第22話 敵か味方か

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第22話 敵か味方か

「取りあえず、彼女を部屋に戻しましょう。可哀想に、震えてる」  見知らぬ青年はイリーナを抱き上げて、顔を覗き込んでくる。 (この人は……魅了眼を、恐れてない?)  明るい茶色の髪に、湖のような青緑色の瞳を持つ青年は、震えるイリーナを安心させる為なのか、にっこりと笑った。  誰からも好かれそうな屈託のない笑みだった。なのに、得体の知れない恐怖感に襲われて、イリーナは落ち着かなかった。 (この人は、誰なんだろう?)  青年はイリーナを抱き上げたままスタスタと温室を出て行く。 「きみ、勝手なことをされては困る!」  ホルヴァート伯爵から文句を言われても、彼は少しも動じなかった。 「そう言われても、俺だって、セゲーニさんから彼女の命を守るよう、きつく言われてるんですよ」 「セゲーニが? では、すべて、侯爵様のご意向ということか……」 「そういうことでしょうね。で、彼女の部屋はどこですか?」 「西棟の最上階にある侍女部屋だ」 「へぇ、最上階ね……」  そう言った青年は、酷く不機嫌そうに顔をしかめた。  荷物のように担がれて下りた階段を、今度は見知らぬ青年に抱き上げられたまま上ってゆく。待遇としてはずっとマシなはずなのに、イリーナは怖くて仕方がなかった。 「ずいぶんと粗末な部屋だな。ここでは落ち着かないでしょう?」  質素な寝台にイリーナを下ろし、青年は部屋を見回している。  なぜ彼がそんなことを言うのか分からずに、イリーナは怪訝な顔で彼を見返した。 (この状態で、落ち着けるわけないのに)  そう思った途端、彼はイリーナの考えを読んだようにクスッと笑って、寝台に腰を下ろした。 「居心地のいい部屋に移るよりも、手足の拘束を外して欲しいよね。ごめんね。それは出来ないんだ。でも、きみが俺たちの仲間になってくれたら、もっと豪華な部屋で自由に過ごせるようになるよ」  青年の手が伸びて、イリーナの髪を優しくかき上げる。  彼はイリーナの頬を両手で包み、露わになったイリーナのすみれ色の瞳を真っすぐに見つめてくる。  両手を縛られているイリーナは、どうすることも出来ずに、ただ視線を逸らせた。 「とても綺麗なのに、何で顔を隠してるの? もしかして、フェルラント団長に顔を隠すように言われたのかい? ああ、そんなに怖がらないで。俺はきみに酷いことなんてしないよ。ねぇ、フェルラント団長は優しくしてくれるの? 邪険にされてるんじゃない? だって、彼がきみと結婚したのは王太子の命令なんでしょ?」 「閣下は……とても優しい方です!」  イリーナは青年をキッと睨みつけた。 「ふぅーん。きみはフェルラント団長みたいなのがタイプなの? 俺の方が良い男だと思わない?」  青年はやや不満そうに口を尖らせている。自分に自信があるのだろう。  確かに、彼はきれいな顔立ちをしている。やや顎の張った男らしいゼノンとは対照的な、線の細い優しい顔立ちだ。 (絶対、ゼノン様の方が素敵だもん!)  むんっ、とイリーナが眉間にしわを寄せると、青年はフッと笑った。 「そんな顔されると、落としたくなっちゃうな」 「何を言われても、私の気持ちは変わりません!」  イリーナは強気で言い返した。  手も足も出ないこの状況で、せめて気持ちだけでも強く有らねばと、イリーナは必死に己を奮い立たせていた。そのせいか、いつもよりも言葉がスムーズに出てくる。  拉致されてからのイリーナは、良い意味で他人の目を気にする余裕がなかった。 「そもそも、あなたは、誰なんですか?」 「あ、俺のことが知りたくなった?」 「いいえ、全然、まったく! ただ……名前も知らない人と話すのが、気持ち悪いだけです!」 「あははっ! きみっていちいち面白いね。気に入ったよ。このままうちに連れて帰りたいくらい……あ、そうしようかな? うん、それが良い!」  青年はひとりで勝手に納得すると、再びイリーナを抱き上げた。 「待って! 降ろして! 私を……どこへ連れて行くつもりですか?」  イリーナは身をよじって抵抗したが、両手足を縛られている状態ではほとんど動けない。  もうだめだとイリーナが思った時、どういう訳か、青年がまるで何かに(つまず)いたように倒れ込んだ。 「うわっ!」  床に投げ出されたイリーナは、足をしたたかに打ち付けてしまった。 「痛たたた」 「ナーオ」  どこから現れたのか、灰色猫がトコトコとイリーナに歩み寄る。 「クソッ、何でこんなところに猫がいるんだよ!」  青年が躓いたのは猫だったらしい。  彼がチッと舌打ちをしながら立ちあがった時、狭い階段を駆け上がってきた者がいた。 「たっ、大変だ! 王国騎士団が屋敷を囲んでいる! きみ、その娘を連れて早く出て行ってくれ! それと、侯爵様にはお力添え下さるようお願いしてくれ!」  青年につかみ掛かりそうな勢いでやって来たのは、ホルヴァート伯爵だった。 「は? 王国騎士団が……残念だけど、彼女を連れていては囲みを破れません。俺は取り急ぎセゲーニさんに知らせに行きます!」  青年は一瞬だけイリーナを見つめると、ホルヴァート伯爵を振り切るようにして、狭い階段を駆け下りて行った。 「まっ、待て! 私はどうなる? そうだ、おまえをどこかへ隠さなければ!」  青年を追おうとしていたホルヴァート伯爵が、イリーナに目を止めた。  縛られた彼女の腕を無造作につかみ、廊下に並ぶ木の扉を見回した。 「そうだ、屋根裏には物置があったはずだ」  ブツブツと独り言を呟きながら、イリーナを引きずって歩き出す。 「きゃぁ!」  引きずられて体勢を崩したイリーナが、小さく悲鳴を上げる。  その時、階下からひときわ大きな足音が階段を駆け上がって来た。 「貴様! 何をしている!」 「な、なぜフェルラ────」  喋る暇も与えずに、ゼノンの痛烈な拳がホルヴァート伯爵の顎にさく裂した。 「イリーナ!」  ゼノンはホルヴァート伯爵を殴り飛ばすと、そのまま滑り込むように彼女の傍らに膝をついた。 「遅くなってすまなかった!」  床に倒れたイリーナを抱き起し、ゼノンは彼女をきつく抱きしめた。
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