叫ぶ。
「う、うるさい!なんせおれは、あくまだいしょうぐんだからな! まりょくもニンゲンなんかとはけたちがいだ……だから、せいげんなんかするともとのすがたをたもてない――っ、わらうなえみでぃお!」
焦っているような恥ずかしがっているような、そんな目の前の男に、エミディオは素直に笑ってみせる。ここ数日でようやく、エミディオも何の屈託もなく感情を露わに出来る様になって、随分と清々しい気分でいた。
「いやな、普段のお前も悪くはないのだが……悪魔のクセに天使のような――ブフッ」
「だから、それをやめろといってんだ! おれはあくまだいしょうぐんなんだからな!?」
今のこの何気無いやり取りでさえ、きっと元のエミディオには出来なかった事だ。だが今や、エミディオは何かを背負う必要も遠慮する必要も無い。咎める者も眉を顰める者も居ない。故にエミディオは、自由だった。
今のエミディオは、サタナキアの立派な眷属としてその身も心すらも捧げつつある。当人も知らぬ内に、彼は立派な悪魔になりつつあるのだ。
そしてまた、エミディオは理解している。サタナキアが死ぬ時は、自分も死ぬ時だと言う事。そうでなければならないと。
二人は手を繋ぎながら、ゆっくりとした足取りで目的地へと向かって歩く。実のところエミディオは、己が何をするつもりなのか、その目的を語ってすら居ない。聞かれなかったから、というのもあるのだが。語る必要も無いと思っている。いっそサタナキアは、エミディオがどんな事をするつもりなのかも全て承知しているのかもしれない。何と言っても、二人は最早離れられない番なのだから。
「ふふふ――ああ、すまんすまん、拗ねるな……冗談はこれくらいにしての。サタナキア、お主は神殿に入れるのか?」
一頻り笑った所で、エミディオはするりと気持ちを切り替え問い掛ける。散々笑われた事で、サタナキアは大層ブー垂れていたが、悪魔大将軍は流石、気持ちを切り替える事にも長けていた。
「……もとのすがたならともかく、いまのすがたではいれるはずねぇだろ」
「ふふっ、そうか。ならば、私一人で出向くとしよう」
「おまえ……まぁ、まだしんりょくのにおいはのこってる、そうつよくきょぜつされることもないだろう。
――だが、むりはするなよ! ひとのちをのんだらそれこそ、ひとのころのきおくはおそらくきえる。しんでんで、なりたてのあくまのけんぞくなんか、しんかんにはあかごのてをひねるようなものだ。しょうきをうしないでもしたらころされるとおもえ! おれさまをでばらせてくれるなよ」
「ああ、善処しよう……待っておれ我が主人よ。――すぐにもどる」
ひらり、エミディオは着せられた服の裾を翻し、子供の姿のサタナキアに合わせるようにしゃがんでキスを頬に落とす。それでも尚ブスリとした不機嫌な顔に苦笑しながら、エミディオはその小さな手を離した。
「頼りにしておるぞ」
離れ際、後ろ向きで歩くようにくるりと振り返ってそう言えば、サタナキアは大きな目を真ん丸に広げてエミディオを見上げた。それに気を良くして、エミディオはくすくすと笑いながら、大層機嫌良く神殿への道を歩んで行ったのだった。
さぁ、決別の時。
完全に人ではなくなってしまう前に、懐かしの彼等を一目見たいと、エミディオは思っている。もしその気になれば、父母の所へもと。
それを見て、自分が何を思うのかもどう成ってしまうのかも、正直なところ分からない。それでも、今やらねばとエミディオは思うのだ。
何せ、彼は少しばかり焦りを覚えているから。これが最後のチャンスだと、理解している。まだあの運命の日から5日程しか経っていない筈であるのに、既にぼんやりとしか彼等の顔を思い出せないのだ。多分、もうすぐ、彼は人間を忘れる。だからその前にせめてと。
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