おちる

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おちる

 自分の人生は中々波乱に満ちて居たと、エミディオは思っていた。  王の嫁となるべく、幼き頃より禊を欠かさず、肌の手入れも髪の手入れも念入りに行ってきた。母親の協力を得て食事にも気を使い、口に入れるものには全て祈りが捧げられた。聖人として恥ずかしくないよう神力も磨き、誰にも負けない気高さを自負していた。完璧だったのだ。  これならば、国の王にもご満足いただけるだろう。自分を始め、時期神官長として有力な父も、美しく慈愛に満ちた母も、王の寵愛を賜るであろうと疑いもしなかったのだ。  エミディオが信じられない知らせを耳にしたのは、彼が若干15、あと一年で王との婚礼の儀を迎えるというそんな時であった。 『神子様が天より降誕なさった』  その知らせは、あっという間に国中を駆け巡った。そして、人々は王と天より現れたその神子との婚礼を切望したのだ。王がかの神子を妻として迎えれば即ち、国は天の御加護を受けられると。  エミディオにとっては正に、寝耳に水であった。彼は王と生を共にし、王の役に立つ事を目的として生きているのであって、あんな突然現れたちんくしゃに取って代わられるようなそんな軽い男ではないと、そう信じていた。  悔しくて仕方なかったエミディオは、王城へと直訴を申し出たりもした。そして何度も通い詰め、件の神子とやらに恨み言を吐く事もあったのだ。だがその内に、彼は悟ってしまった。  王はかの神子に本気であるという、そんな残酷な真実を。二人は会って間もないだとか、エミディオ程煌びやかな美しさはないだとか、色々と言える事はあった。だがそれでも、二人の絆は深かった。  負けた。  エミディオはその日、人生で初めての負けを悟ってしまった。  エミディオが負けたのは良いとしても。しかし、彼の王に娶られるべく行ってきた全ての努力が一気に水の泡と化した。神官として地位を堅固なものにしていた父もまた、彼の敗北に倣うようにどんどん落ちぶれていった。  最早王城には顔を出すまいと、彼がそう宣言した辺りからだろうか。エミディオの父は精神を病み、そして間も無く。この世を去った。  エミディオも母も、深い悲しみに囚われた。エミディオの王族入りどころか、父の出世話すらも消えて無くなってしまった。一流と名高かった家はあっという間に没落し、愛する人すらも失った。親族は元より味方では無い。結局、エミディオに残されたものはたった一人の家族だけとなってしまった。  彼の父は、とても良い人だった。故に、他のライバル達からの執拗な攻撃に耐えられなかったのだろう。何と愚かで可哀想な父だろう。かつてエミディオがそうしたように、虎の威を借りるような事でも何でも、利用すれば良かったのに。父の優しさは結局、家族を危機へと追いやった。かつては決してそんな事など思わなかった筈なのに、その時エミディオは内心で父を心底憐れんだのだった。  だが同時にその時、エミディオは決意した。父を奪ったかのライバル達から、その地位を奪い返してやろうと。そして、相変わらず哀しみに暮れる母を喜ばせ、そして今度は自分の方が養っていくのだと。  そうやって、エミディオは見習いの神官として、古巣の神殿に腰を下ろす事を決めた。何とかして蔑み蹴落として来ようとする方々のやっかみに耐え、いっそやり返し、奮起した。それが、エミディオが16に成った年の冬の事。本当であれば、王の妃として娶られる年の事であった。  それから様々な出来事と試練を乗り越え、エミディオは3年後、めでたく神官長として役を賜る事となったのだ。喜ばしい反面、王や神子に会うようになると思うと何処か憂鬱な気分になったのは言うまでもなかった。世話をされ、何も考えなくても良かったかつての子供だった頃とは違い、様々な責務と圧力が、エミディオを蝕む。  神官長として挨拶に出向いたエミディオは、久しく会う王と妃に大層驚かれた。王には彼の家の事を心配されるも、エミディオは適度にはぐらかしつつ、彼の母は元気であることを簡潔に伝えた。  父も死に何年も経っているのに何を今更。珍しく反抗心が湧き出る。彼の母だって、心労から老け込み病を患い、先は短いという。そんな没落した家族の事を今更聞いて、一体何のつもりだろうか。エミディオは極自然にそんな事を思ったのだった。  それから数ヶ月後の事だった。突然、エミディオの元へ、不吉な予言が舞い降りたのだ。 『世の楔が千切れ、深い悲しみが国を襲うであろう』  この予言を受けたのはエミディオだった。通常、予言には事の起こりを示す暗号めいた御告げがあるものなのだが。この時ばかりはそれっきり、『深い悲しみ』の先が予言によって語られる事はなかった。それは他の神官達でも同じ事で、首を傾げ不安に駆られながらも、彼等はいつ来るかも何が起こるかも分からないそれに、万全の準備を整える事しか出来なかった。  神官達はこぞって祈りを捧げ、禊を行い神力を蓄える。如何なる災厄とはいえ、この国の強固な神殿の力さえあればどんな予言も乗り越えられると皆、楽天的にも信じていたのだ。
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