第15話 王国を二分する勢力

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第15話 王国を二分する勢力

 家に帰りつくまで、イリーナは情けなくゼノンの腕にしがみついていた。  マーゴの心づくしの夕食もほとんど味がわからず、呆然としたまま入浴したイリーナは、寝室の長椅子に座るゼノンの姿を見て、ほんの少しだけ冷静さを取り戻した。 「座って話そう」 「……はい」  マーゴが用意してくれたのか、楕円形のローテーブルにはティーセットが用意されていた。  ゼノンの向かいに座り、カップにお茶を注ぐと、琥珀色のお茶から心が落ち着くハーブの香りがした。  ゼノンが「寝室で話そう」と言ったのは、きっと、話の内容に王国の機密事項が含まれているからだろう。ゴフリーやマーゴに心配をかけたくなかったからかも知れない。  イリーナはゼノンの前で姿勢を正し、膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめた。 「まず初めに言っておくが、今回の件に、おまえと同じ魅了眼(ちから)を持つ者が関わっている可能性は、かなり低い。魅了眼の持ち主は、存在自体が稀だからだ。  イリーナも知っているだろうが、〈魔樹海(ドグエルテ)〉を出た魔獣は、発見次第、白鷲騎士団の狼煙(のろし)台を伝って連絡が入ることになっている。ここ数日、魔鳥(ヘルシュルプ)の目撃情報は一つもなかった。恐らく、どこかで捕獲した魔鳥を陸路で運び、王宮の近くで解き放ったのだろう。それならば、土の魔法使いと風の魔法使いがいればできる」 「あ、防御網(ビード)と同じ魔法、ですか?」 「そうだ」  頷くゼノンを見て、イリーナはホッとした。  テーブルの上のカップに手を伸ばしてお茶を一口飲むと、ハーブの仄かな甘みが口の中に広がって、イリーナの冷えた心を温めてくれた。 「次に、魔鳥の襲撃についてだが、おそらく反王太子派の仕業だろう」 「反、王太子派……ですか?」  ゼノンの答えは思いもよらない事だった。  イリーナの記憶が正しければ、現国王に息子は一人しかいない。今日会ったノエル王子だ。他の子どもは側妃の子を含め、王女ばかりだったと思う。  まるでイリーナの考えたことが聞こえていたかのように、ゼノンが小さく頷いた。 「王太子殿下には姉君と妹君しかいない。反王太子派が担ぎ上げようとしているのはクリストフ王弟殿下だ」 「王弟殿下?」 「そうだ。王弟派の筆頭と言われているのは、王弟殿下に娘を嫁がせたヴルジュ侯爵。さっき会ったマーティ・ヴルジュの父親だ。  あいつはとんだ馬鹿者だが、あれでも次期侯爵だ。防御網(ビード)を消すために、ヴルジュ侯爵がわざわざ自分の息子を使うとは思えない。だから俺は、ヴルジュ侯爵の背後には黒幕がいると思っている」 「黒幕……」  イリーナは貴族に詳しくない。  父は一代限りとはいえ男爵位を与えられた貴族の一員だが、実態はただの平民だ。その娘のイリーナは、貴族との交流どころか、どんな貴族家があるのかすら頭に入っていない。 「あの、すみません。反王太子派、というか、王弟派の人たちは、どうして、王宮に魔鳥(ヘルシュルプ)を?」 「ああ……おまえは貴族会議の内容を知らないのだったな。一般的に王弟派と呼ばれているのは、国王陛下の方針に反対し、〈魔樹海(ドグエルテ)〉を焼き払おうとしている連中のことだ。 〈魔樹海〉は今では魔獣の棲み家だが、我がグランウェル王国の創世神話発祥の地でもある。国王陛下と王太子殿下は、魔獣の被害を出さないよう定期的に討伐を命じているが、〈魔樹海〉を消滅させるおつもりはない。イリーナも、創世神話は知っているだろう?」 「は、はい。〈魔樹海(ドグエルテ)〉は昔、〈精霊の森〉と呼ばれていて、そこに住む精霊と流れの剣士が出会って、初代王が生まれた、というお話ですよね?」 「そうだ。精霊たちは魔獣に棲み家を奪われ、今ではその存在すら疑われているが、王家は〈魔樹海〉を焼き払うことに反対しているし、神殿をはじめ賛同者も多い。  王弟派はそれに反発し、魔獣の脅威を声高に訴えている。今日の魔鳥騒ぎは、ふだん魔獣を目にする機会のない宮廷貴族に、直に脅威を味わわせ、貴族会議での賛同者を増やすために計画したのだろう」 「そんな……ことが」  王宮で仕事をしていても、そういった話はイリーナの所までは聞こえてこない。  魔獣は確かに恐ろしいが、その魔獣を使って人間が魔獣の襲撃を捏造するなんて間違っている。 「〈魔樹海(ドグエルテ)〉を焼いたら、魔獣たちだって、黙ってない、ですよね?」  白鷲騎士団の魔法騎士たちですら、火トカゲ一体に手こずるのだ。大きな魔獣が一斉に襲ってきたら、とても対処しきれない。 「確かに現実的ではないな。白鷲騎士団が全軍で戦っても無理がある。だが、魔獣の被害だけを防ごうとしているなら、王弟派の意見はけして間違いではない」 「というと、他に、何か、あるのですか?」 「ああ。王弟派の真の狙いは、魔獣を一掃した後の魔法騎士の使い道だ。近隣諸国に魔法はない。魔法が使えるだけで優位に立てるだろう。魔法騎士団の力を使えば、大陸を制すことも不可能ではない」 「そ、それは……戦をする、ということですか?」 「そうだ。王弟派には野心がある。実際、「〈魔樹海(ドグエルテ)〉を焼き払えば、南のラーヴァン王国も感謝して我が属国となるだろう」などと、不届きな発言をした者もいる。陛下たちは、王弟派がいつか暴走するのではないかと危惧しているんだ」  眉間にしわを寄せ、険しい目でそう語ったゼノンが、ふいに眉尻を下げた。 「心配なのは……もしも、おまえの存在が王弟派に知られたら、間違いなく利用されるだろう。俺はそれが────」  言いかけた言葉を、ゼノンはハッと吞み込んだ。  握り締めたイリーナの両手が、ブルブルと震えていた。 「すまない! 余計なことを言った。怖がらせるつもりはなかったんだ!」 「あっ、だ、大丈夫です! どんな人たちに狙われるのか、わかっていた方が、私も、絶対、良いですから!」  イリーナはゼノンに笑顔を向けたが、明らかに無理して作った笑顔だ。その証拠に、彼女は両手を揉み絞って必死に震えを抑えようとしているが、いっこうに止まる気配はない。  ゼノンは堪えきれずに立ち上がった。  イリーナの隣に座るなり彼女をぎゅっと抱きしめる。 「イリーナ、大丈夫だ。誰にもおまえを利用させたりしない。必ず俺が守る。だから、そんなに怯えないでくれ」 「ゼノン様……」  力強い腕に抱きしめられ、優しい声で囁かれて、イリーナの頭を占めていた不安や恐ろしさは消し飛んでしまった。  馬車の中では情けなくゼノンの腕にしがみついていたイリーナだが、正気に戻った分、今の方が恥ずかしい。 (ひぃぃぃぃ!)  イリーナは顔を真っ赤にしながらゼノンから離れようとしたが、力強い腕にがっちりと包まれていて身じろぎすら出来ない。  仕方なく、イリーナはゼノンの胸に顔を埋めた。  恥ずかしくて顔を上げていられなかっただけで、けして甘えようとした訳ではない。  ただ、ゼノンの腕の中はとても温かくて、強張っていたイリーナの体から徐々に力が抜けてゆく。 (何だか……とても、安心する)  不器用に髪を撫でるゼノンの手が不思議なほど心地よくて、イリーナはそっと目を瞑った。
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