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もう、目はそらせなかった。闇のように深く、暗い瞳を見つめ返す。そこには強張った顔をした自分が映っている。
いまやっと、自分の気持ちに気づいた。俺は――。
「ホストとしてのお前も、ただの和泉周としてのお前も、俺は好きだ」
喉につっかえていた言葉がふっと浮き上がってくる。
「最初はただの興味本位だった。会社で根暗っぽい奴がホストをやってるなんて知って、面白いと思ったんだよ。でもお前と会ってるうちに、気づいたんだ。俺はお前の生き方が好きだって。天音も、周も……俺にとってはどっちも同じくらい惹かれるんだよ」
誠の熱量にあてられたように、周が目をそらす。誠は片手を周の頬に添えた。割れ物に触るように、そっと周の頬を撫でる。
「だからお前は、俺のことなんか気にせずに、好きに生きてくれ――」
「それはできません」
周は誠の手のひらに頬を預けながら、それでもはっきりと言った。横目でちらりと誠の顔を見る。その目には怒りにも似た感情が宿っている。
「俺一人がのうのうと生きていくわけにはいきません」
「どうして……」
「だって村谷さんは……唯一、本当の俺を見てくれた人だから」
周が片手を挙げて、誠の手を取る。湿っぽい、熱を帯びた無骨な手のひらが誠の手を包み込む。
「覚えていますか。俺が新卒で入った時の新人研修の時のこと」
誠は記憶を探ろうとしたが、どうにも上手くいかない。新人研修も毎年のようにやってきているため、よほど悪い方向にインパクトの強い新人がいない限り、記憶には残りにくいものだ。
「いや、すまん……覚えていない」
誠は正直に打ち明けた。
「そうだと思いました」と周はさして気にも留めていないように、誠の返答を受け流す。
「村谷さんだけだったんですよ。初見で、俺の名前をちゃんと呼んでくれた人」
「ああ……」
記憶の中でうっすらと光るなにかがある。そうだ、自分はたしかに呼んだ。周の、本当の名前を。
和泉周の名を。
「皆、俺のことを周って呼びますけど、村谷さんだけは周って呼んでくれた。母親が付けてくれた、本当の呼び方で俺のことを呼んでくれたから」
周が笑顔を見せる。少年のようにあどけない笑みだった。
「だから俺は、村谷さんのことが好きなんです。本当の俺を見てくれたから」
あの時は、珍しい名前の新人がいたものだと思ったはずだ。ふりがなは付いていなかったのに、なぜ周と呼んだのか、自分では覚えていない。けれど、名前を見た時に思ったのだ。この子は周じゃなくて、周だと。
最初から知っていたように、当たり前の調子で誠はその名を呼んだ。それが何年も経って、こんなところにつながってくるなんて――。
「ねぇ、村谷さん」
周がうっすらと微笑む。ホストにふさわしい、甘い笑みだった。
「俺、本当のことを話して会社辞めます」
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