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「泣きごと言ってたら、叶う夢も叶わないぞ。ほら、言霊っていうだろ。前向きな言葉を口にしていれば、いつか夢も……」
「辞めようかな」
浩一の声に被せ、留美子がポツリとこぼす。
「えっ?」
横顔を見つめる浩一。
留美子は、氷だけになったグラスを口に運び、融けた水を「ズーッ」とすすってから、トンとテーブルに置き、
「辞めちゃおうかな……」
今度は、少し大きめの声で言った。
「えっ、なんで?」
「なんでって……」
苦笑する留美子の気持ちを、今の浩一に分かるはずもなかった。
気まずい沈黙が走る。そこに、
「お待たせいたしました。鶏の唐揚げでーす」
たどたどしい日本語の若い男性店員が、注文の品を持ってきてくれた。
韓国からやって来た彼は、日本で調理師を目指し、今は下積み生活を送っているのだと、前に吞みに連れてきてもらった織田先輩から聞いていた。
「見てみろよ。彼なんか……」
と、浩一は、戻っていく韓国人店員の背中に視線を送り、その話をして、
「だから、留美子だって、前向きに頑張っていけば……」
「もういいよ」
「いいよって……投げやりになったら……」
「だからいいって」
イライラの募る声の留美子が、またグラスをすする。が、今度は、氷が「カラン」と乾いた音を立てただけだった。
彼女は、「ふぅっ」とひとつ溜息を吐くと、哀しげな微笑を浩一に向け、
「浩一くん、変わっちゃったね」
と言って、荷物を持って席を立った。
「もう帰るの?」
慌てて浩一も荷物をまとめ、無言の彼女の後を追った。
会計を済ませ、店の外に出た所で、
「とにかく、京都で頑張ってみろって。俺も会いに行くからさ」
明るく言う浩一の前で、留美子は視線を足元に落とす。
浩一は続けて、
「留美子らしくないぞ」
励ますつもりだったが、彼女は浩一を軽く睨むように、
「留美子らしいって、なに?」
「それは……いつも前向きに頑張って困難を乗り越える……」
「最近の浩一くんって、なんか、きれいごとばっかり」
「……」
「そういうのって、逆に負担なの!」
留美子は強い口調でそう言い残し、浩一の前から去っていった。
人事異動の時期の慌ただしさの中、ちゃんと話をする機会もないまま、留美子は京都へ転勤していった。
それ以降、たまにLINEで近況報告程度のやり取りはあったが、それも次第に疎遠になり、やがて連絡は途絶えた。
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