62人が本棚に入れています
本棚に追加
第13話 初めての依頼
ゼノンに肩を支えられ、イリーナは王宮の廊下を急ぎ足で歩いていた。
向かう先は、先ほど退室したばかりの王太子殿下の執務室だ。中庭に来襲した魔鳥について、急ぎノエルに報告するのだろう。
氷の刃で魔鳥を倒した後、ゼノンは後始末をすべて部下に任せた。
廊下を歩くゼノンのそばには、しばらくの間、伝令役の騎士が頻繁に行き来していたが、王太子殿下の執務室に入ると彼らの姿はふつりと途絶えた。
いま、ゼノンとノエル王子は、執務机を挟んで難しい話をしている。
イリーナは部屋の片隅に置かれた長椅子に座り、侍女が淹れてくれたお茶を飲んでいた。震えるイリーナを落ち着かせるためにノエル王子が手配してくれたものだが、お茶を運んできた侍女はすでに退室している。
温かいお茶のおかげで、イリーナは少し落ち着きを取り戻した。
あの後、ゼノンは何も言わなかったけれど、心が落ち着いた今ならばわかる。彼は、魔鳥を見て取り乱し、人目のある中庭で魅了眼を使おうとしたイリーナを止めてくれたのだ。
金色に変わっていたであろう彼女の瞳を、誰にも見られないように。
(あぁぁもう、私ったら、何やってるんだろう! 閣下にとんでもないご迷惑を……)
イリーナの気持ちはどん底まで落ち込んでいた。
もしもあの時魅了眼を使っていたらと思うと、恐ろしさに血の気が引く。実際ブルッと震えが走り、イリーナは自分の両腕を抱きしめた。
「イリーナ、大丈夫か?」
執務机から離れて、ゼノンがイリーナの方へ歩いて来る。
彼はイリーナの隣に座ると、血の気の失せたイリーナの顔を心配そうにのぞき込んでくる。
「だ……大丈夫、です」
本当は、迷惑をかけたことや、反省していることを伝えて謝りたかったけれど、うまく言葉が出て来ない。
ゼノンの前でドギマギしていると、ノエル王子が向かいの長椅子に腰かけた。
「イリーナ嬢。少し、話を聞いてもらえるかな?」
ノエルがそう言った途端、ゼノンの目が険しくなる。
イリーナはゼノンの様子を気にしつつも、ノエルに向かって首肯した。
「きみも知っていると思うけど、王都全体と、この王宮には魔獣よけの防御網が施されている。本来なら、中庭に魔鳥が入ってくることはない」
ノエルの言葉に、イリーナはもう一度頷いた。
「魔鳥を倒してすぐ、ゼノンは防御網を管理する〈守りの塔〉へ兵を向かわせた。そして、そこに居た者を捕らえたのだけど……困ったことに、その男は容疑を否認していてね。しかも、彼はとある有力貴族の嫡男なんだ。今は拘置塔の最上階に監禁しているけど、そんな状況で彼を拷問する訳にはいかなくてね」
「ご……拷問?」
ビクッと肩を震わせると、隣に座るゼノンがイリーナの肩を優しく抱いてくれた。
「正直言って、こんなに早くきみに協力を仰ぐことになるとは思わなかったし、無理を言ってる自覚もある。でも、彼の親が騒ぎ出す前にきみの力を借りたいんだ。彼が自発的に喋りたくなるようにしてくれないか?」
ノエル王子にそう言われてしまえば、断ることなど出来ない。守ってもらっている立場なら、むしろ積極的に協力すべきだ。
イリーナはそっとゼノンの顔を見上げた。
彼が渋々ながらも頷いたので、勇気を振り絞って王子に質問してみた。
「それは……あの、嘘をつけなくする、ということで、よろしいでしょうか?」
「ああ、うん。それでいいよ」
ノエル王子はにっこりと笑った。
それからの準備はとても慌ただしかった。
イリーナの役割は、王宮侍女のフリをして拘留されている貴族の嫡男に食事を届けに行くこと。その際、男と顔を合わせ、魅了眼で嘘をつけなくすることだった。
イリーナは拘置所の空き部屋を借り、ノエルの部下が用意してくれた王宮侍女のお仕着せに着替えた。いつもの三つ編みは解き、侍女らしい形に結い上げる。
有力貴族の嫡男だという容疑者のために用意された食事はそれなりに品数があり、トレーの上にきれいに並べられていた。
そのトレーを手に取る前に、イリーナは深呼吸をして心を落ち着けてから、最後に前髪を左右に分けた。
傍らで見守ってくれているゼノンを、すみれ色の瞳でそっと見上げる。
「あの、侍女に……見えますか?」
「ああ、大丈夫だ。俺も一緒に行くから心配はいらない」
「はい」
イリーナを勇気づけるように、ゼノンが彼女の肩をポンポン叩く。すると、それまで少し離れた場所で待機していたノエルが、そっと近づいてイリーナの顔を覗き込んだ。
「へぇ~。これは確かに、隠しておきたくなるかもね」
「殿下!」
ニマニマしているノエルからイリーナを隠すように、ゼノンが立ちふさがる。
「俺たちが戻って来るまで、殿下はここで大人しく待っていてください!」
ノエル王子に向かってゼノンが強い口調で言い返す。
いつも冷静な彼がイライラしているのは、きっとこの計画が上手くいくか危ぶんでいるからだろう。
ゼノンの大きな背中を見上げて、イリーナは小さくため息をついた。
最初のコメントを投稿しよう!