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嫉妬のような苦いものを混ぜながら、ホストの青年が言う。それがどれほどすごいことなのか、誠にはいまいち判断がつかないが。
「ああ、俺。湊です。氵に奏でるほうね」
「君は……その、ここで働きはじめて長いのか?」
グラスいっぱいに氷を満たしていた湊が、ちらりと誠のほうを見る。
「そうっすね……たぶん三年? くらいにはなると思いますよ」
「天音は? いつからこの店にいるんだ?」
「あいつは俺よりあとの後輩っす。売上は抜かされてるけど」
誠は目の前に置かれた酒のグラスで喉を潤した。
「なんか、妹がいるらしくって。母子家庭だから学費とか仕送りしてやるためにホストになったって言ってたっけ」
妹。母子家庭。偶然か? 周もまた、妹とともに母子家庭で育ったと言っていた。別に、妹がいることも、母子家庭育ちも珍しいものではない。たまたま、周と天音の境遇が一致しているだけのことだろう。
しかし謎の緊張が拭えない。本当に、周と天音は赤の他人なのか? 自分が勘違いして、勝手に二人が似ていると思い込んでいるだけかもしれない。
「天音が週末しか出勤しないのは、なにか理由があるのか?」
誠はなんとか喉から言葉を絞り出すと、隣に座る湊の顔を見た。湊はさした感慨も見せずに、平然と告げる。
「昼は普通に会社員やってるって言ってましたよ。俺はいつか絶対、会社にバレることになるって言ってるんすけど、妹の大学受験までに金貯めたいとかなんとか言って続けてるみたいっす」
「つまり、ホストが副業ってことか?」
「まあ、そうとも言うんじゃないっすか」
湊は天音の話にたいした興味を持っていなかった。相手が同性だからか、接客もそれなりで自分に金を使わせようと躍起になる様子もなかった。誠からして見ればそれはありがたいことで、すくないコストで天音の情報を得られたことになる。
せめて、本人に会ってなにか聞ければいいのだが。
本人に会って、なにを聞くっていうんだ?
突然、「お前は和泉周なのか?」と尋ねるわけにはいかない。でも、確証が欲しい。周と天音が同一人物でも、まったくの赤の他人でも構わない。自分の直感的なものを認めてくれるなにか、もしくははっきりと否定してくれるなにかが欲しい。
誠が黙り込んでしまったのを見て、いつの間にか湊はそっと隣を立ち上がり、フロアに姿を消していた。四人ほどが座れる広いテーブル席に一人残され、誠は思案する。勢いでここまで来てしまったが、自分の予想を信じているわけではない。むしろ、周と天音にはなんの関係もないと思っている。ただ、自分がすこしだけ二人の間に接点を見出しただけのことなのだと。
「村谷さん?」
ふいに聞き覚えのある声に呼びかけられ、誠はハッと顔を上げた。そこには長い前髪を綺麗にセンター分けにし、シンプルなスーツに身を包んだ天音が立っていた。ぱっちりとした二重の目が、照明を反射してきらきらと輝いている。
「良かった、村谷さんだ。人違いだったらどうしようかと思いました」
天音はそう言うと、ふにゃりと甘い笑みを見せた。女性に見せるのと変わらない、人好きのする笑みだ。誠はその顔を見て、やはり人違いだったかと思う。いつもどんよりと肩を落としている周と、常に誰にでも愛想と笑顔を振りまける天音が同一人物だとは思えない。顔や背丈が似ているだけだ。
天音はあくまで誠のいるテーブルのそばを通っただけのようだった。フロアの遠くから天音を呼ぶ女性の声がしている。天音はさっと誠から視線をそらすと、声のするほうに向かって左手を掲げた。「すぐに行く」という意味なのだろう。
ワイシャツの袖から覗いた細い手首に、高級そうな腕時計が巻かれている。そして、手首の内側に残る――赤黒く、ひきつれた皮膚。
誠は無意識に、天音の右手を掴んでいた。ひんやりとした彼の体温と、自分の異様なほど熱い手のひらの温度が混ざり合う。
「村谷さん?」
きょとんとした天音の声。急に触れられたというのに、彼は誠の手を振り払わない。
誠は、口を開いた。それを聞いたら、後戻りはできないというのに。
「お前……和泉周だよな?」
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