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第20話 ゼノンの想い
「クソッ!」
ゼノンは執務室の壁に、ドン、と拳を叩きつけた。
イリーナの姿が消えたと救護室から連絡があったのが、今日の昼ごろ。すぐに騎士団を上げて王宮内をくまなく探したが、彼女を見つけることは出来なかった。
もちろん、イリーナを呼び出したという上級侍女も徹底的に探したが、こちらも見つけられなかった。
ミレシュが教えてくれた特徴を持つ侍女は、王宮の侍女ではなかったのだ。
「ええっ? それじゃあの子、ニセモノ侍女だったんですか? ってことは、イリーナに文句を言う為だけに、わざわざ変装してここへ来たって事ですか?」
報告を聞いたミレシュは憤慨していたが、彼女の隣に立つアレクは、刺すような目でゼノンを睨んでいた。
「救護室を預かる身としては、イリーナの身に危険があると予想してたのなら、事前に知らせて欲しかったですね。そうしたら、彼女を一人で行かせたりはしなかった」
彼はゼノンを責めるようにそう言うと、ミレシュをうながして執務室から出て行った。
二人の足音が遠ざかってゆく。
ゼノンは苛立ちのまま、執務室の壁に拳を叩きつけたのだった。
「────壁、壊さないでよね」
二人が退室するのを見計らったように、サラサラの金髪をなびかせたノエル王子が、ゼノンの執務室に入ってきた。
「十五、六歳の令嬢がいる貴族家のうち、王宮に出入り出来る身分の家を探させているよ」
「殿下……」
「あ~ぁ、情けない顔しちゃって。そんな顔、部下には絶対見せるなよ」
ノエルが肩をすくめながら長椅子に腰かける。
指摘されるまで、ゼノンは自分が情けない顔を晒していることに気づいてなかった。彼は気まずそうに眉をひそめ、手のひらで顔をひと撫でしてから、ノエルの向かいに腰かけた。
「城下の家に置いておくよりは安全だと思っていました。まさか王宮内で、しかも白鷲騎士団の本部から連れ出されるとは……考えが甘すぎました」
「まぁね。でも、起きてしまったことを後悔するより、これからどうするかだよ。って言っても、こちらもヴルジュ侯爵に手を焼いててね。正直、イリーナ嬢を奪われたのは痛いな」
「では、やはり、ヴルジュ侯爵は否認しているのですか?」
息子のマーティ・ヴルジュが〈守りの塔〉を襲撃し、防御網を消した事件で、ノエルは父親のヴルジュ侯爵を呼びつけて尋問していた。
「そう。息子のやったことに酷く驚いていたよ。彼は今も、〈魔樹海〉はこの地上から消すべきだと思っている。その考えは変えてはいないって、堂々と言ってたよ。だけど、神に誓って王宮を魔鳥に襲わせたりしないってさ。
彼の顔は、嘘をついているようには見えなかったんだ。だから確かめたくて……イリーナ嬢に力を貸して貰おうと思ってたんだけど……参ったなぁ」
ノエルは目を閉じて嘆息する。
ゼノンはふと、マーティ・ヴルジュのいる拘置塔へ向かった時のことを思い出した。
(あの時、拘置塔の兵は最低限に抑えていた。関与していたのは白鷲騎士団の幹部と王国騎士団の幹部、それに、拘置塔の看守が数名……俺たちと入れ替わりにマーティ・ヴルジュの部屋からは遠ざけたが……)
「殿下! あの日、拘置塔にいた看守の中に、王弟派と関係がある者がいた可能性は────」
「看守か。そこまでは調べてなかったな。僕の方で調べさせるよ。わかったらすぐに連絡するから、ゼノンは少し休め。昼食もとってないのだろう?」
「一食や二食、抜いても大丈夫です」
「だめだ、食事はしろ。これは命令だよ。いくらイリーナ嬢が心配でも、いざという時に動けなかったら意味がないんだからね!」
ノエルは、ゼノンの顔にビシッと人差し指を突きつけると、さっさと部屋を出て行ってしまった。
浮かせた腰を長椅子に戻し、ゼノンは両手で顔を覆った。
今までどんな困難があってもこんなに不安な気持ちになることはなかった。大型魔獣にふいをつかれた時でさえ、もっとシャンとしていたというのに。
後悔など何の役にも立たないとわかっているのに、思いはとめどなく溢れてくる。
(イリーナ……どうか、無事でいてくれ)
ぎゅっと目を瞑ると、目裏にイリーナの顔が浮かんだ。
近頃、少しだけ分け目がついてきた前髪。その隙間から見える、すみれ色の瞳。困ったように、恥ずかしそうに笑う顔。
(必ず守ると誓ったのに、俺は……なんて大馬鹿なんだ!)
ゼノンは、長い間イリーナを見守ってきた。
初めは、彼女の不思議な力に興味を覚えただけだったが、彼女のそれが魅了眼という稀な魔法だと知ってからは、悪用されないよう人知れず見守ってきた。
母親を亡くし悲嘆に暮れながらも、父親を支えながら商売を手伝う彼女をずっと見てきた。少女から女性へと成長してゆくにつれ、人から距離を取るようになっていった彼女を、いつしか自分の手で幸せにしてやりたいと思うようになっていた。
ずっと見守り続けていた彼女が、今は自分の手の届くところにいる。その状況に、少なからず舞い上がっていたのかも知れない。
その結果が、これだ。
己の不甲斐なさに、ゼノンが髪をかきむしるように両手で頭を抱えた時────
トン、と軽やかな音がした。
何かの気配に顔を上げると、ローテーブルの上を灰色の猫がトコトコ歩いて来る。ビロードのように艶のある毛並み。金色に光る瞳を見て、ゼノンはハッと息を呑んだ。
「おまえ……リリィ、か?」
目の前にいる猫は、ゴフリーに処分させたはずの灰色猫に極似していた。
元は魔物の一角銀猫だ。何があってもおかしくはない。
灰色猫は「ナーオ」と一声鳴くと、ゼノンの正面で行儀よく座った。
「イリーナから、伝言を預かってきたよ」
「……え?」
ゼノンは耳を疑った。
(猫がしゃべった? いや、こいつは一角銀猫だ。だが、魔物が喋るなんて話は聞いたことはない。まさか、俺は、頭がおかしくなったのか?)
「ねぇ、聞くの? 聞かないの? アンタが聞かないなら、ボクはイリーナの所に戻るけど?」
灰色猫が首を傾げる。
「待てっ、待ってくれ! おまえは、イリーナの居場所を知っているのか?」
「それを知らせに来たんだよ。と言っても、助けに来てくれって言ってるんじゃないよ。イリーナはさ、自分を捕まえた奴らを探るつもりなんだ。だから、アンタがイリーナを助けに踏み込んできたら台無しになっちゃうんだって。助けに来ないで、見守って欲しいんだって。ほんとはボクが助けてあげようと思ったんだけど、アンタに伝言を届けて欲しいって頼まれちゃったんだ」
灰色猫は不満げにそう言うと、金色の目でゼノンを見つめた。
「何か質問、ある?」
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