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第10話 魔寄せの娘、魔城で暮らす
ソフィアは魔城の部屋の一室を与えられ、天蓋付きのベッドで寝ていたところに、窓から月の光が差し込んできた。この魔国は日が昇らない。太陽の光を苦手とする魔族もいるため、魔王ナハトの魔力により、常に夜の闇がこの国を覆っている。だから、太陽のかわりに月が昇る。
しかし、優しい月の光が突然遮られ、覚醒寸前だったソフィアはそろりと目を開けた。
――目の前に、ナハトの顔が至近距離で迫ってきていた。
「うわぁぁぁ!」
キスでもされそうな超接近に、ソフィアは反射でナハトを殴ってしまった。
しかし、そこは魔王。ソフィアの拳を片手で受け止め、「おはよう」と余裕の笑みを浮かべる。
「お前、私の寝込みを襲うとはいい度胸をしているな!」
「そんなつもりはなかったのだが……。ニンゲンのおとぎ話では、ニンゲンの女は男と口を合わせると目が覚めるものなんだろう?」
「それを『寝込みを襲う』って言ってるんだよ!」
魔王の人間に関する知識は偏っている。魔族と人間が文化的に断絶し、双方が敵対している状態なので、仕方ないといえば仕方ないのだが……。
「それでは、おとぎ話のニンゲンの男は女の寝込みを襲っていたのか? 話を読んだ感じ、女はまんざらでもなさそうだったが?」
うーん、この人外に、なんと説明したものか……。
ソフィアはため息をつきながら、ベッドの端に座って、魔王への説明を試みるのであった……。
魔城での暮らしを始めたソフィアには、思いのほか快適な生活が与えられていた。
魔国の料理は意外と見た目も良く、味も美味しい。ナハトに聞いてみれば、料理研究家の魔族が魔城に召し抱えられているらしい。
「俺たち魔族とて、美食というものはある。この城で出される料理は、ニンゲンの料理を研究して作らせたものだ。特にお前には馴染みのある料理のほうが安心するだろう?」
まあ、もちろん見た目がグロテスクな悪食を好む魔族も多いが、とナハトが食事をしながら聞かせてくれた。
たしかに王国でもよく見る料理だ。その点は安心と言える。
朝食を終えれば、魔王は執務室で仕事を始めた。魔族とはいえ、書類仕事に追われる点は人間とそう変わらないらしい。
「魔王はどういう仕事をするのか」と尋ねてみれば、「王国がいつ魔国を襲ってくるか分からないのでモンスターの生産と訓練、配置やらその他の国務やらをこうしてまとめられた書類に判を捺すことが多い」と返ってきた。
「魔王とはいえ、魔国に攻め込んでくる勇者など年に一回かそこらだな。あとはずっと書類仕事だ」
「だが、おかしいぞ。実際に魔物は王国に侵入している」
「そうだな……お前の魔寄せの力とて、王国全土に影響するはずもないか……」
ふむ、とナハトが考え込む。その様子を見る限り、モンスターが王国に現れるのは、どうも彼の仕業ではないように思えた。
(魔物が増えているのは魔王のせいじゃない……? ならいったい、どういうことなんだ……)
もしかしたら、魔王と意見が対立しているという『王国侵略派』の悪行かもしれない。
とにかく、ソフィアが魔国に移住したことで、少しでも王国にはびこるモンスターたちが魔国に戻ってくることを祈るしかない。
そんなとき、不意にナハトがソフィアに声をかけた。
「俺の仕事など眺めていても退屈ではないか? 少し城の中を案内してやろう」
ナハトが机から立ち上がり、ソフィアにあとをついてくるように促しながら執務室を一緒に出た。
「おう、ソフィアじゃねえか! こないだの武闘会、客席で見てたけどシビレたぜ!」
「あ、ど、どうも……」
途中、すれ違った魔族と挨拶をする。あまりにフランクな態度に、ソフィアは少し戸惑っていた。
「そう怯えることはない。魔族たちは既にお前を認めている。俺の花嫁になるならもっと胸を張って堂々としろ」
「だから、私は嫁になる気はないって……」
「さて、まずはどこから案内しようか……そうだ、厨房に行くか。朝食の礼をしたいだろう?」
ナハトはソフィアの言葉をまったく聞いていない。ソフィアはため息をつきながら、つかつかと歩いていく魔王に従った。
厨房では既に昼食の準備が始まっているようだ。
コックたちに指示を出している料理長らしき男がいる。
「ニスロク、今日の朝食も実に美味であった。ソフィアも喜んでいた」
「おっと、そこで止まってください。魔王陛下といえども、許可なく厨房に入れるわけにはまいりませぬ。料理に埃でも入ったら大変ですからな」
ニスロクと呼ばれた魔族は、魔王相手でもジロッとした目つきで、臆することがない。
しかし、ナハトはそれを不快には思っていないらしい。
「これは失礼したな。俺とソフィアは礼を伝えたかっただけだ。厨房には入る気はないよ」
「えっと……ごちそうさまでした。美味しかったです」
ソフィアがペコリと頭を下げるが、ニスロクはまったく悪びれない。
「私は魔城の料理長。美味しいのは当たり前です。まずい飯など、私の腕に誓って味見をした時点で廃棄します。まあ、私の作る料理がまずいわけがないのですが」
あっけにとられたソフィアだったが、ナハトは気にするそぶりもなく、「行こう」と彼女を連れて厨房を離れた。
「随分と不遜な料理長だな。ナハトは怒らないのか?」
「実際、味は美味しいのだから問題あるまい。何度か言っているが、この国は実力主義だ。結果さえきちんと出していれば、多少の無礼は許すとも」
寛大なのか、なんなのか……。
魔族の価値観に首を傾げながら、ソフィアは魔王についていった。
そこから、城の中の様々な施設に案内され、やがてふたりは温室にやってきた。
「俺は魔界植物を育てるのが趣味でな」
ナハトは植木鉢のひとつを持ち上げた。
「よかったら、俺だと思って受け取って欲しい」
「いや……いらない……」
ソフィアはにべもなく断った。というのも、その魔界植物には牙と舌が生えており、鉢を受け取ったら頭から噛みつかれそうな、獰猛でグロテスクな姿をしていたからである。
「ふむ……? これもダメか。お前はなかなか俺の贈り物を受け取ってくれないな」
どうもナハトの感性は人間とはだいぶ異なるようだった。魔族はみんなこんなセンスをしているのだろうか?
ソフィアは温室の中を恐る恐る歩いてみた。足元にも鉢があり、気をつけないとうごめいている魔界植物に噛みつかれそうである。
そうして、奥にたどり着くと、ソフィアは思わず「綺麗だな……」と呟いた。
温室の奥に、美しい薔薇が咲き誇っていたのである。
「これもナハトが育てたのか?」
「そうだが……?」
「薔薇を育てるのは手間がかかると聞く。こんなに立派に育てるのは大変だったろう」
「ニンゲンが育てて愛でていたのを見て、見様見真似と興味本位で育ててみただけだが、お前はこういうのが好みなのか?」
「少なくとも、さっきの魔界植物よりは」
「そうか……」
ナハトは、自分の趣味を理解してもらえなかったのが残念なのか、少ししょんぼりとしていた。
「私は魔界植物より薔薇をもらったほうが嬉しい。この薔薇をプレゼントしてくれないだろうか?」
「お前が気に入ってくれたのなら構わない」
魔王はほぅ、と息をつき、薔薇を一輪、ソフィアに渡した。
(こうやって少しずつ、人間の価値観を教えたほうが良さそうだ)
ソフィアは薔薇を受け取ろうと手を伸ばすと、不意に指にチクリと痛みがあった。思わず差し出した手を引っ込める。
誤って、薔薇の棘で指を切ってしまったのだ。
指から血を流すソフィアを見て、魔王の目は赤く燃えるようだった。
「よくもソフィアを傷つけたな。こんな不敬な花、燃やしてやる!」
薔薇相手に怒り狂ったナハトは、手から黒炎を出し、薔薇を燃やそうとした。
「待て待て待て待て! 私は大丈夫だから!」
「全然大丈夫じゃない! ニンゲンは少しの傷でもそこから化膿してしまう弱い生き物だと聞いたぞ! とにかく医者に見せなくては!」
「大げさだなあ……」
ナハトはソフィアを俵のように担ぎ、魔城の医務室へと駆け込んだ。
「アスク! 怪我人だ、応急処置を頼む!」
「おや、それは大変」
カラスのような鳥の頭の、白衣を着た魔族がソフィアの指を消毒した後、絆創膏を貼ってくれた。
「ありがとうございます……」
「いえいえ。貴女がソフィアさんでしたか。わたくし、魔城の主治医、アスクと申します。武闘会では救護班だったため、ソフィアさんのご活躍をじっくりと拝見できず、残念でした」
アスクは人当たりがいい性格で、ソフィアはやっとまともな魔族に出会った気がした。
一方で、アスクとソフィアが仲良さげに話しているのが気に食わないという顔をしているナハト。
「ソフィア、治療が終わったなら戻るぞ」
そう言って、踵を返して医務室からともに出るように促す。
「ソフィアさん、わたくしは心のケアもしておりますので、何かあったらすぐに相談してくださいね」
「はい、ありがとうございます」
「それでは、お大事に」
にこやかに手を振るアスクを置いて、医務室の扉は閉じられた。
「ソフィア、アスクと話すときは、俺も呼ぶがいい」
「え、なんで? 医務室の場所は覚えたからひとりでも行けるけど……」
「アスクとお前がふたりきりで話すのは、俺にとって好ましくない」
ソフィアが見上げると、ナハトはちょっと面白くなさそうな顔をしていた。
「なに? 嫉妬してるの?」
「嫉妬、とはなんだ?」
「ヤキモチ……って言ってもわからないか。魔王様も存外可愛いところがあるじゃないか」
ナハトはソフィアのからかうような言葉の意味が理解できないらしく、キョトンとしていた。
「かわいい、とはお前のためにある言葉だ」
「そういうのいいから」
こうして、魔城の施設の案内をすべて終え、ナハトとソフィアは執務室に戻るのであった。
その後、ソフィアは魔城の中でアスクに会うと、声をかけられることが多くなった。
「へえ、アスクさんって王国によく行ってたんですね」
「ええ、わたくしは鴉に変身して、国境も関係なく自由に行き来できます。ああ、魔王陛下の使い魔である紅い鴉とは別ですよ」
そうしてソフィアとアスクが仲良く話していると、毎回ナハトが割り込んできてソフィアを執務室に連れ戻してしまうのである。
「アスクさんと少し話すくらいいいだろう?」
「あまりあの医者に必要以上に関わるな」
「なんだよ、私が誰と話そうと私の勝手だろう。魔王の花嫁とやらは他人と会話する自由も与えられないのか?」
ソフィアの言葉にナハトは困ったように眉根を寄せるが、「とにかくアスクに関わるな」の一点張り。ソフィアは納得がいかず、魔王に呆れてしまった。ヤキモチにしたって限度がある。これではまるで束縛ではないか。
ソフィアはナハトに構わず、アスクと親密に話すことが多くなった。
そんなある日のことである。
「ソフィアさん、よかったら医務室で少し調べさせてもらえませんか?」
「え? こないだの指の傷はもう治りましたけど……」
「そちらではなく、『魔寄せの力』のほうです。わたくしが研究したら、もしかしたら治療の糸口が見つかるかもしれません」
「本当ですか!?」
ソフィアは二つ返事で医務室までついていった。
ナハトには何も告げなかったが、むしろ彼は何も知らないほうが都合がいい。
ナハトの知らない間に『魔寄せの力』を治療し、その力を失えば、魔王も魔族も魔物も、もう自分への興味を失うはずだ。それなら、王都に帰っても問題なく暮らせるだろう。あとは、魔国からの脱出方法を考えるだけだ。
ソフィアは弾むような足取りで医務室に入った。
「まずはリラックス効果のあるお茶でもいかがです?」
アスクに勧められるまま、ハーブティーを飲む。
一口飲んだ途端に眠くなり、そこで一旦、ソフィアの記憶が途絶えた。
次に目を覚ましたときは、医務室にいるのは変わらなかった。
ただ、ベッドに手足を縛り付けられている。
「え、は!? こ、これはいったい……」
「おや、もう目覚めてしまいましたか」
ベッドの横では、アスクが手術道具の準備をしていた。
「アスクさん!? これはどういうことですか!?」
「いえね、魔国にニンゲンが来るなんてめったにないチャンスでしょう?」
アスクはキラリと光るメスを持ち上げた。
「しかも『魔寄せの力』なんて面白い症例、とても興味があります。この機会に解剖させてください」
「ふざけるな!」
血の気が引いたソフィアは必死に暴れるが、いかに格闘士とはいえ、手足を封じられてはどううしようもない。
「さて、お腹を切り開くべきか、それとも頭を開くべきか……『魔寄せの力』とはどこから来るものなんでしょうね?」
「や、やめろ……!」
ソフィアの眼前に鋭いメスが迫る。思わずギュッと目をつぶった。
「――だから、その医者には関わるなと言ったんだ」
聞き覚えのある声がして、アスクの手からメスが床に落ちたような金属音がした。
ソフィアが目を開くと、ナハトがアスクの手首を掴んでいた。
「アスク! 貴様、ソフィアが俺の嫁と知っていての暴挙か!」
「医療の発展のために、サンプルが必要なのです。陛下、どうかご許可を……」
「黙れ。お前が鴉に変身して王国に侵入し、手当たり次第にニンゲンを襲って解剖しているのを俺が知らないとでも思っているのか!」
アスクの罪状に、ソフィアはゾッと寒気がした。
このままナハトが助けに来なければ、彼女も解剖されて実験材料にされていたのは明白だった。
「お前のしたことは重罪である。この場で命を以て償うがいい」
アスクの手首を握っているナハトの手から、黒炎があふれ出す。
医者は黒い炎に包まれ、悲鳴とともに炭となって息絶えたのである。
「ソフィア、怪我は?」
「あ、ああ、大丈夫……」
「よかった」
ナハトはホッとした顔で、ソフィアの手足の拘束を解いた。
「アスクは『王国侵略派』の魔族だった男だ。王国を侵略すれば奴のいう『サンプル』が取り放題だからな」
「それで、ナハトは私を止めてくれていたのか……。でも、それならそうと言ってくれても良かったじゃないか」
そう返すと、ナハトは困ったような顔で頭をかく。
「まさかアスクが『魔王の花嫁』相手に本当にやらかすとは半信半疑で、現場を押さえないと証拠不十分だった。それに、俺が告げたところでお前は信じてくれたのか……?」
果たしてナハトを信用したかと問われると、ソフィアにはぐうの音も出ない話である。
「た、……助けてくれて、ありがとう……」
ソフィアの御礼の言葉に、ナハトは少し嬉しそうな、ホッとしたような顔をしたのであった。
その後、ナハトは前にもましてソフィアにベッタリするようになり、トイレや風呂にまでついてきそうになるのを、ソフィアが必死に拒絶するようになるのはまた別の話である。
ソフィアは迷惑がりつつも、またアスクみたいなやつに狙われても困るし……と、大きなため息をつきながら仕方なく受け入れる羽目になる。
〈続く〉
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