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第12話 急襲の中庭
二人は王宮の白い廊下を無言で進み、中庭まで戻った。
温かい陽ざしを浴びてイリーナがホッと息を吐くと同時に、ゼノンが足を止めた。
「イリーナ…………殿下の言ったことは本当だ。俺は十年前から、おまえの力のことを知っていた。黙っていて、悪かったな」
「いえ……」
「あの時、俺は王国騎士団に入ったばかりの従騎士で、あれが最初の任務だった。魔鳥が襲って来た時、俺は後方に下げられた。だから、馬車から出て来たおまえに気づいた。止めなければと思って、俺はおまえに駆け寄った」
ゼノンはずっと険しい顔をしていたが、その表情がふっと和らいだ。
「おまえがいなかったら、俺たちは間違いなく全滅していただろう。護衛任務に就いていた正騎士の中に、魔法騎士はひとりしかいなかったからな。
だが、正騎士たちは誰もおまえに気づかなかった。魔鳥が気まぐれに襲い掛かり、気まぐれに去って行ったと思っていた。だから、俺は、自分が見たことを誰にも言えなかった」
「そう、ですか。気づいたのが……閣下で良かったです」
ゼノンはきっと、危険な力を持つイリーナのことを、ずっと気にかけてくれていたのだろう。
一年前にイリーナが騎士団の救護助手になった時も、イリーナがあの時の子供だとわかっていたに違いない。
だから、歓迎会の席で酔いつぶれた時も助けてくれたのだ────魅了眼が暴走しないように。
胸の痛みは治まらなかったけれど、理由がわかってスッキリした。
これから王太子殿下の庇護の下で魔力を使う事になるかも知れないが、これで悪用される心配はなくなる。きっと母も許してくれるだろう。
「────イリーナ、俺は」
ふいに手を取られ、大きな両手に握りしめられた。
驚いて顔を上げると、切なげに眉を寄せたゼノンがイリーナを見下ろしていた。
「俺は、おまえを────」
ゼノンが何か言いかけたとき、上空からパーンという音がした。
風船が破裂したような、張り巡らされた魔力が弾かれたような、空間を震わせる音だった。
イリーナもゼノンも、音のした方へ視線を向けた。
そして、息を呑んだ。
そこには、有り得ないものが浮かんでいた。
黒光りする大きな翼。
長くて鋭い嘴と瞳だけが、青空を写し取ったように青い。
「魔鳥だ!」
誰かの叫び声がした。
「馬鹿な! 防御網はどうした! 〈守りの塔〉は何をしているんだ!」
声は騒めきとなり、すぐに悲鳴へと変わった。
その間、イリーナは身じろぎもせずに空を仰いでいた。動けなかったという方が正解かも知れない。
初めは浮かんでいるだけだった黒い魔鳥が、獲物を見つけた時のように急降下してくる。徐々に大きくなる魔鳥の姿に、幼い頃の記憶が容赦なく揺さぶられる。
(ヘル、シュルプ……)
呼吸がうまくできない。王太子殿下を前に緊張していた時とは違う。迫り来る翼のある魔獣の姿に、あの時と同じ恐怖がイリーナを襲っていた。
王都の周りには魔力による防御網が施されている。王宮の周りにはさらにもう一つの防御網があるはずだった。それをすべて打ち破って侵入してきたのなら、とんでもなく強力な魔鳥に違いない。
(こんな怪物を、十年前の私は、本当に追い払えたの?)
魔鳥は、イリーナのいるこの中庭に向かって降下している。それなのに、足が根を張ってしまったように動かない。
瞳は魔鳥に釘づけで、瞬きすら出来ない。
大きく見開いた瞳が、燃えるように熱くなった。
まるで、体中の魔力が集まったかのように。
(なんだろう、これ?)
ゼノンと一緒に魅了眼の実験をした時とは違う。
途方もない力が、体中に満ち溢れてくる。
(ああ、今なら、追い返せるかも知れない……)
先ほどとは正反対の想いが、イリーナの胸に浮かんだ。
魔鳥の青い瞳を捉え、前髪を上げようと手を伸ばす。
「イリーナ!」
名前を呼ばれた途端、力強い腕に引き寄せられた。
頭の後ろに回された大きな手のひらに、グイッと強制的に顔の向きを変えられてしまう。
鼻先が白い騎士服に押しつけられて、ようやくイリーナは、自分がゼノンの胸に抱き寄せられていることに気づいた。
「◇氷刃◇!」
ゼノンの声と共に、凄まじいほどの冷気が彼の体から迸った。彼の魔力が嵐のような猛々しさでイリーナの傍を吹き抜けてゆく。
見ていなくてもわかった。
空へ突き出したゼノンの片腕から、氷の刃が放たれたのだ。
周囲から歓声が上がる。
ゼノンの体からも緊張が解け、魔鳥を倒したのだとわかった。
「あの……閣下?」
イリーナは両手でゼノンの胸を押して離れようとした。けれど、後頭部に添えられた手のひらが、さらに強い力でイリーナを抱き寄せて放してくれなかった。
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