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第11話 王太子殿下にご挨拶
「へぇ。きみが噂のイリーナ嬢かぁ」
執務机に頬杖をついて、ノエル王子がキラキラした緑色の瞳をイリーナに向けてくる。
白を基調とした豪華な調度でまとめられた執務室には、王子とゼノンとイリーナだけしかいない。護衛騎士すらも人払いしたのは、イリーナの秘密を漏らさぬための配慮だろう。
御年二十五歳のノエル王子は、サラサラの輝く金髪に緑の瞳のスラリとしたイケメンだ。人を魅了する笑顔と親しげな口調は、学友のゼノンが一緒だからだろうか。
まぁ、どんなに相手が親しげでも、イリーナは硬くなって俯くことしか出来なかったが。
「ああ、ゼノンと結婚したんだから、フェルラント夫人と呼んだ方が良いのかな? ところで、顔を見せてくれないかな?」
イリーナの長い前髪は今日も健在だ。家では少しだけ分け目をつけられるようになったが、やはり、たくさんの人がいる王宮で瞳をさらす勇気はない。
「も、申し訳ございません!」
俯いていた顔をさらに低く下げると、大きくて温かな手が肩に添えられた。
「殿下。イリーナは、長い間、瞳を隠すことで自分の秘密を守ってきたのです。いくら殿下でも、無理強いするのはお止めください」
「へぇ~」
驚いたような、感心したような声が王子の口から洩れた。
イリーナもゼノンが庇ってくれたことが不思議で、隣に立つ彼の顔を見上げてしまった。
「ゼノンがそんな風に言うなんて、よっぽど彼女の顔を僕に見せたくないんだね」
「殿下!」
ゼノンが責めるような声を出すが、ノエル王子は一向に気にする様子もなく、ニコニコ顔をイリーナに向けた。
「イリーナ嬢は聞いてるかな? 最初に僕が、きみを側妃に迎えようって言ったんだよ。そしたらゼノンが慌ててね。自分が妻に迎えるからって」
ノエルは楽しそうだが、イリーナはゼノンの気持ちが痛いほどわかった。
平民の女を、王太子殿下の側妃にする訳にはいかない。だから彼は自らを犠牲にしたのだ。
ノエルがあくまでもイリーナを令嬢として扱うのも、この結婚が名目だけのことだとわかっているからだ。
「そう……だったのですね」
イリーナの反応に、ノエルは首を傾げた。
「あれぇ、もしかして、この話も聞いてないのかな? ゼノンはね、きみのことを十年前から知っていたんだってさ」
「殿下、その話はっ!」
「いいじゃないか。ゼノンて意外に不器用だよね」
ノエルは目を細めてクスクスと笑う。
「ねぇ、イリーナ嬢は覚えてるかな? 十年前にね、ロージャ男爵に頼まれて、王国騎士団が彼の奥方と令嬢を保養地まで送り届けたことがあるんだ。その騎士団の中に、ゼノンがいたんだよ」
「えっ」
ヒュッと喉が鳴った。息を吸い込み過ぎて頭がクラクラする。
ノエル王子の話を聞いて脳裏に浮かんだのは、長い長い馬車の旅で起こった、衝撃的な出来事だった。
あれは、母の具合が一時的に良くなった頃のことだ。久しぶりに王都の屋敷で過ごし、再び保養地へ向かう旅の途中だった。
馬車の中には、母とイリーナと侍女が一人。馬車の前と後ろには、大勢の立派な騎士が隊列を組んでいた。
林が点在する草原を進んでいた時、突然空から魔鳥が襲って来た。
人を丸呑みできるほど巨大な魔鳥を相手に、騎士たちは隊列を乱しながらも必死に応戦してくれたが、彼らが劣勢だということは幼いイリーナにもわかった。
馬車馬は恐慌に陥り、イリーナたちの乗った馬車は脱輪して動けなくなった。横倒しにならなかっただけマシだが、御者は馬を落ち着かせるのが精一杯で、馬車の中にいるイリーナ達を気遣う余裕はなかった。
怯える母と侍女。イリーナは母を守りたい一心で馬車を飛び出した。
そして────生まれて初めて魅了眼を使い、魔鳥を追い払った。
まだ八歳だったイリーナは、その後のことをあまり覚えていない。騒ぎにならなかったのだから、魅了眼のことは誰にも気づかれなかったのだろう────そう思っていた。
(そうか……閣下は、あの日に気づいていたんだわ)
どうして今まで黙っていてくれたのかはわからない。もしかしたら、ゼノンも半信半疑だったのかも知れない。
そして彼は、討伐の日にイリーナの力を再確認したのだ。
「────ねぇイリーナ嬢? きみの秘密は全力で守るつもりだけど、時にはきみの力を借りなければならない事態が起こるかも知れない。もちろん、ゼノンの了解を得た上で、彼のいる場所で行うと約束する。だから、その時は、よろしく頼むよ」
にっこりと笑う未来の国王に、否やは言えない。
自分がどんな顔をして「はい」と答えたのかもわからぬまま、イリーナは王太子の執務室を後にした。
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