マダム

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「リフォームねえ……家は素人に弄らせたくないわ」  峰子はカタログを見ながら言った。浄水器は真斗が適当に設置したが、さすがに内装工事には抵抗があるらしい。 「俺らは注文を取るだけで、工事は下請けに丸投げする。やるのはその道十年以上の職人だから間違いないよ」  二人はソファに並んで座っている。真斗は峰子の肩を抱き抱え、恋人のように、戯れにキスしたり、ショートケーキをアーンと食べさせてもらっている。 「ふうん。そんな面倒なことしなくたって、消火器でも持ってくれば良いじゃない。言い値で買い取ってあげるわよ」  いっそ清々しい提案に真斗は苦笑した。 「リフォームも考えてくれよ。壁紙を貼り替えるだけでも部屋の印象が変わって気持ちがいいだろ」 「ふふ、気持ちがいいことはあなたがしてくれるでしょ?」  アバズレが。真斗はニカッと笑った。峰子の手からカタログを取り上げ、ソファに押し倒す。キャミソールワンピースの下に手を入れ、乳房を弄る。 「外商員は上達した?」  外商員というのは峰子から聞き出した。 「ええ、とっても上手よ。触ってみて? 彼に吸われてこんなに……」  峰子は真斗の手を取り、自身の股間へと誘った。 「腫れちゃった……」  峰子が甘ったるく囁く。大きく腫れ上がったクリトリスに指が触れ、激情が込み上げた。あいつはどこまで自分を捨てているのか。こんなこと、亭主だって嫌がるだろう。莉斗の涙ぐましい努力の結晶を指で擦ると、峰子は「今、敏感だからっ」と悶えた。  真斗は峰子の身体をくまなく愛撫し、求められるまま二回した。最中、中折れしそうになれば、これは莉斗が抱いた体なのだと言い聞かせ、それでも危ない時は、家庭教師にいたずらされる莉斗を思い浮かべた。 「いいわ、真斗の身体……逞しくて、滑らかで……」  峰子が真斗の背中を撫でながら、うっとりと言った。 「外商員の身体よりいい?」 「ええ……だってあの人、最近お肌が荒れ気味なんだもの……」  久しぶりに莉斗のマンションへ行くと、開けっぱなしのトイレから、ゲロゲロと嗚咽する声が聞こえてきた。靴を脱ぎ捨て、急いで向かう。莉斗は便座の前にペタンと座り、背中を揺らしながら吐いていた。うなじが赤い。 「莉斗っ」  側にしゃがみ、背中をさすると、莉斗は小刻みに首を振り、ジャケットを脱いだ。ワイシャツも脱ぎたいらしく、もたつきながらボタンを外していく。けれど「ううっ」と便器に嘔吐するたび手が止まる。真斗は「手、どかせ」と言って、横からシャツを脱がした。下着からはみ出た皮膚が赤かった。下着も脱がす。真斗は息を飲んだ。背中一面、爛れたように赤い。莉斗がガシガシと引っ掻くと、たちまち皮膚が削られ、出血した。 「どうしたんだ……これ。アレルギーか? 莉斗、アルコールがダメなのか?」  尋常じゃない。病院に行った方が良いんじゃないか。真斗はスマホを操作した。莉斗の体からは、むせかえるような酒の臭いが漂う。  手を叩かれ、スマホを落とした。便器に向かいながら、莉斗がかぶりを振る。余計なことをするなという意味なのだろうが、アレルギーなら放っておくわけにはいかない。 「じん……じん、ば……」 「え?」 「おえッ……じん……ましん」 「蕁麻疹?」  問うと、莉斗はコクコクと頷いた。蕁麻疹ってことは、ストレスか。 「かくなって、余計ひどくなる」  手を掴むと、もう片方でかこうとする。それも後ろでまとめて拘束した。 「蕁麻疹って、高校んときもあったよな。一週間くらい背中が赤くなって、ストレスって診断されても、結局ストレスの原因はわからなかったこと。でも莉斗、お前本当は心当たりがあったんじゃねえの」  後からわかったことだが、当時、莉斗は生徒会に所属していて、書記の女子生徒にしつこく迫られていたらしい。時にはハグされたり、手を胸に誘導されたこともあった。 「こうなってんのも、原因は自分でわかってんだろ」 「……るさい……手、はなせっ……うえっ」 「水、持ってくる。かくなよ」  真斗はキッチンへ行き、常備してあるペットボトルの水を持って、トイレに戻った。莉斗はトイレットペーパーで鼻をかんでいた。頬に涙の線がいくつもついている。ふとこちらを見上げた赤い目が、決まり悪そうにそむけられ、真斗は切なくなった。しゃがみ、水を差し出す。 「仕事、辛いんだろ。少し休んだらどうなんだ」  莉斗はペットボトルをひったくり、一気に半分ほど飲むと、口元を乱暴に拭い、「遊びじゃないんだ。そう簡単に休めるわけないだろっ」と枯れた声で怒鳴った。 「なら働き方を変えろよ。慣れない酒なんか飲んで、身体壊したらどうすんだ」  レバーをひねって水を流すと、莉斗はふらりと立ち上がり、怪しい足取りで寝室へ向かった。どんなに疲れていても絶対シャワーを浴びる男が、上半身は裸で、下はスラックスと靴下を履いたままというアンバランスな格好でベッドに突っ伏す。  ゴロンと仰向けに返ると、額に手を当て、苦しそうに胸を喘がせながら、言った。 「全部……全部仕事なんだよ……俺みたいに育ちの悪い人間は知識じゃ劣るからっ……別の方法でお客様を喜ばせなきゃならないっ……酒っ……知らねえよっ! ワインの銘柄なんかっ、わかるわけねえだろっ! ……わかるわけ、ないじゃんかっ……俺っ、普通に酒、嫌いなのに……」  ぐすんと泣き出し、またひっくり返って枕に顔を伏せた。背中に手を伸ばし、荒れた皮膚を引っ掻く。 「……かいたらダメだって」  反応が遅かった。わんわんと泣きじゃくる莉斗の姿に驚いているのだ。側へ行き、手首を掴む。 「離せっ! かゆいんだよっ! いつも……かゆくて全然眠れないっ……本当にかゆくて……どうしようもないんだよっ!」 「わかった、俺がかくから、じっとしてろ」  莉斗が自分でかくと皮膚を傷つける。まるで子供を相手にしているみたいだ。言うことを聞かない子供の両手を一つにまとめ、真斗はそっと背中を撫でた。廊下の明かりがわずかに入ってくるだけの暗がりで、真斗は荒れた皮膚を傷つけないよう、優しくそっと背中をかいた。子供はそのうち大人しくなり、眠った。
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