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 留美子がいなくなって、1年近くが経った頃。  それまで順調だった浩一が、トラブルを起こした。  原稿執筆を依頼していた先生を怒らせ、コースを外される事態にまでなったのだ。  某大学教授でもある、山本というその先生は、ライターとしてはK社ひと筋30年のベテランで、K社が出版する数学の書籍のほとんどに精通している。  社内で『山本原稿』と呼ばれている原稿は、質の高さでも定評があり、社員が加筆修正する必要は、皆無に等しい。  訓練期間を終えた浩一が初めて担当したライターの先生が、山本だった。  本来、新人がそんな大御所を担当するのは珍しいのだが、山本は性格も温和で協力的。  浩一が山本を当てられたのは、浩一の実力を見込んでと言うより、未熟だから。  完成された山本先生との付き合いから、いろいろ学んでほしいという会社の配慮だった。  入社以来、何もかも順調だった浩一が、そんなことにまで考えが及ぶはずもなく……。  トラブルの発端は、山本先生からの原稿が締切ぎりぎりになり、校了までの時間が殆どなくなってしまったことだった。  誤字脱字ぐらいしか直す必要のないのが『山本原稿』。  その点だけを注視して入稿するのが通例であったが、浩一はサッと目を通した時、 (これ……こうした方がエレガントじゃね?)  解答の一部を、ごっそり書き換えてしまったのだ。  ただ、そうした行為は『山本原稿』以外では普通に行っていることでもある。  もらった原稿の内容を検討し、加筆修正して入稿する。それが、制作部の仕事なのだから。  その時も、印刷所から上がってきたゲラを編集部がチェック。初校了となり、教材として出版された。  その本を山本に献本した数日後に、電話がかかってきたのだった。
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