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「菜穂、買い物つきあって!」
榛名に誘われるがまま、水着を見に行った。空は青く、もう梅雨明けしたんじゃないかと思うような眩しさだ。
「菜穂も買いなよ」
「べつに海に行く予定もないし、去年買ったのもある」
「海、いいじゃん。夏はアウトドアだよ~」
去年は雄太と付き合い始めたばかりで、いろいろなところに行った。大学生になった初めての夏休み。何もかもが新鮮で楽しく、リア充を満喫していた。
「菜穂、好きだよ」
手をつないで、じっと見つめられれば空まで飛べるんじゃないかというくらい、嬉しかった。
しょせん、子供の恋だったのかなぁ。つきあってる時は大人の恋だと思っていたんだけどな。
社会人になった雄太は会うたびに疲れていった。覚えることが多く、卒論よりきついとこぼしていた。
全新入社員を対象にした1ヶ月の研修、その後配属が決まり、OJT。その合間にも研修メニューはずらり。
いつまでも学生気分でいられないよなぁ。だからといってなぁ。同じ土俵で話し合えるわけじゃないから、物足りなかったんだろうけど。
大人になるのを待っててくれてもいいんじゃない!
そんな余裕もなかったんだろうけど。雄太だって社会の中で大人になろうともがいていたんだろうけど。
セックスもワンパターンになり、性欲処理道具なのかと不安になることもあった。でもイクときに抱きしめながら「愛してる」といわれれば、それだけで満たされた。
性の悦びを教えてくれたのも雄太だった。
高校時代につきあっていた彼とは卒業後の春に身体を重ねた。お互い初めてということもあり、さんざんな初体験だった。
彼は北海道の大学、菜穂は東京の大学へと進学が決まり、遠距離恋愛になった。
「離れていても大丈夫。絶対に別れない」
二人とも意気込みだけは立派だったが、いざ学生生活が始まるとあっけなく終わりを告げた。
言葉って軽いよなぁ。
それ以上に軽いのは自分の頭だ。受験の開放感もあり、パステルカラーに染まった学生生活は夢の国かと思うくらい新鮮だった。
高校生活に比べたら格段に自由。先輩たちは優しく包容力があり、自分も大人になった気分だった。終わった恋を思い出すことなど、高校で習った微分積分のように記憶の彼方へ消し去られた。
浮かれ気分が落ち着いた頃、サークルに顔を出した先輩が雄太だった。憎まれ口でしか愛情表現できない高校生とはちがい、自然に声をかけてくる。
性的欲望が見え隠れする1年生や2年生にはない大人の余裕。それが大きかったのかもしれない。
菜穂はまだ知らない。年数が経てば誰でも隠すのがうまくなるし、策も練れてくる。
欲望ギラギラの若い男はある意味素直なのかもしれない。なのに、女の子はそんなこと受け入れられない。
誰でもいい!なんて許せない!自己顕示欲も承認欲求も強い若人なんだから。
何者でもない、何者になれるかどうかもわからない。何者かになるのは今後の生き方次第というプレッシャーの中、スタートからモブなんてやりきれない。
「せんぱあい!ピンクせんぱあい」
街中で呼ぶ声にソバージュをラズベリーピンクに染めた榛名が振り返った。
「あら、やだ、峰岸君じゃない」
サークルの後輩というやせ形のメガネ男子がニコニコと手を振っていた。榛名は考古学専攻で発掘サークルに席を置く。
喉が渇いてきたこともあり、目についたスタバに入る。
「菜穂は今フリーなんだよ。誰か紹介してあげてくれないかな。同級生とかでいい人いない?うちのサークルじゃオタクばっかりじゃない」
榛名が意味深に笑いかける。
「まあ、確かに女性より恐竜の骨とか土器のカケラとかが好きそうなのが多いですけど。菜穂さんはどういう方が好みなんすか」上目遣いで見つめられる。
「好みって、そう言われても」
菜穂は考える。好みってなんだろう。好きになる人に共通点なんかあったかしら。小学校の時は隣りの家のお兄ちゃんだし、中学は先輩。高校は同級生。
「年下はいなかったかなぁ」
「あれ、もう詰んだ??はやっ」
「うんじゃあ、お兄さんのいる人とかさ」
「そうですねぇ」
「って、榛名、峰岸君を困らせないでよ」
「でもさぁ、女の恋は上書きインストールっていうじゃん。さっさと次の恋をした方がいいに決まってる」
「あれ、失恋したんですか。こんなにステキなのにもったいないっすね。さっさと次にいきましょうよ、次。あの、ちなみに俺なんてどうですか。年下ですけど」
「お友達からね」
ちぇっと舌打ちした顔は、ついこのあいだまで高校生だった面影が残る。華やかな榛名を気にならないわけがないだろうし、女性との距離感も遠かったり、近かったり。軽いジャブをはなってくるが、目が泳いでいたり。
「年下、かわいいかも」菜穂はクスッと笑った。
「でしょう。尽くしますよ。いろいろ教えてください」
峰岸の瞳孔が開く。一瞬のぞく性的なたぎり。
「骨や土器に夢中だったんじゃないの」
「それとこれとは別です!」
彼女が欲しくてしょうがないんだろうなぁ。健全な青少年だもんね。
「菜穂さあん、ファンクラブつくっていいですか?そいで握手会とかやってください」
「榛名のファンクラブをつくってからね」
「ピンク先輩は彼がいるから遠慮してたんすけど、いいですね。いっそ48でいきますか。もちろんセンターで」
「気になる女性が48人いるのね」
榛名と二人お腹を抱えて笑った。愛と性のために女性をひたすらもちあげていく姿勢は涙ぐましい。ここで勘違いするとイタイアラサーになるのかな。
峰岸は軽い口調を装っているけど、榛名を見つめる視線は隠せない。どうしていいかわからなくて、菜穂を当て馬に使っているだけだ。
若くて女子っぽい菜穂は男性の視線を集めやすい。顔は童顔で胸が大きい。素直でちょっと天然な感じは、男子の彼女候補だ。性格は倫理学コース専攻のめんどくさい奴なのに。
バカのひとつ覚えみたいに可愛い、可愛いで機嫌をとれると思ってる。微笑んでいるだけの女が欲しいの?何をいってもまともに返事してくれない。愛玩動物にヒトの言葉は不要なの?いいかげんムッとして怒れば、突然キレルと言われるし。怒らせたのはそっちでしょ!
これも承認欲求なんだろうね。ありのままの自分を見てもらいたい。本当の自分なんて、自分でもよくわからないけどさ。
「入り口も大事です。マーケティングもキャッチーな文句で商品に目を向けさせる。どんなにいいものでも気づいてもらわねば、なかったものと同じです。
小学生の男児が好きな子をいじめるのと同じです。やり方は残念ですが、自分に興味をもってもらうファーストアクションですね。
スーパーにも売れる棚というのがあります。同じ商品でも目に付くかどうかで売り上げが変わってくるわけです。
ですから第一印象というのは、自分を認知してもらうための重要な要素です。
ではここに10枚の人物のスライドを見せますが、それぞれの印象と、どの人が良かったか入力をお願いします。なお、自分の性格分析のアンケート項目も最後に入力してください」
各々のスライドは4秒。第一印象は3~5秒で決まるということで、今回は4秒にしたと心理学の教授は説明した。どうやら学年によって秒数を変えてるらしい。
心理学も面白そうだなぁ。
「最近は便利ですね。以前だったらアナログで手計算していたのが、アプリを使えばこれだけの人数でもたちまちデータが集まります」
スライドは全部同じ人物だが、表情や服装髪型等で印象がガラリと変わる。カチカチ流れていくスライドだととても同一人物とは思えない。教授に言われるまで別人だと思っていた。
「心身を鍛えることと同時に、外見を磨くことも勧めます。外見はその人の重要なパーツであり、磨く過程が、言い換えれば選択し、試行錯誤を繰り返すことがその人自身の魅力を引き出すことにつながります。
気に入った要素が増えればそれは自信をもたらし、心の成長との相乗効果が期待できるでしょう、いずれ変化する外見を前にした時、この経験が役に立つこともあるでしょう。たかが外見、されど外見ですね」
雄太も外見から入った印象はあった。でも気にならなかった。むしろ好ましい男性を振り向かせることができて良かったと思う。
興味ない人にいわれると腹立つけどね。
雄太はとにかく余裕があった。どれぐらいの経験を積めばそうなるんだろう。
初キスは初めてのデートだった。
横浜の異人館をめぐり、港の見える丘公園で休んでいた時だった。陽は傾き夏の太陽は徐々に勢いを失い、残滓が空を茜色に染め始めていた。夕凪なのか、風もパタリと止んでいる。
ふっと会話がとだえたと思ったら顎に手を添えられ、指が唇に触れてきた。ゆっくりなぞられ、やがて唇とともに舌が入ってきた。菜穂はそっと瞼を閉じた。
そのままねっとりとお互いの感触を味わう。唇が離れると、思わずせがんでしまい、そうして長い時間キスをかわしていた。求めても、求めても何かが足りないようではがゆい。身体の奧まで満たされたい。もっと触れてもらいたい。
ああ、とうわずったような声が漏れ、雄太がかすれたうめき声をあげた。ぞくっとする。男性のかすれた声がこんなにセクシーなんて、知らない。抱きしめられ、ぴったりと身体を密着させられると、固いものにあたった。身体がフリーズする。
「ごめん。勃っちゃった」
雄太は名残惜しそうに身体を離すと、「これ以上こうしていると、我慢できなくなりそうだ」といい、音をたてて唇にチュッとキスをした。
「ご飯食べて帰ろうか」
菜穂の腕を取り立たせると、二人は中華街の方に向かって歩いた。恋人つなぎの手のひらは、暑さのせいなのか、熱のせいなのか、湿っていた。
強引に迫られたらどうしようと焦ったが、今日はなさそうだ。少しホッとする。初デートでセックスする気まんまんだったら、ヤリモクなのかなと不安になるからだ。
身体の芯は濡れそぼっていたが、これで良かったと思う。心が準備できていなければ後悔する。ヤリモクでない、身体が目的でない、そんなメッセージを受け取ったようで、菜穂は心底嬉しかった。
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